Not Yet ~あの映画の公開はいつですか?~

主に国内未公開&未発売の映画の話など

(国内盤入手困難)「Y tu mamá también / 天国の口、終わりの楽園。」夏休みと共に終わってしまったもの

2002年に日本で公開されたR18指定のメキシコ映画です。

『ローグ・ワン』でディエゴを観て、なんだか久しぶりに観たくなったのです。

日本語字幕のコンディションが良い中古はなかなか無いようでしたので、他の物と併せてUK PAL 2を取り寄せました。

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枚挙に暇の無い謎の邦題群の中で、この邦題は美しい風景を想起させ、また内容を巧みに暗示出来ています。とってもお上手です。

原題を直訳すると「お前のママとも」。英語圏では「And your Mother Too」。お前のママとも「何を」したのか、誰がそう言ったのかは後述します。(ちなみに私の地元の方言だと、「お前のママともしたっけ」になります。)

 

主演は当時から既にメキシコでは大スターだったディエゴ・ルナガエル・ガルシア・ベルナルです。この物語もまた「Call Me By Your Name」(以降CMBYN)と同じく17歳の少年の夏休みの儚い出来事です。欧米では夏休み=学年末であり、17歳のそれは高校を卒業し次の進路に進むタイミングですから、そりゃぁいろいろ体験したくもなるでしょう。それに日本の春休みの短さとは比べ物にならない長さでもあります。

中の人ふたりもまたCMBYN主演のティモシー・シャラメくん同様に、撮影時にはちゃんと成人(18歳以上の意)ですが、小柄で(今でも)細身のふたりは少年にしか見えません。

#あの西洋人男性の独特のどーんと筒形の大人の身体に変貌するのは何歳が平均なのでしょう??ならない人はならない、というだけなのかしら?#

 

この映画はそんなふたりが眩しい太陽の下、裸も本音も曝け出し、怖いもの知らずに夏と恋(に似たもの)と冒険を謳歌するロードムービーです。海辺の美しい風景が中心ですが、メキシコの荒んだ現実も垣間見せます。

 

冒頭から旅立つガールフレンドと時間を惜しんでベッドで励むシーンなので、劇場で観た時には「をう・・・絵に描いたようなラテンの若者・・・」となり、ふたりが子供に見えたこともあって、着いていくのがちょっと大変でした。客席が女性だらけで変な安心をしたことも記憶しています。

細かいところは覚えていないのですが、多分劇場公開時はいろいろボカされていたような気が。

 

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以降、ストーリーです。ネタバレしますが台詞はあまり追いません。

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テノッチとフリオは高校を卒業したばかり。どちらのガールフレンドも自分たち以外とバカンスに出かけてしまって、せっかくの夏休みが退屈になりそう。男同士でつるんでは、マリファナを吸ったりパーティして騒いだりでそれを紛らわすことに。

テノッチの父親は有力政治家で家柄も良く、家族の行事も大きく華やか。でもこれもまた退屈だから、大統領まで参列するような盛大な親戚の結婚式にフリオを誘う。

そこで出会った気になるスペイン人美女のルイサは、いけすかない(新郎とは別の)親戚ジャノの奥さんだった。何処か素敵なビーチを知らないか、と尋ねる彼女に「みんなが知らない特別な『天国の口』っていうビーチを知ってる」とふたりは適当な出まかせを話題にして、一生懸命気を惹こうとする。

 

若いふたりを鼻にもかけないルイサだったが、彼女には秘密があった。それをジャノに話したかった夜に限って、ジャノは家に帰らず泥酔して外から電話を掛けてくる。俺は馬鹿だ、許してくれと突然不倫を告白するジャノ。泣き崩れるルイサ。

