Not Yet ~あの映画の公開はいつですか?~

主に国内未公開&未発売の映画の話など

「Only You」:ジョシュはかわいい(定期)

お久しぶりです。

 

「いいおしりの日」記事から早1年近く。「Durrells」の記事も「Baptiste」の記事も、日本で観られるようになったけどBBC版歌わない「レ・ミゼラブル」の記事も上げていないのにこの映画のことを上げておきます。鉄は熱いうちに打ちます。

「Only You」です。こういうタイトルはどんどん検索し辛くなるので困ります。

IMDbこちら

 

ãfilm only you 2018ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

と、いうことで(?)、またしてもジョシュ・オコナー氏のお尻を観てしまいました。

事前情報無しではありましたが(教えてよ!?)、まぁそうだろうとは(ちょっと)思ってました。だってジョシュだもん。

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あらすじ

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グラズゴー。大晦日の夜、パーティの帰り道にエレナ(ライア・コスタ)とジェイク(ジョシュ・オコナー)は偶然知り合い、そのまま一夜を共にする。すぐにエレナのフラットで同棲を始め仲良く暮らす9歳違いのふたりだったが、エレナが妊娠を望んだことから様々な現実に直面する。

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書いてみれば、やたらにあっさりですが、この映画の主題は男女の未婚のカップルにおける「不妊治療」、特に「体外受精(IVF)」です。

ふたりの間にそれらをどう置き、どう向き合い、そして時を経て望む結果が出ない場合にいつ、どう「諦める」のか。そのことは、他の出来事と同じようにふたりの関係にどう作用するのか。

 

紹介記事で「恋愛映画ではかつてないテーマを取り上げている」というのを読みましたが、そういえばそうでしたっけ?

周りであまりに良く聞く話題だし、掲示板でも賑やかになりがちなテーマだったからでしょうか。どうにも既視感がありましたが。

 

 

そこそこ長くなってきた自分の人生を振り返るに、こと妊娠と出産に関してはその取扱いに関して、常に他の話題以上に当事者性を求められる気がしています。

「あなたにはわからない」「あなたにはわかるはずもない」という実も蓋も無い言葉と供に轟音で鼻先に下ろされるシャッター。

もはや自然妊娠は出来ない年齢の非経産婦であるワタシがこのテーマの映画について何か述べる事にはちょっと勇気が入る…のかもしれないけど他の作品と同じように普通に取り扱います。形而上学の神を召喚しつつ。

 

この物語では“ふたりの子供が欲しい”からの不妊治療なので、当事者(主語)は常にふたりであり続けなくてはいけなかったはずなのに、いつの間にか、産む性が負う精神的・肉体的負担の大きさと不均衡が相まってエレナひとりだけの戦いのようになってしまいます。しかも望む結果が出ない上に、医学的な結論は女性不妊。ジェイクは根気よくやさしく寄り添ってくれるけれど、孤独はエレナを混乱させ、ひたすらに「こんなはずじゃなかった」方に全てが転がってしまいます。

 

本作の脚本と監督は女性です。

優秀な女性を評する時の「女性ならではの視点」という紋切り表現がクッソ馬鹿ばかしくて陳腐で大っっ嫌いなのですが、(その個人の視点が秀でている、と評するのが正しいはず)当事者性という観点だけ鑑みると、このテーマをヘテロカップルで男性の監督が描くというのはなかなかのチャレンジになるでしょう。

(んー個人的にはマイク・ミルズ監督、ミランダ・ジュライ脚本主演で明るく、でも示唆的に扱って欲しいかも。あくまでフィクションでおふたりのお子さんとは関係なく)

 

主人公と同じ産む性、女性である監督の視点は、十分な当事者性と供に終始遠慮なく主人公のそれに被せられていたように感じました。ざっくり斬ると映画的都合がなにもかも女性視点に固定して完結していました。

エレナ(35)は中の人同様カタルーニャ人。童顔で小柄のラテン美人、スタイルもよく年齢にコンプレックスがないわけでもないけれど若々しい。(元旦から働いているけど)定職もある。フラットも持ち家。同性、同年代から見た時に親近感だけよりもう少し羨望が加えられたヒロイン設定。

そして偶然のめぐり逢いをするジェイク(26)は若さの割に落ち着いた、「若いけど馬鹿じゃない」というまさに理想の年下彼氏。これまた高ポイント。皆に置いてきぼりだった恋バナも存分に出来てお友達にも鼻高々。そんなお友達もまるで絵に描いたような普通の人ばかり。ああ、この設定の捻りの無さ!!トレンディドラマかよっ!?(叫ぶひねくれ者)

 

この映画の視点は常にエレナ(とその二人羽織の監督)にあり、喜びも苦悩も主人公の一人称で語られ続け、表現の中立性や客観性には乏しい。直感的に子どもが欲しくなったことも忘れて主人公はひたすらに悩み、俯瞰することも出来ず、もう自分の足元しか見ていない。手を差し伸べる恋人の手すら見えない。

対してのジェイクにも一応パートはあって迷いや苦悩も表現はされているけど、なにしろ対主人公比1:9といったところ(繊細な演技の巧いジョシュなのに…とジリジリ...)。

さらに2019年にこのテーマを取り扱っているにしては主人公たち人物像以外にも設定上の「原因(困難)」と「(短期的な)結果」、対する主人公たちの「検証」「考察」「再考察」が古くないですか?

