Not Yet ~あの映画の公開はいつですか?~

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(国内盤入手困難)「Brideshead Revisited/情愛と友情」見えない野心と本心

このエントリはイーヴリン・ウォーの『回想のブライヅヘッド』(岩波文庫版タイトル。旧訳『ブライヅヘッドふたたび』)の2度目の映像化についてです。

日本での劇場公開は(たしか)ありません。

DVDスルーでひっそり日本語字幕版が出ていたので探しましたが、その在庫をお好きな方同士で奪い合っているのが現状のようでした。ベン・ウイショーとマシュー・グッド(以降マシュグ)が出ているので、メディア再販はともかくとしてもなんとか良い字幕で配信に入って欲しいところです。

UK PAL2 DVDを英語字幕で鑑賞。原作は未読ですがwikiは確認していました。

2008年版のジュリア/セバスチャン/チャールズ

「Brideshead Revisited」の画像検索結果

ストーリーはwikiに細かく日本語で上がっているのでポイントのみ。

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チャールズ・ライダーは中流の出。オックスフォード大に進学し、貴族でゲイのセバスチャン・フライトと出逢う。

セバスチャンは自由で我儘な酔っ払いとして登場し、通りすがりにチャールズの部屋を汚してしまう。翌日チャールズに花を贈り、ランチに招待して詫びるセバスチャン。その席は学内でも有名な貴族階級の気取った集まり。それでもチャールズは臆することなく、自身の趣味である絵画が写真より優れているという持論を皆に堂々と主張する。その態度に新鮮な驚きと恋心を抱くセバスチャン。

ふたりは行動を共にするようになり、オックスフォードの気風と文化、セバスチャンが見せる上流階級の文化との交流にチャールズは大いに刺激される。 

 

夏休み、セバスチャンはチャールズをBridesheadの自邸(お城)に招く。セバスチャンとその妹ジュリアを支配する厳しい母親、カトリックの抑圧、贅沢な貴族の暮らしをチャールズは知る。

チャールズはセバスチャンに誘われる形で関係を結ぶ。

 

チャールズは、兄妹が別居中の父親であるフライト侯爵に会うためのベネチア旅行に同行する。夜、カーニバルの熱気にあてられたようにジュリアにキスをするチャールズ。それをセバスチャンが目撃してしまい、ふたりは決裂する。そして身分も違えば信教も違うチャールズとジュリアの恋も、侯爵夫人の圧力によるジュリアの政略結婚で終わってしまう。

傷心のセバスチャンはモロッコに流れ、阿片中毒になってしまう。侯爵夫人に頼まれたチャールズが迎えに行くも、セバスチャンはもう長距離移動は出来ない死を待つだけの身体になり果て、一緒には帰れない。

 

やがて画家として大成したチャールズは、NYに向かう客船の中で偶然ジュリアと再会する。恋が再燃し、ふたりは情熱的な不倫に走る。

チャールズはジュリアの結婚を破綻させることまでは成功するも、結局ジュリアはチャールズでもなく前夫でもなく自身の信仰を選ぶ。

 

やがて戦争の時代が来て、将校になったチャールズが何度目かのBridesheadを訪れる。徴収されたフライト家の邸宅で、過去を振り返るチャールズ。

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こうしてストーリーをなぞると、なんというかこう、チャールズが芯の無い男みたいですね。正確には野心を隠し過ぎて、本当にそれを持っているのか、もう持っていないのか本人も分からないまま生きているように思えます。

庶民の出ながら、オックスフォード大に進学できるほど成績優秀で容姿に恵まれたこのチャールズという男を、2008年版ではマシュー・グッド(以降マシュグ)が、侯爵家の長男ながらゲイでアル中のセバスチャンをベン・ウイショーが演じます。

 

ふたりが初めてまともに会話した昼食の席で、貴族階級の気取った輩に囲まれながらも凛とした態度で持論を述べるチャールズ。この時セバスチャンははっきりと恋に落ちます。←ベンくんのこういう演技の素晴らしさよ!