翌日、ルイサはテノッチに電話をし、天国の口へのバカンスに連れて行って欲しいと言う。

セクシーな年上女性との思いもかけない夏休みに浮かれるふたりは、旅を引き延ばし盛り上げるためにも「天国の口」を探す(ふりをする)と決め、もしそんな感じの神秘的な入り江が見つけられれば、そこをそういうことにしてしまおうと適当に画策しながら、何とか車を用立て、メキシコシティを離れカリブ海を目指す。

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テノッチもフリオもセクシー人妻とヤることを期待しつつも、若いながらさっと荷物を持ってあげたり、レストランで椅子を引いてあげたりルイサが中座しなくて良いようにお店の人とのやり取りを請け負ったり、ラテン男子の面目躍如というか、まぁ、そりゃモテるよね、という気配りを随所に見せます。途中のモーテルでもちゃんと二部屋取って、男子/女子に別れます。

そのおかげで、ルイサはひとりで部屋に入ると直ぐに、ふたりに見せていた明るい表情を閉ざし静かに嗚咽します。ひとりになると、彼女の大きな秘密が彼女の心を悲しく支配してしまうのです。

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移動中の会話は下ネタが花盛り。ルイサは自分の過去の恋愛、夫以前のBFを回顧しつつ、ふたりとそのGFのなれそめやセックスの詳細、女性経験までを聞いてくる。調子に乗り、大人ぶってあれこれ教訓や武勇伝を話すふたり。

 

車の故障で足止めを食らう3人。レッカーしてもらい、修理上がりまでモーテルで過ごすことになる。

夕方、バスタオル一枚でルイサにシャンプーを借りに行ったテノッチは、

「バスタオルを取って」

と突然ルイサに言われ、それに戸惑いながら従うと導かれるままにセックスする。それはあっという間に終わってしまうが、フリオはそれを見てしまう。

ひとりプールサイドにいたフリオに、したことを気付かれていないと思い込んでいるテノッチはいつもやっている潜水競争をしようと誘う。

水面から顔を出したテノッチに、フリオは淡々と言う。

「俺、お前の彼女とヤッたことある」

 

ルイサの部屋には入れず、テノッチはフリオのいる狭い部屋で今夜も眠ることになる。大事なGFを寝取ったと猛烈にフリオを詰りながら、同時にそれがどんなセックスだったのかを執拗に尋ねるテノッチ。

 

移動を再開したものの、車内の空気の険悪さにルイサは車を脇道に止めさせ、テノッチにしたことはフリオにもする、これで良いでしょうとテノッチを車から降ろすとフリオとセックスする。フリオはテノッチと同じように直ぐに達してしまう。

ルイサはテノッチに手法が乱暴なことは詫びつつ、仲良くビーチを目指そうと言う。

 

「俺もお前の彼女と寝た」

おもむろに言うテノッチとフリオは大喧嘩になり、その様子にルイサは怒って車を降りてしまう。

とりあえず仲直りし、3人が乗った車は海沿いをひた走る。

 

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この展開の興味深いところは、ルイサを挟んでお互いを牽制するうちに、テノッチとフリオそれぞれがお互いのGFとも寝ていたことを暴露するのですが、言われた時にそれを全く嘘だと疑わない。お互い、GFより親友を信用している。そもそも相手にダメージを与え優位に立つ為に言ったから、言われた方は想定外の大きなダメージを食らって、その時には「俺も」とカウンターを返せない。

そして好奇心に負け思わずいろいろ聞いてしまう。要するに、どっちがそういう場で男として優れているかをGFの背徳そのものより気にしてしまう。この時点でもあくまで目の前の親友のいう事を信じてしまう。そしてちょっと落ち着くと思い出したように後から同じネタを出して、また蒸し返す。全くもうなにやってんだかw

 

17歳ふたりと3人旅に出た時点で、ルイサは当然彼らの期待、真の目的を判りきっています。

ふたりはそれでもちょっと遠慮というか、「天国の口」を目指すという実現不可と思われる大義名分を抱えていて旅の長さが測れなかったからか、道中で積極的に事に及ぶつもりはなかったように思えます。夢見る「天国の口」と呼ぶに相応しい素敵なビーチに辿り着いてからのお楽しみに取って置きたかったのかもしれません。