もがいているうちに、ふたりの愛を末永くするための「手段」だったはずのものが最初から「目的」であるかのように錯覚される。でもその「手段」は昨今現れたものではないので(何で今?)感が拭えなかったのです。

なにより一番気になったことは、この映画って観客を女性に絞ってしまってないか?という点。

女性による女性の為の映画...?(意図的にしているならまぁまだしも…かなぁ)

ふたりが「子供」を作ることを意識して、「恋人」「親」「家族」に抱いていた固定概念を取り払って再定義して、ふたりの間の愛情の本質を見直す、と言いたかったのはわかるんだけどまた他の古い固定概念に落ち着いた感が拭えないし、視点が偏ったことでどうにも今年の映画としては表現が弱いんじゃないかというのが、極めて率直な感想です。

そもそもエレナに共感出来なければ114分観ても(う、ううむ…)となりそう。

 

でもね、男の人こそこういう映画観た方が良いんじゃないかなー。

ホルモン注射のしんどさとかタイミング法とかリアルだったし。なによりジェイクはチャーミングでクレバーな「素敵彼氏」の見本帖なので。※生活力は問わないものとする

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オフショットはいつもちょっと傾いてるけど、中の人の育ちが良くて聡明でのほほ~んとしたところと、女慣れ(他の言い方が見つからなくてさーせん)が満喫できます。

劇場公開は諦めていますが配信とかで字幕欲しいです。会話が多くて早いので。

本体£10.67, 送料£2.53、中8日で届きました。早い!

 

追記)

ジェイクが元々住んでたとこのフラットメイトのあの女の子は元カノというか既成事実有りだよねー。ああいう小ネタが好きです。

 

(補足記事)㊗「ゴッズ・オウン・カントリー」国内盤発売♡でもちょっと待って!?

紆余曲折を経て本国から遅れること1年半(!)この晩春に劇場公開された「ゴッズ・オウン・カントリー(God's Own Country)」。上映までの苦難の道のりについては本作に関する記事にまとめましたのでご興味あればご参照いただくとして、ついについに令和元年6月4日には、国内盤がリリースされました。

ある映画を気に入ったからと言って、必ずしも誰もがメディアを買ったりダウンロードを買ったりするわけではないと思いますが、この国内盤、豪華版は美しいスリーヴに入り、劇場パンフ掲載の監督インタビューを取り込んだミニ写真集、さらには生写真!!(「生写真」という単語とその強度を別の言語に訳すのがとても難しかった!ホントにサービス版写真が入っていたお友達の撮ったスナップの様に!)、と「豪華」の言葉を裏切らない内容ですので買って損はぜーんぜんありません(熱いダイマ)。

で、ディスクには特典映像が入っています。ひとつは日本オリジナルのアレク・セカレアヌさんの劇場用メッセージ。彼のお人柄が滲む駄々洩れるチャーミングな笑顔、ゲオルゲよりもっと上手で温かい英語が優しい声で聴ける超☆お宝映像です(断言)。これ多分スカイプか何かPCカメラで録画したものを使っていますので、この映像をあなたのPCで再生するともれなく死ねます。ヘッドフォンで観ても死ねます。耳は脳に近いですからね・・・。

 

※以下は国内盤を購入された方に向けた記事です。ネタバレとかそういうレベルじゃないのでご注意くださいませ※

今回の配給さんの超絶なお仕事ぶりを考えますと、指摘するのも気が引けるのですが・・・問題は、輸入盤でも観られる「削除・追加シーン」です。

言いたくないんですが・・・字幕が変なんです。もう笑わせに来ているとしか。特に野ウサギを捕えて食事の足しにするシーン。おいどうした!!?正気か?

 

追加シーンは本編でも見られるので、字幕の質の「違い」を確認出来るのですが、削除シーンはそうはいかない。

US版で輸入するとこの特典コンテンツには英語字幕が無いそうですし、国内盤も日本語字幕の有無しか選択できませんので、以下、自分の視聴メモから転載します。

※訳はもとより、台詞もUK版字幕+聴き取りメモなので完全一致はしてないと思います。あくまでご参考に※

ワタシの英語力ではあいにく毎度のざーっくりニュアンス訳しか出来ません。そしてそれはあくまで自分の脳内の勝手な時系列設定の上での訳に過ぎません。

まぁ(大体こんなことを言っているのか)程度にだけ把握していただき、台詞よりよっぽど多弁なふたりの表情や間を観ることをお勧めします。

照れながら無器用に、遠回しに分かりにくくゲオルゲを褒めるジョニー。その言い回しに当惑しながら、ジョニーの問いに自分のことをポツリと話すゲオルゲ。その表情。ぎこちなく交わされ、泳ぐ視線。それを観た感覚をまず堪能しましょう~。

ウサギ狩りは削除シーン故、時系列で何処に入るものなのか正解はありません。

あのシーンではまだふたりの心には距離があるように思えます。ワタシはトップフェル3日目夜設定だったのでは、と踏んでいます。

 

【トップフェル合宿 心象サマリー】

初日)イライラモヤモヤ(主にジョニーが)

2日目)発情からの「おりゃやってやるぜー!」からの泥だらけ。フゥ

3日目)夜はテレテレ...モジモジ(主にジョニー)からの「ナーイ」

4日目)(...タバコあげるね)からの夜♥

 

兎肉を美味しくいただいた後のシーンのジョニーは緊張や気まずさが少し緩んで、ゲオルゲにセックス以外の興味を向けています。彼の出自、サバイバル力。どこから来て、どこに行こうとする者なのか。

限られた道具で手際よく野ウサギを捕え、食料の足しにするゲオルゲ。でも4日目の昼にジョニーが見せるような、ゲオルゲへの素直な感服は未だそこにはない。”ボーイスカウトバッヂ(章)”のくだりは要は「どこでそんなの習ったんだよスゲエな」で、ジョニーなりに褒めているみたいだけれど、でも素直じゃないからまだちょっと噛み合わない。(牧場で育ったジョニーにしてみれば、引き合いに出したボーイスカウトのサバイバル”訓練”は揶揄の対象なのかもしれない。ゲオルゲにはそのニュアンスは伝わらなかったみたいだけど。)

メタファとしての食と焚火の炎がふたりのすぐそばに。

食事が済み、山の中では後は寝るだけ。交わされる視線。

そこで「そそるな」って!?んなこた言わないでしょ~?

