Not Yet ~あの映画の公開はいつですか?~

主に国内未公開&未発売の映画の話など

(祝☆拡大公開決定)「God's Own Country」:「ゴッズ・オウン・カントリー」というヨークシャーからの福音

 

【はじめに】

このエントリは2018年のバレンタインにようやく清書が済み公開したものです。

それから10か月が過ぎ、輸入盤でしか観ることが叶わなかったものが、イベントと限定上映でついにスクリーンにかかりました!あまりの嬉しさに追記を重ね、すっかり見辛くなったので、この映画に纏わり国内で起こった事の記録は、時系列的に後ろにまとめ直すことにします。

「他のエントリとこのエントリはどうにも熱量が違う」というコメントを頂戴しましたが、そうです!要するにこの作品について何か書きたい!書かねば!というのがそもそもこのブログを始めたきっかけ、大いなるモチベーションでした。暑苦しくてすみません。

本作の噂を聞きつけ、未見なれど日本語での情報をお探しでここに辿り着いた方があれば、恐縮ながら相当ガ~ッツリネタバレしておりますので、その点ご注意ください。最後の最後の素晴らしいシーンを駄文に落とし込むような無粋な真似はさすがにしていません。というか筆力が追い付かないので。

 

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ワタシはヘテロセクシュアルですが、ほんの少しばかり腐っているのと、その視点や記事が好きなので『GT(GayTimes Magazine)』と『Out Magazine』のTwitterやwebをチェックしています。昨年その両紙でも高評価だったのがこのインディーズ映画、「God’s Own Country」でした。

 

批評家曰く

『ヨークシャー版「ブロークバック・マウンテン」』

『ハッピーエンドの「ブロークバック・マウンテン」』。

をっと・・・それって。なんか既にネタバレ。

でも、あれがああならないなら!だったら!観るしかない。

 

手元に届くまでは上記のような批評記事も斜め読み、公式サイトもSNS見ず、IMDbも見ず。

 

届いたものの仕事が忙しく、土日になってから観ました。少なくとも初見は正座して観たいタイプなんです。

・・・泣いた。BBAの目にも涙。

「ブロークバック」にはゲイである悲しみ=一緒にはいられない悲しみが満ちていましたが、2017年のこの映画のテーマはそこじゃなかったです。

 

恋愛の"恋"は、相手(他者)への興味や思慕から、"愛"は尊敬から芽生えること。

性愛はお互いの恥と弱さを晒し究極的に触れ合うこと。

不器用なJohnnyと移民の季節労働者Gheorgheが、それを西ヨークシャーの牧場を舞台に体現してゆきます。

 

続けて記事を上げる予定ですが話題の「Call Me By Your Name」(原作本)にも同じ感想を持ちました。

 

それにしても、何故ヘテロな関係を描く作品では感情の揺れ動きばかり表現されて、人間としての結びつきとして極めて本質的なはずの、このことが分かりにくいんだろう?感じるこちらの問題ですか?

 

***

 

以降、完全なるネタバレ。Spoiler Alertです。

Gheorgheですが、馴染みのないルーマニアのお名前で、劇中で数回しか呼ばれないので、「ギョーギ」で本当に正しいのかいまいち自信がありません。出会いのシーンでJohnnyが車で迎えに行ったときに

「お前がジョージ?」

「ギョーギ」(本人発音はむしろ「ギョルギ」?)

「どっちでも良いや、まぁ乗れよ」

みたいなやり取りもあるんですが。カタカナではなくそのまま書いておきます。

※未公開映画の画像を貼るのには抵抗があったのですが、公式Twitterが加工画像にまで寛容なので乗っかります。日本語字幕ではGheorgheは「ゲオルゲ」でした。

 

***

畜産農家のひとり息子のJohnnyは、脳出血を患い身体が不自由になったお父さんとおばあちゃんの3人暮らし。彼にはこの家を支える責任が立ち上がっている。

倹しい暮らしの中、Johnnyの唯一の気晴らしは、パブでの痛飲と行きずりのセックス。酒は気絶するまで、日常の忘却のために飲む。吐くまでが飲酒!(#←お酒に関しては他人事とは思えない・・・もうしませんけど#)

彼は自覚的なタチのゲイであり、出会いの少ない田舎だからか、相手を見つけたら即、事に及ぶ。あくまでただの気晴らしであり愛情表現じゃないから、相手とキスなんてしない。快感だけはあるけど、それは自分を楽しくも、幸せにもしない。事が済んだらとっとと別れて、また会うとかはマジ勘弁。

 

繁殖期にひとりで広大な放牧地と牛舎・羊舎の管理は無理。Johnnyがいない間に生まれた子牛が死んでしまう悲しい事故も起きてしまう。

家事こそおばあちゃん任せにしているけど、一家は季節労働者に頼ることに。それがルーマニア人のGheorghe。お髭のハンサム。英語も上手でむしろ誰よりも訛っていない。