 

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真夜中。砂の路地にタイヤが嵌り、3人は諦めてそこに停めて車中泊をして朝を迎える。

朝の陽射しにルイサが車を降りてみれば、そこは美しく穏やかな入り江のすぐ傍だった。

テントを張り、澄んだ海にはしゃぐ3人。

しばらくすると地元民の家族が乗った船がやってきて、わずかなお金で食事を振る舞い、船に乗せ岬を巡ってくれる。

岬の向こうのビーチの名前を船頭に訊けば、それはまさかの「天国の口」だった。

 

天国の口を満喫して、日が暮れる頃に船で元のビーチに戻ると、野豚の大群にテントを荒らされている。テント泊は諦め、船頭一家のビーチハウスを借りた3人は、泥酔して情熱的な3Pをする。勢いでキスをするテノッチとフリオ。

目覚めると男ふたりだけが裸でひとつのベッドに寝ている。慌てて服を着るふたり。猛烈な恥ずかしさと気まずさがふたりを覆う。

 

船頭一家と意気投合したルイサはここに留まりたいと言い、ふたりと別れる。

ふたりはふたりだけでメキシコシティに戻る。

***

 

まさかの「天国の口」に辿り着いた3人。

そこは素朴ながら夢のように美しい、ゆったりとした時間が流れる白砂のビーチでした。

ふたりは気付きませんが、村の小さなレストランの粗末な電話ボックスから、ルイサは夫に泣きながら別れの電話をします。自分がこうしているのは浮気への復讐ではなく、自分を取り戻し決着をつけるためだと。そして夫ひとりの生活を気遣いながら、どうか幸せを理解できる人間になって欲しいと言います。

 

酔ったフリオはテノッチに「俺はお前のママともやったけどな」と言います。「なーんてね」&爆笑と続きますし、これは(おそらく)酷く下品な悪い冗談なのですが、テノッチも応戦してしまいにはふたりで

「俺たちのママにカンパーイ♡」

「俺たちは穴兄弟☆」

なんて言いながらテキーラをバンバン飲むのです。

 

***

街に戻ってからのふたりは会うことを止め、それぞれのGFとも別れ、新しいGFを見つけ、別々の進路に進む。

 

ある日通りでばったり会ったふたりは、コーヒーを飲みながら近況を交換する。

「ルイサのことは聞いてるか?」と聞くテノッチ。首を横に振るフリオ。

「あの後、亡くなったんだ、癌で」

テノッチはルイサ自身が余命を理解していたこと、最期こそ看取らせたものの夫を拒み、あの海辺に近い病院で亡くなったことをフリオに話し、何故ルイサが「天国の口」に連れてって欲しいと言ったのか、真実を共有する。

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この映画には何度も男声ナレーションが挿入されます。三人称だったのでフリオの心象や背景はテノッチが、テノッチのそれはフリオが語っていたようです。ディエゴとガエルの声は聞き分けられず。

ラストシーンも、交差点でふたりが偶然再会し、ファミリーレストランに入るまでの経緯と、この後ふたりがもう会うことが無いことがナレーションで語られますが、これが誰の声なのか、ごめんなさい、ちょっと分かりませんでした。大人になったどちらかが俯瞰して語っていたのでしょうか。

 

テノッチは経済相のひとり息子で、メイドが何人もいる大豪邸に暮らしていますが、父の政治活動や政局スキャンダルに振り回され転居を余儀なくされたり、両親の仲は良くなく、乳母に育てられたことが明かされます。海を目指す道中、その乳母の出身地を通りますが、それは小さく貧しく時の止まったような村。テノッチはそれを沈んだ瞳で静かに眺めます。