そして自邸に招かれるのですが、貴族との夕食の席には正装が必要であることをチャールズは知りません。そして平服で着席しますが、この時も全く臆することをしません。

このあたりのチャールズは非常にフラットな印象で、ギラついた野心を見せることはありません。卑屈さも見せなければ、逆に謙遜もしません。失礼なことにも冷静にしれっと受け答えをし、その上品さは貴族である同席者が馬鹿な俗物に見えてしまうほどです。それはフライト家、特に家を守る伯爵夫人には新しい脅威に映ります。

 

こういう周囲はざわついているのに飄々とした態度を取るキャラクターにマシュグは極めて良く嵌るように思います。着映えのする長身と小さく整った顔。マナー違反は指摘出来ても、容姿を論うことはなかなか出来ない存在です。しかも、愛想は良いのにも関わらず何を考えているか伺い知れない。

 

貴族独自のマナーを習得したチャールズは、堂々と正装をしフライト家の人間関係に食い込んでいきますが、基本は彼らしいまま変わらず飄々としています。セバスチャンの恋人になったところで、恋人「だから」でも「なのに」でもないのです。打算は見えません。もっと言うと、そこに「欲情」が見えない。友人としてのセバスチャンを尊重し、求められるままに関係を結んだように見えます。断らない方が良いと判断した、という感じでしょうか。

でもそれが妹のジュリアには少し異なり、彼からキスをして事に及びます。欲情も、また欲望や執着も垣間見えます。

男性であるセバスチャンと関係を結んでも、当時の英国では違法であり、むしろそれは隠されて然るべきであるところ、男女の関係ではすぐに結婚への展開が出てきます。俗な表現ですが、チャールズはこの三角関係以降どんどんスレてゆきます。彼が元々持っていた雑草魂のようなタフな本質が明らかになったのかもしれません。駆け落ちも辞さなかったふたりですが、結局ジュリアは政略結婚で彼の下を去ります。

庶民と結婚されずに済んで、侯爵夫人は胸を撫でおろしますが、その後チャールズに頭を下げに来ることになります。それはモロッコに流れたセバスチャンを連れ戻す、という大役の依頼です。セバスチャンは元々アル中気味でしたが、それが進み、モロッコに流れ阿片中毒になってしまっていたのです。夫人自身も病気で死期を悟り、最期に息子に会いたいと願うのです。

チャールズははるばるモロッコに迎えに行き、面会こそ出来ますがセバスチャンは最早廃人の体(てい)です。現地に恋人もいるのですが、死を待つだけの彼の病状と療養所の環境に因りその彼と暮らすことももう叶いません。そんな状況でもセバスチャンは、切ないことにチャールズを忘れられないのか、寂しさをたたえた瞳を彼に向けます。その頭を優しく撫でてあげるチャールズ。とても静かで美しいシーンですが、それは残酷にも最期の愛撫であり、永遠の別れの挨拶になります。

 

時が過ぎ、夢を叶えて画家になり成功したチャールズは、NYへ向かう豪華客船の中で個展を開いています。すっかり板に着いた正装をし、美しい妻兼ビジネスパートナーを携えて。そんな彼には過去の飄々としていた頃の面影は無く、堂々たる芸術家”先生”で、さらなる上昇志向を隠すことをしません。

そこで偶然ジュリアに会ってしまうのです。(本当に偶然なのかは大分眉唾です。私は結婚生活に失敗したジュリアが調べて追ってきたものと推察します。)

W不倫ながら、恋を再燃させるふたり。

船上という極めて狭い空間の中で、嫁はどうしてるんだと思わずにはいられないほど逢瀬を重ねて、あの頃以上にお互いに夢中になるふたり。この復活愛でのチャールズは周到かつ大胆で、自分の作品を対価としてジュリアを夫から奪うことに成功します。

しかしジュリアは最終的に古い家族観、宗教観に立ち返り再びチャールズを振ります。

 

時が過ぎて戦争の時代になり、チャールズは軍属しています。いざ戦争が始まれば、オックスフォード卒なら士官採用で決定なのか、成り上がったのかは説明されませんが、上級士官であり、その姿は意外にも様になっています。

そして彼はなんの偶然なのか、旧フライト侯爵邸の接収作業に携わります。かつて富と地位を誇り、四季それぞれの美しさで溢れていた館は変わり果てています。セバスチャンも、侯爵夫人もあの後すぐに亡くなっていて、今やジュリアの消息も修道女になったと噂されるも詳しくは判りません。

それでも彼が思い出すのは、あの自分が野心に覆われる前の美しい夏のこと、フライト兄妹の間で過ごした時間です。戻ることもやり直すことも出来ないそれらの追憶は、最後に少しだけ、チャールズに変化を起こします。それは彼が明確に否定していた古いカトリック教義への小さな敬意でした。

そうすることで彼なりに友情と恋と野心を弔ったようなラストでした。

 