 

羊の出産がピークになる数日間、ふたりは離れた放牧地にキャンプしてそれに備えながら壊れた石塀を集中的に修理して過ごすことになる。

 

雇っておきながら、Johnnyは彼に敬意を払えない。極端に距離を置いて接し、「Gypo(ジプシーの蔑称)」とあだ名をして馬鹿にする。

でも魅力的な容姿を持ち、難産の子羊を取り出し、蘇生して哺乳したり、とにかく有能な酪農家であり、黙々と働くミステリアスなGheorgheから、Johnnyは目が離せない。

 

早朝、なんの衒いもなく裸になって身体を拭いているGheorgheに、Johnnyは目のやり場に困りながら、その欲情を隠すつもりなのかGypo呼ばわりと、かなり蔑視的なひどい冗談を投げつけるように言う。

瞬間的に土に押し倒されるJohnny。Gheorgheは軍属経験でもあるのか、格闘の組手のようにあっさりJohnnyを組み敷くと

「俺をそう呼ぶな。お前が何してるか知ってるんだぞ。なんならヤッてやろうか?いいか、分かったな?」とやり込める。

f:id:somacat:20180214223356p:plain#↑ラブシーンに見えますよね?でもこれが上記のシーンなのです。顔近すぎ。この時点でJohnnyはGheorgheにもう無自覚に降参していて、その瞳には恋心を宿してしまっていたのかもしれません#

Johnnyは痺れるような興奮を感じてしばらく動けない。

 

そんなことがあってもGheorgheの方はあくまで淡々と仕事をこなす。

尖った岩で掌を切ったJohnny、その手を強い力で掴むGheorghe。抵抗するJohnnyにGheorgheは

「何かあったら困るだろう」

そう言いながら傷が深くないことを優しく撫でて確認する。不意な距離の近さ、期待していなかった優しさにJohnnyはまた動けなくなる。

 

 

自分なりに誇りと自信を持っている仕事でいまいち敵わない敗北感、昨日すっかりやり込められたことへの怒り。そして自分に湧き上がる抑えきれない「何か」のままに、朧な夜明けの中、JohnnyはGheorgheを襲うように(いや、確実に襲ってたね・・・)暴力的に事に及んでしまう。この時、Gheorgheはそれを予期していたような態度を見せると、結局縋りつくほどに必死なJohnnyの様子に抵抗を諦める。泥だらけで絡み合うふたり。

 

それでも明るくなれば、またふたりだけで黙々と仕事をする。 

graze

Read more: https://www.springfieldspringfield.co.uk/movie_script.php?movie=gods-own-countryまるで何も無かったように。

「ここは綺麗なところだ」

「子供の頃は、まさか自分の農場を離れる時が来るとは思ってなかった」

「美しくて、でも孤独だ。そうだろう?」

呟くGheorgheの言葉に、Johnnyは何も返さない。

 

 

昼のとある出来事。羊に接するGheorgheのプロフェッショナルさにJohnnyは感嘆すると同時に、彼が自分の知らないことを黙って見せて教えてくれることに気付く。(ここで劇中、初めての)笑顔がJohnnyから零れる。

 

その夜。さらに沸き上がる「何か」に言葉も見つけられないまま寝たふりをしているJohnny。その肩を黙って優しく抱き、手を取り、ゆっくり肌に触れ合い、その官能を教えてあげるGheorghe。奪いあい与えあうような口づけを何度も交わしながら、ふたりは初めて愛情表現として抱き合い、セックスで会話をする。

朝が来る頃、ふたりはお互いの故郷の春の話をする。まだ母親が側に居てくれた頃の、ずっと前の春の話を。

 

Gheorgheの存在は、Johnnyが毎日見ていたはずの風景をみるみる輝かせてゆく。遅い春の訪れに合わせるように。

ふたりで見る地平線。雲の切れ間の、天から降り注ぐ朝の陽射し。

「god's own country」の画像検索結果

 

そんな中で再びお父さんが倒れてしまう。その危機も、ふたりの結びつきをより強くする。愛情深く献身的なGheorgheに支えられ、ふたりでならこれを乗り越えられると思うJohnny。ただし、Gheorgheがこうして一緒に居られるのには期限がある。それを引き延ばすにはどうしたら良いのか、この農場をどうすれば良いのか。Johnnyには問題を直視することが出来ない。

その悩みからなのか、Johnnyはパブで酒に酔ってある過ちを犯し、Gheorgheは自ら農場を去ってしまう。

 