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J「How much longer?」 
G「Shh...」 
J「Alright, I'm just askin'」 
G「Shh!」 
J&G「F*ck!」 
🐰🍴 
J「You sure you didn't get your "killing fluffy animals badge" in BoyScout?」 
G「Excuse me?」 
J「Excuse me for what, like?」 
G「My English sometimes...」 
J「It's bobbins」 
G「Pardon?」 
J「…」 
G「I learnt on the mountains at home」

J「Is there owt you didn't learn on't mountains?」 
G「For me, It's the best place in the world」 
J「How come you ended up here, then?」 
G「It's complicated...」 

J「...I'm flaggin' me」

(🐇捕獲後の意訳)

J「ボーイスカウトじゃ『ふわふわちゃん殺し』章は貰えないだろ?」 
G「え、何?」 
J「何って何がだよ」 
G「俺の英語は時々・・・」 
J「・・・大したことじゃねぇよ」 
G「え?」 
J「・・・」 
G「・・・故郷の山で全部学んだんだ」 
J「山以外では?」 
G「俺にとっては山がすべてだ」 
J「どうしてそこを出て来た?」 
G「・・・込み入っててね」 
👀🔥👀 

J「・・・疲れたぜ」

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このシーンが時系列でトップフェル3日目の夜に入ったかも、という仮説が成り立つと、「ゲオルゲの懐に子羊」「お塩の分け合い」「『Night...』」などが無かったかも?それは困るな~(嬉しい悲鳴)。

 

本作の記事にもちょっと書きましたが、ウサギを狩るというふたりの共同作業と、拙いながらも会話で理解を深めようとしたシーンをまるっと削除したことは、ジョニーがゲオルゲの黙々とした働きぶり、特にみなしごの子羊(=ジョニーの投影)に向ける愛情深く的確な扱いとで抱いた”尊敬”と、この土地を「美しいが、寂しい」と言えてしまうことへの”興味”をより強調する結果になっているのではないでしょうか。それにより、ゲオルゲに強く惹かれ、恋心を加速させるジョニーのその感覚、その過程がより際立つように思えます。もちろん会話を減らすことで映画全体が無口なトーンで進み、故にラストシーンの対話が引き立てられてもいるはず。

ううむ、削除シーンを観ないと出ない考察なので亜流な褒め方かもですが、フランシス・リー監督のこの編集センスには脱帽です。

 

 

小舟はただ、束の間たゆたうためだけに「A Moment In The Reeds」

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Amazon U.K.からいわゆるクィア映画のディスクを買っているので、フィンランド発のこの映画もずっとおすすめに上がってきていました。周囲に観た方も増えてきたところで、やや遅ればせながらの鑑賞です。「北欧の『God's Own Country』」なんて紹介されている記事も見ましたよ。ほう。

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ストーリーはここからまんまでお借りします。

cineequal.org

In A MOMENT IN THE REEDS, having moved to Paris for university, Leevi returns to his native Finland for the summer to help his estranged father renovate the family lake house so it can be sold. Tareq, a recent asylum seeker from Syria, has been hired to help with the work, and when Leevi’s father must return to town on business, the two young men fall in love and spend a few days discovering one another during the Finnish midsummer.

(拙訳ですみません)

レーヴィは進学の為パリに住むが、その夏は、疎遠な父親が湖畔の別荘を売却の為に修繕するのを手伝うため故郷のフィンランドに帰省する。そこにシリア難民のターレクが手伝いとして雇われる。レーヴィの父親は仕事で街に戻らねばならなくなる。ふたりの若者は真夏のフィンランドで恋に落ちて・・・

ん?

fall in love 

彼ら、恋に落ちてましたかね?

and spend a few days discovering one another

数日、お互いを「discover」・・・ん~これは「見出す」よりは「楽しむ」と訳すべき感じでしょうか。

 

遅い遅い北欧の夕暮れ。出逢ったばかりの男がふたり。お目付け役のお父さんは急用で街に戻り、今日は戻れないと言う。

湖畔のコテージのフィンランドサウナに入り、湖に飛び込み、タオルいっちょでデッキチェアーでビールの呑みながら身の上話をする。

「ガールフレンドは?」

レーヴィからのありふれた質問。ターレクの分かり易いはぐらかし。美しい夕暮れに流れる微妙な空気。

ふたりは情熱的にセックスをする。それはセックスの為のセックス。

翌日、お父さんは一旦戻ってくる。ひとつしか使われていないベッド。たくさんのビールの空き缶を訝しむ。

けれど、また夜はふたりきりに。

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以下ネタバレ感想です。

鑑賞後のワタシ

「まぁ、そりゃそうなるわな」

以上。

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・・・いえ、もう少々書きます。

男ふたりがそこにいた時に、何かを感じ、身体を重ねる。その先は望まない。望めないのではないけれど、その努力をしない。お互いのために何か出来ることがあるかもしれなけれど、踏み込まない。

登場人物は他にお父さんと元ご近所さんのおばさまだけ。

お父さんとレーヴィの確執も”よくある話”を超えるものではなく。お父さんがちょっと狂言回し的役割で、その心情がレーヴィとターレクのそれより露出する構造になっていたのに、特に膨らまなかったなぁ。

レーヴィが学ぶランボーの話、ターレクが出てきたシリアの話。それも深められなかった。ふたりはひたすらに今目の前にいるお互いを表層的に見て、触れて、欲情して、恋に似た気持ちを楽しみ、短い夜をひたすらセックスに費やす、だけだったような・・・。

 

Twitterでこの作品を観た方が「どの出逢いも運命的な訳じゃない」と仰っていて、膝打ち。

そう、総ての出逢いにそんな強度があるわけじゃない。「これからどうしよう」が必ず芽生えるわけじゃない。

それは男女でも、男同士でも、女同士でも、今この瞬間にもどこかで生まれては消えてゆく、はかないはかない「モメント」。

これはフィンランドの美しい風景の中にあった「モメント」、そのきらめきの映画。

 

ふたりが泥水に浸かっていた小舟を綺麗にして、湖に浮かべて静かに会話するシーンがとても素敵だったけれど、そこは湖。ふたりは川のような流れに乗ることも、大海に漕ぎ出でることも出来ない。

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ただ日暮れまでの束の間たゆたうためだけに小舟はあり、ふたりはそこにいた。

 

 

 

 

 

 

(番外編)"transformative"であること、その裸体

11月4日は「いいおしりの日」だったそうです。11(いい)0(お)4(し)り、字余りってことでしょうか?それに間に合うように書きたかったのですが、ちょいと立て込んでおり今頃上げることにします。