 

演じるマシュグに因るところもあるのですが、チャールズが自分の事、特にその容貌をどう自己認識しているのか、特に前半は私には分かりにくかったです。中身(資質)に高い自意識を持っていることは間違いないのですが、自分が生まれ育ちの良い人より余程恵まれた容姿であることは、当時の隔絶した階級社会では恐らく大学に進学するまでは知らなかったことでしょう。彼は大学でそれなりに耳目を集める存在になりますが、皆が注目するのは、あくまでセバスチャンの連れだからと謙虚に思っていたかもしれません。

ジュリアと(若干)責任を取る形で結婚を考えた時には、家柄とカトリックの教えで武装した伯爵夫人が立ちはだかります。その丁々発止はチャールズの野心の燃料になったように思えます。あんなに飄々としていた男が、自分が欲しいものを得られない、欲しいものを持つに値しないかのように扱われたことで発奮したのです。

そしてジュリアとの別離から再会までの間に、チャールズはより魅力的な男になります。ただしそれは彼から清潔さを奪い、傍観していた貴族の男の俗物さすら身に着けてしまいます。

 

チャールズが再びジュリアを失ったその後始末は描かれません。画商の妻を捨てた彼は、筆を折ったのでしょうか。

また、彼が自らを律してジュリアを遠ざけ、密かな野心や打算に呑まれず、Bridesheadのセバスチャンの横で絵を描く暮らしを選んだら、どうなっていたのでしょうか。おそらく画風は、劇中のそれとは異なってくるでしょう。

 

本心を見せてくれない主人公はもちろん、他の誰にも感情移入せず、終始俯瞰して鑑賞を終えた作品でした。

 

1981年版のチャールズ/セバスチャン

「Brideshead Revisited」の画像検索結果

こちらではチャールズはジェレミー・アイアンズが演じています。未見なのでこの写真や記事の印象だけですが、退廃的で野心的、悪の香りがします。

 

劇中にはサービスカットもあり、また長身を生かした様々なファッションを着こなして見せてくれますが、マシュグは(おそらく)この映画に出たことでHackettの広告キャラクターを降ろされてしまいます。Hackettのコンサバなイメージにゲイは要らない、という判断のようですが、世の中には完全に逆行したセンスですね。

インタビュー動画や記事から判断するに、如何にも英国人らしい饒舌で快活なマシュグですが、その「人間離れ」なほどの容姿は、彼に普通の、その辺に居る男の役を出来なくさせています。その分主人公にとっての『夢の男』役や、凶悪で冷徹な役は良く似合います。

 

チャールズ・ライダーは結果的にいろいろな人の運命を狂わせてしまいますが、彼自身は市井の人であり、少なくともフライト一家に向けては悪意は無かったはずです。

夢の王子様でもなければ、悪の枢軸でもなかったことが、いまいちマシュー・グッドの代表作とは言われない点かもしれません。

※ただし、本作のコアなファンが英国には多いようです。以前この映画の話題をSNSに書いたら英国のマシュグファン女子からメッセージが来て、ファンコミュを教えてもらいました。

 

自分的にはマシュグ出演作なら、ちょっとしか出ていないけど『シングルマン』のジムが最高です。夭折し、恋人の美しい追憶の中にだけ存在するまさに「夢の男」の役です。

「a single man」の画像検索結果

 

彼の魅力のひとつ、「creepyさ」全開の『シークレットガーデン』のチャーリーも好きです。主人公は叔父である彼に何故惹かれるのか、彼の秘密を知るまで恋のような感覚を持ってしまいます。

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『セルフレス』のオルブライトも好きですが、もっとcreepyでも良かったかも。超高額でセレブに「続命」サービスを提供する謎の科学者です。ちょっとコンサバな恰好なのが気になったのですが、それにはちゃんと理由がありました。

#この作品、SFファンとしては突っ込みどころがかなりあるのですが、まさかの『落下の王国』と同じターセム・シン監督作!予備知識なくマシュグ目当てでふらりと観に行って、スタッフロールで気付きました。ラストの美しい画はいかにもでしたが、SFの細部を作りこむのはあんまり得意じゃないのかも?#

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【注文と納品】

2016年に本体を3.75GBP(安い!)、送料は他DVD3種とまとめて8.05GBP、受領までは10日程度でした。DVD計4枚が入ったパッケージだとポスト投函NGで受領時手渡しとなり、佐川急便さんが持ってきてくれたと記憶しています。