「Hide & Seek」朝靄のユートピア
ちょっと悩んだのですが、感想そのものを成仏させたくなったので書きます。
2014年のUK映画です。R18でした。インディーズ映画でもあり、国内でメディアがリリースされたり、配信することはなさそうです。
「hide & seek」は「かくれんぼ」の意味ですから、英語圏では映画だけでなくゲームや本、様々なもののタイトルとして散見されます。この文字列からこの映画の情報に至るのはなかなか難しいのではないでしょうか。
購買動機は、Amazon UKからの「おすすめ」に挙がってきたからです。God's Own Countryの購入履歴から、Josh O'connorくん主演作だからでしょう、間違いなく。そしてAIに勧められるままに買ってしまう理想的にチョロい消費者、それがワタシ・・・。
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ポチったらAmazonの紹介記事だけ読んでプチ予習。届いた後はこの扇情的なパッケージ写真から内容を予想して再生しました。
あー・・・
これ「観念映画」だ。こういうの、久しぶりに観た。
大きな事件は起きず、彼らの日々の出来事と美しい風景でイメージを重ね、こちら(鑑賞者)が何かを想起するためにある映画・・・なのではないでしょうか。
なのでネタバレたところで、なので、すみませんがあらすじを書いてしまいます。
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マックスはリア、シャーロット、ジャックをリアのウィークエンドハウスに誘う。
「ここをユートピアにしよう」。
ロンドンを離れ、美しい田園の中で何をするわけでもない。元々仲が良い4人のようであるけれど、その関係は説明されない。マックスとリアにはかつて親密だった時期があることが匂わされ、ジャックはGFに置手紙とともに携帯を置いて来たことが回想される。シャーロットには元カレとの間に何かが継続的に起きているらしい。リアだけはこの場所に思い出があるらしい。
昼は自然に親しみ、食後は持ち回りでショートセッションをする。デッサン、スピーチ、寸劇。そして主寝室は貼り紙に書いた2人ずつのローテーションで使う。
当初は少し遠慮がちに同じベッドをただ使っていたけれど、そこに自然と欲情とセックスが持ち込まれてゆく。リアとジャック、マックスとシャーロット、それから4人でも、女同士でも、男同士でも。
やがてそれは日常になる。
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事件らしい事件は唯一、シャーロットの元カレが訪ねて来るところでしょうか。彼は外界代表の異物として現れ4人の暮らしを否定しますが、敗れて去って行きます。
彼らの生活が何で成り立っているかも描かれません。食事風景も殆どなく、農耕や酪農畜産をしての自給自足ではなさそうなので、生活の為には街(外界)に出る必要がありそうですがそういう描写もありません。
そのせいか、彼らの繰り返す寸劇やごっこ遊びに同じく、全てがまるで学芸会かおままごとのよう。
R18なのでそういうシーンもあるのですが、テーマを含め映画のトーン全てがとても曖昧で抽象的な中、唐突に裸になったり交わったことが示されても、なんだかとてもアンバランスでした。裸はいわば究極の具象なので、そこだけ突出、悪目立ちし、当惑を生みます。
そして度々持ち込まれるその描写が、それ以前/以後で登場人物に何を引き起こしたのかがわからない。何よりびっくりするほど官能的でない。性的には感じているようでも、他に感じたことがあるのかが見えてこない。かといって行為そのものに耽溺するでもないし、相手に情念や嫉妬を抱くでもない。ただ、している。fuckでもplayでもmake loveでもなければ、intimateとも違うような。体温も体液もそこには一切感じられませんでした。
マックスが提案したユートピアが、コテージの周りに立ち込めた朝靄のように、やがて消えゆくものなのは全員承知のはずですが、みんな至って平然で、そこにせつなさも生まれていない。
あの4人、これからどうするんだろう・・・?
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「体当たりの演技」と評する人がいます。それは大抵俳優がヌードになったりベッドシーンを演じていることに対して一応褒めている風の言葉なのかと思いますが、演技って基本、体当たり=肉体表現なのではないでしょうか?
なので、(脱いだくらいじゃ俺は褒めないぜ!)というのが持論ですが、この映画のJosh O'connorくんに関しては感服せざるを得ませんでした。でも正直、違う表現で十分表現出来たと思うので、勿体ない!とも同時に思っています。
ふた昔前から(レーティングこそありますが)セックスシーンを直接的に描くことも許され、世にはそのものズバリの無料ポルノが溢れ、イマジネーションに頼らなくてもそこで何が起きているのかは誰でもたやすく知ることが出来ます。
そんな中でこの映画のように、とってつけたようにただ綺麗なだけで、粘膜粘液が感じられない表現に終始してしまうのであれば、俳優に脱いでもらう必要はあったのでしょうか?
彼とリア役の彼女だけはいわゆるフルフロンタルであんなことやこんなことをするのですが(IMDbには「Plot Keywords」という身も蓋もないトピックがありますので、そこからお察しいただければ・・・)残るふたりはスレ見せないので、大人のワタクシは(契約かよ・・・)と、前述の通り脱がなくてよい映画と思いつつもだいぶ憤ったりしました。そういう妙なアンバランスさが鑑賞者に伝わってしまうキャスティングも一体なんなの?と。
「観念映画」だとしてもいろいろ物足りないというか、断ずればなんとも”薄い”脚本でした。緩急も無く事件も無いとか、落ちも無いとか、そういう映画もこれまでそれなりに見て来ましたが、んー、どう評するべきなのか。
風景の切り取り方とか美術はとても美しいし好ましかったのですが、諸々の大味さを力量のある役者任せにしているというか、劇中の学芸会ノリがメタになっているような印象の映画でした。
撮りたいように撮ってみたら撮れました、なんでしょうか?実験的な初監督作品ならまだしもですが、数作目のようで。さらにこの映画、受賞歴もあるようですが、波長があう人もいるんですねー。
ワタシにもなんだか妙に波長が合い、時間が経っても好きな映画があります。でもそれはその監督の作品の中では突出して低評価なので、なんにつけ好き好き、でしょうか。
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まとめ
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・概ね、元カレという存在はクソである(知ってる~)
・観念映画ならいっそ潔く、具象、特に具体的な肉体表現は棄てちまえ!
・性愛が及ぼす『何か』を表現するつもりがないなら俳優は脱がさないで!
・「美しいモラトリアムを描きたかった」とか言わないでね!自己満足はダメ!←追記
・ハタチそこそこのJoshもやっぱり可愛いかった!尊い!