このエントリはいつもの「いち作品に対する感想・考察」ではないので特別編です。ざっくり言うと、Josh O'connorくんというひとりの俳優さんが作中でどう脱いで、それが作品にどういう効果をもたらしているのかを自分の視点でまとめてみたくなりまして。とてもいいおしりなんです。

 

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作品中にセクスィーなシーンがあるとして、そこだけ強調するのはどうなのか、という葛藤は少々あります。それはある人が某作に関して「肉欲」という表現を繰り返し使って評していて、(んー。これを切り口に鑑賞したら「期待外れ」とか言われてしまうんじゃないだろうか、あの良作を・・・)と違和感を感じたからです。

でもよく考えたらこのブログも同じ。よく考えるまで気づきませんでした(テヘッ)。自分に刺さったところを好き勝手に論じて、よしんば興味を持って観てもらえたら良いな、と思っているところはその人と同じ。

(とは言え、あの言葉選びのセンスの無さはやっぱり看過出来ないのです。彼とはきっとお友達にはなれないわ)

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英国俳優たるもの、シェイクスピア劇を嗜むのは当然として、ゲイ役、女装、全裸までが基本と何処かで聞きました。なるほど、確かに。有名俳優各位におかれましては、皆大抵全部こなしている気が・・・。

 

そんな中、「God's Own Country」で電撃的に知った若き名優Josh O'connorくんの主演作での脱ぎっぷりについては前述の通り。彼は当たり前(のよう)に全裸をこなしています。(それどころか!)

その演技力で、作中の彼の裸はその役の裸になります。恥や見栄を脱ぎ捨てた時、社会通念や世間の束縛を超えた時、その象徴と作品に説得力を与えるものして・・・だと良いのですが、その辺りは監督と脚本の力量に拠って優劣が。どうにも裸が勿体ないものになっているものもあり・・・ってそれは先にも書いた作品ですが、思い出すだにモヤっとするので、3つの作品別に彼の裸とその効果/効能を勝手に比較してみることにします。

 

1990年生まれのJoshは28歳。185㎝の長身で色白、やや痩せ型で、恐らくですがジムでビルドアップ/パンプアップする趣味はないらしく、マッチョではない極めて普通の身体をしています。体毛も楚々としていて、ワタクシ的には28歳にしてはちょっと少年みというか無垢さすらあるように思うのですが、28歳の紳士の裸体にお詳しい方いかがでしょうか(誰?)。

JoshはLoeweの2019SSのコットンキャンバスバッグなどLoeweなのに皮革でない新シリーズ「Eye Loewe Nature」のイメージキャラクターをしています。以下2枚はその宣材写真です。

 

「josh o'connor loewe」の画像検索結果

 

「josh o'connor loewe」の画像検索結果
映画のキャンペーンや各種インタビューで見る彼はいかにもお育ちが良い好青年で、聡明で明るくチャーミングですが、作中で見る「彼」には普段のJosh O'connorは片鱗もありません。

彼はインタビューで、俳優として常に「transformative」であらんとしている、と答えていました。まさに。いかようにも変形、変容できる存在。だからこそ、(体質的に痩せやすいであろう点は置いておいても)イメージが固定しないような、ある意味中庸的な容姿を保っているのでしょうか。また、「transformative」には「変革的な、斬新な」という意味もありますね。

例外はドラマ「Durrells」でしょうか。実在の作家、ロレンス・ダレル役でありながら、さも宛書のように、普段の彼を彷彿とさせる自然でチャーミングな表情やふるまいを見せてくれます。インタビューで「実際のラリー(ロレンス)に寄せようとしていない」と言っていました。ゴールデンタイムのファミリードラマですので、Joshはお尻は出していません。代わりにヘンリー・ミラーという世紀の脱ぎ要員がS3で登場します。

何作品かを観てしみじみ、彼の演技、その身体表現、その裸体は彼自身とそれを観る者に変革をもたらしてくれるだけの力量があると思いました。日本未公開作ばかりですが!(叫)

 

というわけで、以下、自分の視聴順に彼の裸の在り様(ありよう)についてそれなり大真面目に所感を。

※ネタバレあり〼

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「God's Own Country」

裸度☆☆☆☆☆

裸の衝撃度☆☆☆☆

裸の重要度☆☆☆☆☆

 

衝撃度は、どういう映画か判った上で観始めましたが、早々にお尻と行為が生々しく登場してそれなりに驚きましたので☆4つ。

ゲイメンズにコメントさせるとこの☟シーン(のおしり)が大変に「セクシーだった」とのこと。ほう、なるほど。

Johnnyは畜運車の中で食堂で出会ったばかりの青年と荒々しく「気ばらし」に励みます。白くて薄くてすべすべした綺麗なおしりですがひんやりと冷たそうで、そこに冷酷に力が籠められて、その行為はなかなかに乱暴で粗雑かつ妙に手馴れていて、いつも彼はこうしているのだろうという説得力があります。

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ところがGheorgheが現れると、ふたりの佇まいとその体格差から、Johnnyの裸はとても頼りなく見え、これまでの彼の孤独がますます浮き彫りになるようでした。

やがてGheorgheと心を交わすことで、Johnnyにとっての行為がただ抜くためのf*ckから対話としてのmake loveに明確に切り替わります。Johnnyは朝の光に一糸も纏わず、身も心もGheorgheに曝け出し、委ねることを覚えた彼の裸は体温すら取り戻したかに見えます。

この体格の違い。ふたりの肌はほんのり紅潮しています(お風呂だし)。首から上の日焼け、手や腕の小さな傷はふたりが肉体労働者である証です。

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作中何度も裸が出てきますが、この作品、実はこのふたりの行為の肝心なところは(ほぼ)見せていないという!肉欲おじさん良く見てね!まさにtransformative!