対してフリオの家は母子家庭で、洗濯物を壁に貼りつけるように干した小さなアパート暮らしです。彼のGFもまた豪邸住まいだったので、お金持ちの子が通う良い学校に彼は特待的に進学して友達になったのでしょうか。このひと夏の旅の車はフリオのお姉ちゃんのものですが、お姉ちゃんはバリバリの左翼活動家で逮捕歴ありだとか。急いで車を借りたくて、大統領罷免を叫ぶデモ行進中のお姉ちゃんからキーを借りるフリオがいました。

そんなふたりが気が合い、いつも子犬みたいにつるんでいたのにもう会わなくなる。そして大人になる。少年だった自分とその象徴みたいな親友を切り離すことで。

 

劇中ではふたりのそれぞれに微妙な家庭環境だけでなく、メキシコの政治経済の揺らぎや、厳しい現実がさりげなく描かれています。

3人が道中ですれ違う、昔ながらの倹しい成人式、武装した警官、原住民に厳しい軍人、素朴なお葬式。外国人のルイサ、良家の子テノッチ、普通の子のフリオ。それぞれがそれぞれの視点でメキシコシティじゃないメキシコを見て知り、体験します。

 

 

本当の事情を知らないままルイサと別れ、メキシコシティに戻るふたりだけの車中はきっと、ろくな会話も無かったことでしょう。

ふたりは勢いで秘密を暴露し合いますが、それは幼いなりに好きだったGFの裏切りを知ることであり、またそれはどちらかを責めれば気が済むものでもなくまさに喧嘩両成敗であり、しかも親友転じて裏切者同士ながら、懲りずに「兄弟」になってしまった上に、まさかの”絡み”までしたのです。

未熟な愛憎が入り交じり、年上の女性を介在させて理性のメーターを振り切ったあと、真顔に戻って帰路につく。車と言う密室でふたりきり。

計りようのない気まずさです。

 

相手に会えば、またいろいろ思い出してしまうでしょう。楽しかったけれど、苦い思い出。気持ち良かったけれど、恥ずかしい思い出。そもそも自分たちが誘ったのに、まるでルイサに都合良く使われたようになってしまったテノッチとフリオ。ふたりはお互いに会わないことで表裏になったそれに蓋をするとそれぞれに決め、離れてしまったのでしょう。

でも、あの3人で過ごした夏の時間はきっと忘れられないはずです。

ルイサはもういない。友達とも疎遠になってしまった。

 ナレーションでは、天国の口の番人でもあるあの船頭一家のその後も語られます。数年後に観光開発の為廃業してあの浜を離れることを余儀なくされたようです。つまり、またあの入り江に行ったとしても、あの夏を繰り返すことはもうふたりには出来ない。

あの天国の口での出来事を思い出しても、それを誰かと懐かしく語ることも叶わない。

 

この物語もまた、桃源郷伝説です。だから「天国の口」は「終わりの楽園」なのです。

大人になってしまったふたりは、この夏の追憶を大切に生きてゆくのでしょうか。それとも元々天国の口なんて、楽園なんて何処にも無かったと思って生きることを選ぶのでしょうか。

 

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スペイン語に全く素養が無いため、スペイン語の喜怒哀楽がよく分からず、テンポのよい言語であることとで耳が囚われてしまい、その分画面の英語字幕を捕えきれずにシーンが変わることしばし。劇場公開を観ていてストーリーを知っていましたので、それでもまだなんとかなりましたが。

 

ルイサが別れ際にふたりに言った言葉、出来ればオリジナルから自分なりに理解出来るよう上手く翻訳したいのですが。開放的なラテン女性に見えたルイサの、残された僅か数か月の自分の余命のための人生訓なのです。モノローグではなく、(たぶん)テノッチのナレーションで彼女を回想して語られるそれは、英語字幕斜め読みではこんな感じ。

「人生はサーフィンに似てるから、自分自身を海みたいに解放するのよ」