 

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 「Hide & Seek」

裸度☆☆☆☆☆∞(それどころじゃないです)

裸の衝撃度☆☆☆☆☆∞(マジでビビりました)

裸の重要度☆☆

 

作品に関するムムムな点はこの作品のエントリで触れておりますのでもう繰り返しませんが、急に脱ぎだすわアレするわコレするわとにかく忙しい裸(たち)でした。とととtransformativeではああったかも・・・。

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中国語圏(といっても多分本土はダメでしょうから台湾か香港?)でのタイトルが「性愛四人遊」だったと今知ってちょっとウケています。巧いけど、これもまた肉欲映画って訳でも無いんだよなー。

 

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 「Bridgend」

裸度☆☆☆

裸の衝撃度☆☆

裸の重要度☆☆☆☆☆

 

Bridgendはウェールズの地名で、この地域で相次いだティーンの自殺という実話を元にした作品です。2013年にTVドラマに、2015年に映画になっていて、以下は映画の話題です。

作品紹介記事を書いていないのにおしりの話をするのもどうかと思いますが、この作品でもJoshのおしりが拝めます。というか若者みんなが森の中のダム池を社交場にしていて裸で泳ぐのでガンガン脱ぎます。もう驚かないわ!

いくら演技派の彼でもティーンエイジャーの役は・・・と思っていたのですが、当時のリアル彼女が相手役ということもあってか、これがなかなかどうして。

 

保安官の娘、転校生サラは神父(ウェールズ聖公会?と思ったのですが浅学故自信無し)の息子ジェイミーと恋に落ちます。次々に自ら死を選ぶ仲間たちの謎が解けない中、ふたりの恋は誰からも祝福されません。それでもふたりは森の中で初めて愛を交わします。

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ジェイミーは小さな町で不良ぶっていますが、性格は内向的で繊細な少年です。この時服は汚れた足を洗ってもらうために脱いだのですが、そのまま彼女と初めてキスをして、おずおずと服を脱がして体を重ねます。そのたどたどしい仕草、生っ白い裸。

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ふたりが立ち去ったあとのマットレスには赤い血の跡。サラは、そして多分ジェイミーも初めてだったのです。

そうか、あの微妙な無垢さは「童貞の裸」に変容したのね(勝手に納得)すごいよJosh!

 

以上、いいおしりの話でした。

 

追)

微妙に「Bridgend」がどういう作品なのか、どう感じたのかを紹介していないところがワタシの感想でもあります。なんというか・・・惜しかった。ラスト以外は結構好きなところ多いです。あと、借りて視聴してますのでこのくらいで~。(お借り出来て良かった♡ありがとうございました!)

 

☆8年越しで上映中!☆「Weekend」出逢いは偶然、別れは必然

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[2019年9月追記]

はてなさんからこの記事がちょうど1年前のものだとお知らせをいただきました。なんという偶然か、感慨深いことに今この映画を劇場で観ることが出来ます。「ゴッズ・オウン・カントリー」以上に限られた上映館数であり、誰もがさっと見に行ける訳ではないかもしれませんが、空の色とか、上気したふたりの顔や、計算された美しいエンドクレジットのWEEKENDの文字配色とか必見です。こちらもFine Filmsさんのお仕事です。ありがとうございます。

でも、冗談みたいにボカされまくっていることはあいにく許していません。ボカすことで本国のR18よりレーティングを下げてR15にしていることには価値も理由も効果も見出せません。16歳以上に向けて男同士の性行為を見せることはNGで、マリファナやコカインの吸い方は見せても良いんですか?

もう止めませんか、製作者以外が画面に手を加えることは。切り刻まれたものを2000円近く払って観るしかないとか、なんの罰でしょうか。

あーあー映倫潰れないかなー

尚、ナニが映るのはグレンがパンツ履くところとラスがお風呂に入っているところだけで、他のイチャイチャでは匠の技で何も映ってません。

 

あ、こっそり誤字直しました。

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このエントリはジャン=リュック・ゴダール監督作ではなく、2012年に第21回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で日本初上映されたアンドリュー・へイ監督による同名作品に関してです。

「God's Own Country」に関することをSNSで語っていた時にお勧めされたので、UK PAL DVDを輸入しました。本作はUS版もありますが、そちらはどうやら英語字幕が無さそうなので、ご興味持たれたら必要に応じ、且つ再生形式にご注意を。UK PAL再生にはリージョンフリー機を使うか、PCで観る(適応しないケース有)必要があります。

R18です!(またか)

 

あらすじはシンプルです。タイトルの通り、ある週末の、ある男ふたりの金曜夜の出逢いから、予め決まってしまっていた日曜日のお別れまでのお話です。それが時系列でドキュメンタリーのように自然に、ほぼ主人公ラスの視点に沿って描かれ、少し出てくるそれぞれの過去の話題も回想シーンなどは挟まれません。見知らぬ者同士がお互いのことをセックスと会話で少しずつ理解してゆくのを、鑑賞者もまるで同じ部屋にいるように同時に体験します。

 

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=====以下ちょっとだけネタバレなあらすじ(というか場面展開)

金曜の夜。

ホームパーティーに招かれるラス(ラッセル)。適当なことを言ってそこを離れると、彼は帰路から逸れてゲイクラブへ向かう。一夜の相手を探す彼の眼を捕えるひとりの男性。でも彼には連れがいるし、トイレまで追いかけてもふたりきりにはなれない。

土曜の朝。

下着姿で寝起きのラスはコーヒーを2杯淹れている。ベッドルームには昨夜視線を送っていたあの彼、グレン。グレンは他愛の無い会話を楽しんだのちにラスのアパートから帰って行く。玄関前でお互いの携帯を交換して番号を残したけれど、お互いに特別な期待はないように振舞う。

しかし帰ったはずのグレンは舞い戻ってラスに言う。

「僕は日曜にアメリカに経つ。2年は戻らない」

落胆するラス。

 

土曜の昼。

ラスの仕事はプールの監視員。仕事終わりにグレンが連絡して来る。職場まで来てくれた彼と、また部屋で一緒に過ごす。

 

 

土曜の夜。

グレンは仕事の仲間との送別パーティーにラスを招く。少し躊躇するけれど、ラスはそこに向かう。一緒に帰り、また夜を共に過ごすふたり。

 

日曜の朝。

名残惜しさを隠してふたりは別れる。グレンは見送りを断り、ラスも深追いせずに元々の予定に出かける。

 

日曜の夕方。

駅のホームにはラスとグレン。

=====

この場面展開に、ふたりの会話が添えられます。始めは(そこから始めているので)セックスの話題から。何故お互いでこうしているのかを、してから真面目に話してますが、この時グレンは昨夜ラスに”追いかけられた方”なので、ちょっと上からというか意地悪なことを言ったりします。ラスは優しく穏やかな性格らしく、拗ねる代わりに分かりやすくしゅ~んとしてしまう。

でもどうやらグレンには心を残さずアメリカに旅立ちたいという思惑があったことがすぐに分かります。いろいろ言う割に、自分からまた会いに来るし、またお泊り。

ふたりの会話がセックスの話題から、それぞれの幼少期や内面に向けて深まるにつれ、心が通じ合うような瞬間をお互いに感じる。それでもあっという間に来てしまう覆せないし、覆さない別れの時。

 

・・・「別れ」というと関係の終わりみたいですが、このふたりは未だ出逢って3日。関係は終わらないで続いてゆくというのがワタシのラストの解釈です。

ひとつの邂逅がふたりにもたらす化学変化。

ラスはグレンにわかりやすく恋している。グレンは少し淡々と、それに乗らないようにしていたけれど、本当はかなりラスを気に入ってしまった、何かを感じてしまったのだと思えたのです。穏やかで優しく、ゲイだと(あまり)知られたくはなくつましく暮らすラスのアパートは、旅立つ前に身辺整理をしたであろうグレンには、思いがけず居心地の良い場所だったのでは?より別れがたいのはグレンだったからこそ、見送りを断り、直ぐに忘れよう、ラスにも忘れてもらおうとあがいていたような。

 

距離は遠く離れてしまい、ふたりを出逢わせたきっかけのセックスは簡単には出来ないし、相手の体温も感じられなくなるけれど、友達から始めなかったふたりが改めて友達になっても良いし、恋人だと思い合っても良いし。ふたりの関係はあくまで始まったばかり。

あれきり連絡をしなくても、もう会わなくても、それでも良いし。

もし少しでも相手を思い出したら、あんな週末があったことを思い出せたなら、それはたぶんひとつのハッピーエンド。

 

 

会話劇なので、ところどころは字幕でも追いつかず。んーまだまだだなぁ。

 

全体的に優しいトーンで進む映画です。でもゲイであるラスが、電車の中の他人や職場の同僚から、同性愛嫌悪的なジョークや、異性愛者前提の下ネタを聞かされているシーンがとても辛い。彼が当事者であることに気付いていないからだろうけど、電車の中のクソガキはわざとかもしれないし、同僚も少しラスを試しているのかもしれない。

 

(以下R18下ネタ)

わざわざそこツッコミますけど、作中の「クソみたいにくだらない男がしている女との行為の話題」が毎回「指を(何本)突っ込んだ」系ネタできっちり陳腐なので、もう笑うしかなかった。うまいなぁ。そう、それ女は全然悦んでないし、(こいつ下手だなぁ)と思われてるからね?

 

「Hide & Seek」朝靄のユートピア

ちょっと悩んだのですが、感想そのものを成仏させたくなったので書きます。

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2014年のUK映画です。R18でした。インディーズ映画でもあり、国内でメディアがリリースされたり、配信することはなさそうです。

「hide & seek」は「かくれんぼ」の意味ですから、英語圏では映画だけでなくゲームや本、様々なもののタイトルとして散見されます。この文字列からこの映画の情報に至るのはなかなか難しいのではないでしょうか。

公式サイトはこちら

IMDbはこちら

購買動機は、Amazon UKからの「おすすめ」に挙がってきたからです。God's Own Countryの購入履歴から、Josh O'connorくん主演作だからでしょう、間違いなく。そしてAIに勧められるままに買ってしまう理想的にチョロい消費者、それがワタシ・・・。

***

ポチったらAmazonの紹介記事だけ読んでプチ予習。届いた後はこの扇情的なパッケージ写真から内容を予想して再生しました。

 

あー・・・

これ「観念映画」だ。こういうの、久しぶりに観た。

大きな事件は起きず、彼らの日々の出来事と美しい風景でイメージを重ね、こちら(鑑賞者)が何かを想起するためにある映画・・・なのではないでしょうか。

なのでネタバレたところで、なので、すみませんがあらすじを書いてしまいます。

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マックスはリア、シャーロット、ジャックをリアのウィークエンドハウスに誘う。

「ここをユートピアにしよう」。

 

ロンドンを離れ、美しい田園の中で何をするわけでもない。元々仲が良い4人のようであるけれど、その関係は説明されない。マックスとリアにはかつて親密だった時期があることが匂わされ、ジャックはGFに置手紙とともに携帯を置いて来たことが回想される。シャーロットには元カレとの間に何かが継続的に起きているらしい。リアだけはこの場所に思い出があるらしい。

 

昼は自然に親しみ、食後は持ち回りでショートセッションをする。デッサン、スピーチ、寸劇。そして主寝室は貼り紙に書いた2人ずつのローテーションで使う。

 

当初は少し遠慮がちに同じベッドをただ使っていたけれど、そこに自然と欲情とセックスが持ち込まれてゆく。リアとジャック、マックスとシャーロット、それから4人でも、女同士でも、男同士でも。

やがてそれは日常になる。

***

事件らしい事件は唯一、シャーロットの元カレが訪ねて来るところでしょうか。彼は外界代表の異物として現れ4人の暮らしを否定しますが、敗れて去って行きます。

 

彼らの生活が何で成り立っているかも描かれません。食事風景も殆どなく、農耕や酪農畜産をしての自給自足ではなさそうなので、生活の為には街(外界)に出る必要がありそうですがそういう描写もありません。

そのせいか、彼らの繰り返す寸劇やごっこ遊びに同じく、全てがまるで学芸会かおままごとのよう。

 

R18なのでそういうシーンもあるのですが、テーマを含め映画のトーン全てがとても曖昧で抽象的な中、唐突に裸になったり交わったことが示されても、なんだかとてもアンバランスでした。裸はいわば究極の具象なので、そこだけ突出、悪目立ちし、当惑を生みます。

そして度々持ち込まれるその描写が、それ以前/以後で登場人物に何を引き起こしたのかがわからない。何よりびっくりするほど官能的でない。性的には感じているようでも、他に感じたことがあるのかが見えてこない。かといって行為そのものに耽溺するでもないし、相手に情念や嫉妬を抱くでもない。ただ、している。fuckでもplayでもmake loveでもなければ、intimateとも違うような。体温も体液もそこには一切感じられませんでした。

 

マックスが提案したユートピアが、コテージの周りに立ち込めた朝靄のように、やがて消えゆくものなのは全員承知のはずですが、みんな至って平然で、そこにせつなさも生まれていない。

 

あの4人、これからどうするんだろう・・・?

 

***

「体当たりの演技」と評する人がいます。それは大抵俳優がヌードになったりベッドシーンを演じていることに対して一応褒めている風の言葉なのかと思いますが、演技って基本、体当たり=肉体表現なのではないでしょうか?

なので、(脱いだくらいじゃ俺は褒めないぜ!)というのが持論ですが、この映画のJosh O'connorくんに関しては感服せざるを得ませんでした。でも正直、違う表現で十分表現出来たと思うので、勿体ない!とも同時に思っています。

ふた昔前から(レーティングこそありますが)セックスシーンを直接的に描くことも許され、世にはそのものズバリの無料ポルノが溢れ、イマジネーションに頼らなくてもそこで何が起きているのかは誰でもたやすく知ることが出来ます。

そんな中でこの映画のように、とってつけたようにただ綺麗なだけで、粘膜粘液が感じられない表現に終始してしまうのであれば、俳優に脱いでもらう必要はあったのでしょうか?

 

彼とリア役の彼女だけはいわゆるフルフロンタルであんなことやこんなことをするのですが(IMDbには「Plot Keywords」という身も蓋もないトピックがありますので、そこからお察しいただければ・・・)残るふたりはスレ見せないので、大人のワタクシは(契約かよ・・・)と、前述の通り脱がなくてよい映画と思いつつもだいぶ憤ったりしました。そういう妙なアンバランスさが鑑賞者に伝わってしまうキャスティングも一体なんなの?と。

 

「観念映画」だとしてもいろいろ物足りないというか、断ずればなんとも”薄い”脚本でした。緩急も無く事件も無いとか、落ちも無いとか、そういう映画もこれまでそれなりに見て来ましたが、んー、どう評するべきなのか。

風景の切り取り方とか美術はとても美しいし好ましかったのですが、諸々の大味さを力量のある役者任せにしているというか、劇中の学芸会ノリがメタになっているような印象の映画でした。

撮りたいように撮ってみたら撮れました、なんでしょうか?実験的な初監督作品ならまだしもですが、数作目のようで。さらにこの映画、受賞歴もあるようですが、波長があう人もいるんですねー。

 

ワタシにもなんだか妙に波長が合い、時間が経っても好きな映画があります。でもそれはその監督の作品の中では突出して低評価なので、なんにつけ好き好き、でしょうか。

 

***

まとめ

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・概ね、元カレという存在はクソである(知ってる~)

・観念映画ならいっそ潔く、具象、特に具体的な肉体表現は棄てちまえ!

・性愛が及ぼす『何か』を表現するつもりがないなら俳優は脱がさないで!

・「美しいモラトリアムを描きたかった」とか言わないでね!自己満足はダメ!←追記

・ハタチそこそこのJoshもやっぱり可愛いかった!尊い

 

「Love, Simon」清潔な主人公によるとっても清潔な青春奮闘記

久しぶりの新エントリは6/17にU.S.で発売された「Love, Simon」です。シンプルなストーリーなのでネタバレ無しにします。

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でも自分は、MTV Awardでこの映画が「Best Kiss賞」を受賞したニュースが鑑賞より先になり、何度も同じgifがSNSに回って来て、結果壮大にネタバレを踏みました。暗闇でいきなり撃たれた感じです・・・やられた。

原作は『サイモンvs人類平等化計画』。このタイトル、(原作の)サイモンの行動原理が判って、鑑賞後にとても腑に落ちました。

 

発売日前にリージョンフリー(ユニバーサル版)Blu-Rayを予約、発売10日後に受け取りました。送料込み27.97USDで、DVDとダウンロードIDが同梱。多言語字幕ですが日本語だけ入ってない&英語字幕は聴覚障害者向けのみ。これは日本公開が準備されていないから?と思ったところ、どうやらiTunes版には日本語字幕があるらしい・・・こういうのなんなんでしょうね。

 

タイトルは、Eメール文末の署名ですね。名前の前に何を足すか。ワタシは仕事ではThank you, かThanks, あるいは Thanks in advance,が多いでしょうか。後者はボールを渡したというか、ちょっと『お前がやっとけ』ニュアンスを滲ませたくてわざと使っています。

主人公のサイモンはここに何を使うか悩んでいるうち、ある時ついうっかり正直に「Love」をタイプしてそのまま送信してしまいます。メールの相手、素性も判らない「彼」への好意を隠し切れないのです。

 

ストーリーはズバリ『ティーン向け』でした。一応PG13ですが。これまで何度も語られているcome outものと大筋は変わりません。ただ、登場人物たちのコミュニケーションツールには学内チャッターがあり、フリーメールを交わし、片時も携帯も手放せません。

 

サイモン役はニック・ロビンソン君。顎のほくろが可愛い『ジュラシック・ワールド』のお兄ちゃんですね。95年生まれ=今23歳なので、撮影時には成人していたようですが外国人の自分から見ても”アメリカの高校生”役に何の違和感も無く、とてもフレッシュで、この映画に決定的な清潔感を与えてくれています。平たく言えば「可愛いけどあんまりエロくはない」です。

(最近日本で話題になったあのドラマの田中圭さんを思い出しました。あっちはもっとお兄さんなのでちょいちょいサービス的にエロかったですが、可愛らしさと清潔感が似てるかなと)

 

男らしいパパと優しいママ、利発で可愛い妹、特別に可愛いわんこ(テリアの一種だと思うんだけどなんて犬種だろう?)に囲まれた暮らし。高校生のサイモンは親にプレゼントしてもらった新車で毎朝友達を拾って学校に行きます。をを、アメリカ。

『おはよ!(肩ポン)』

『よ、よう・・・(♡)』

みたいな通学路の風景って日本の学園ものの必須ですが、こちらではドラマは車内(というか車中心)で起こります。いかにもアメリカらしく、また、こういうティーンの日常や風俗の根幹は古い映画からアップデートがあんまりないんだな、とも。

 

サイモンのパパとママは、ジョッシュ・デュアメルとジェニファー・ガーナー。なんて戦闘能力の高いご夫婦w。

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さぞや息子を困らせたあいつをボッコボコに・・・とちょっと期待してましたが。

特にジョッシュはドラマ『11.22.63』で家族を手に掛ける狂気の父親を演じていて、『トランスフォーマー』シリーズの正義の軍人よりもそのサイコなイメージが自分の中で強くなってしまっていたところなので、いつ切れるのかとちょっとドキドキ。

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まさか自分がゲイだとは思っていない家族、幼馴染、友達、クラスメイトに囲まれ、サイモンは一番肝心なことを隠したまま、恋したり、されたりします。彼の悩みは「何故自分はゲイなのか」ではなく「ゲイである自分のまま、これからどうしたら良いのか」。時間を掛けて自分を肯定出来てはいるけれど、これからカムアウトするとも、しないとも決めかねています。

 

彼の密かな恋の相手は、Blueというハンドルネームの彼。同じ学校で、同じ悩みを持ち、でも家族にカムアウトを考えている彼にだけ、サイモンは繊細な胸の内を匿名で吐露しやりとりします。

Blueは一体誰なのか。

メールで語られる少しのキーワードを元に、彼が誰なのかを探すうちに、サイモンは学内で息を潜めている自分と同じクローゼット・ゲイ達の存在に気付いたりします。

 

そんな時にある事件が起き、サイモンは必死に収束を狙いますが、結果的に望まぬアウティングを学内にされてしまいます。

さらにBlueは

「君が誰か僕には判った。でも、僕は今正体を明かすことはできない」とアカウントを閉じてしまいます。

事態の収束のためにした努力が全て裏目に出て、友達からも疎んじられ、学校中からは不躾な好奇心だけをぶつけられ、家族もまるで腫れ物に触るよう。孤立無援になったサイモンは、自分が自分であるために勇気を奮って、ある思い切った行動に踏み切るのです。

===

 

『ティーン向け』と表現したのは、この映画には諸処に複雑さを放棄したようなところがあるからです。良くも、悪くも。

主役にストレートで清潔感のある俳優を使っていることで、映画からは肉欲や情欲は徹底的に排されています。降って湧いたような過酷な渦中にあって、どう身を処すのが「自分」なのか悩むサイモンの性欲は、そこに無いかのように全く見えません。大切な相手にも話せない秘密の大きさ、クローゼットの中にいる彼の孤独、「自分と同じような人間と出会いたい」というせつない渇望はとても伝わってくるのですが、そこに生なましさは一切ありません。サイモンが彼なりにとても頑張って作業員の男に声を掛けたりするシーンですら、とても清潔、無味無臭。

それは彼だけではなく周囲も同じです。恋をしたと言いながら頭でだけ考えて、感じることを忘れて右往左往して物語が進んでゆく。夢やイメージでだけ紡がれる、霧の向こうにあるような「触れ合い」。

 

自分の行動基準に性欲を挟まない(と決めているかのような)、揺るぎのない清潔さを放つサイモンは、ゲイセクシュアルを学ぶ”入門編”にふさわしいキャラクターには思えます。

本人の傾向やその自認はともかく、世の中には様々な性的傾向があり、そのうちのゲイセクシュアルと個人としてどう関わるのか。ホモフォビアを形成しかねない若い世代には取っつきやすく理解しやすい、端的に言えば「万人向き」、身も蓋もない言い方なら「気持ち悪くないゲイ」としてサイモンは存在しています。それこそがこの作品のテーマなのかと思えるほどに。

アセクシャル」という性欲を持たない性の在り方にやっと呼び名が付いた昨今ですし、誰しも何もかもが性欲ベースでは動いていない(はずである)ことを考えても、このことにはなんだか綺麗事過ぎてモヤっと。

もちろん、この作品が若年層への静かなる『Love is Love』プロバガンダを狙っていたとしても、あるいは単なるマーケティング=特定市場への受け狙いのどちらでも否定はしません(し出来ません)。

もし今のアメリカのショウビズで、かつての「性欲に浮かされたティーン映画」(凡例:『アメリカン・パイ』)の代わりを担うのがこの映画だとしたら、とてもとても感慨深いことです。

 

あと、老長けたBBAには、サイモン含め周りのキャラクター、特に悪役造形の薄さが不満です。不器用を通り越した歪みを持った、救済されない道化って2018年にまだ必要ですか?だったらきっかけは通りすがり(ハッキングとか)で良くないでしょうか。お友達もみんな良い子だけど、若いからってちょっと流されすぎだったぞ!

 

 

いろいろ書きましたが、それでもサイモンは最初から最後までチャーミングで、恐らく映画というエンタテインメントには不可欠な、十分に「応援したくなる主人公」でした。サイモンは自分自身の今の在り様を誰のせいにもせず、「XXだから」も「XXなのに」もない、正に”人類平等化計画”のために、そして芽生えたばかりの恋の為にひたすらに奮闘していました。

「自分」を微妙に持て余しているティーンがこの映画を観たら、少しでも元気が出るんじゃないかな、と年寄りらしいことを書いておきます。

 

***8月某日追記***

この映画、配信が決まりましたね!「Love, サイモン 17歳の告白」

video.foxjapan.com

「デジタル・ロードショー」という20世紀FOXのコンテンツに入るようです。

というか、何ですかこの文章(憤)

「世界では話題なのに日本では未公開の」って、何故未公開なのかという根本に関して責任は感じていないのかしら・・・?