再び、彼に出会う前のようにJohnnyひとりだけでする毎日の作業。また色を失う日常。彼が慈しんでくれた家畜たち。壁に掛かったままの彼の作業着。

Gheorgheが寝泊まりしていたバンに(おそらくわざと)忘れられていたセーター。Johnnyは裸の上にそれを着る。その袖口にあったはずのあの優しい手。

みんながいない時にふたりで入った狭い浴槽のお湯は、今はもうとっくに抜けて、ひとりぼっちのJohnnyを温めてはくれない。

 

Johnnyは意を決して彼を追い、新しい働き先まで会いに行く。

長距離バスに揺られ、はるばる自らの意思で赴いたくせに、いざとなると肝心なことを何も言えない不器用なままのJohnny。その言葉を誘導しないよう自分を押さえるGheorghe。

仕事中のGheorgheと立ち話出来る時間はわずか。時間切れ間近、Johnnyは勇気を振り絞り彼自身の言葉で精一杯の気持ちを伝える。それはGheorgheを動かし、ふたりの未来を光り輝く方に導いてゆく。

 

***

 

英語で「感動する」は「move」だけど(他にもあるけど)、JohnnyとGheorgheを動かしたものが伝わって来て、薄汚れたBBAですら何度も心動かされて泣きました。

 

恋愛はひとつの人間関係の形態であり、そこに困難、例えば「違い」、性別(ヘテロを正とした時の異であるゲイ)や人種を持ち込めばドラマにはなるけれど、それだけではなかった。

セクシャリティへの葛藤もまた困難としてドラマを彩るだろうけれど、それはまた別の話であり、この映画はその向こう、斜め上に突き抜けてました。

(修正:ゲイにはある時点で「なる」のではなく、潜在的なものが表出/自認されるのだと思っていますので、表現を変えました↓)

劇中のJohnnyはゲイであることを公にこそしていないけれど、そのことに関して既に葛藤はないように見えました。Gheorgheもまた然り。

とは言え葛藤こそ終わっていたとしても、もちろんそのことが彼(ら)の心を窮屈で孤独にする原因のひとつなのは明らかかと。

 

初見時に気になったのが、Johnnyはそちらの方にはおモテになるタイプなのか?でした。田舎の青年ということもあり、また感情を表に出さないことに慣れた表情に乏しい子だったから、自分の中では最初(地味な主役・・)という印象。なのにヤリ逃げのお相手はいつも金髪のカワイコちゃん。話も早い。

この点を呑み友達のその”業界”の人に訊いたところ「彼はモテる。いいモノ持ってる顔してるから」(※あくまで個人の感想です)とのこと。えーっ・・・?もしやあのお鼻??

(尚、本件↑の答えは劇中にあります)

 

それはさておき、序盤のJohnnyはGheorgheに対し、自らの家庭内の地位を脅かすとばかりにまるで敵のように接しているのに、Gheorgheはいつの間に、Johnnyのどこに惚れた、あるいは絆されたのか?特別な好意こそ見せないまでも、忌み嫌うこともせず、澄んだ瞳で見ていてくれたのは何故なのか?同じ「牧場の息子」であるJohnnyへの共感や同情は最初からあったのかもしれません。

 

Johnnyが最初に仕掛けた乱暴なセックスに、後から力で逆襲することも逃げ出すこともしなかったGheorghe。

キャンプ第一夜は頭を逆にしていかにもよそよそしく寝ていたふたりが、事後から、抱き合うでもなく向かい合うでもないまでも、同じ頭の向きで横になっていたのが特徴的でした。しかもJohnnyは無防備にぐっすり寝てました(お疲れ)。その寝顔に澄んだ眼差しを向けるGheorghe。

Gheorgheがあらゆる点に於いて自分より逞しく経験豊富であることとその包容力。そしてそこには一切の計算や卑劣さが無いこと。その真摯さと自分に似た純粋さは、あんな始め方のセックスでもダイレクトにJohnnyに伝わったことでしょう。

 

興味、欲情、敬意、友情、そして愛情。Gheorgheに強く惹かれてゆく自分自身に心を乱しながらも(さすがに)あれきり乱暴は繰り返さず、何も出来ないでいたJohnny。抱き合いたいという気持ちが何故、何処から湧き出て来るのか。自分が本当にしたいのが(いつものような)セックスなのか、彼自身には分からない。だからGheorgheがそれに応え優しく触れてくれた時、Johnnyは少し怯えています。何もかもがまるで初体験かのように。

 

Gheorgheは(語学力とは関係なく)とても無口で静かな男で、訊かれたこと、ルーマニアの牧場の出身であること、お母さんから英語を習ったことくらいしか話しません。

諦念というか、何もかも単なる短期的な雇用関係だという割り切りがGheorgheの心を占めていたとしたらちょっと悲しくなりますが、あのなんでも淡々と出来るところが、故郷を離れさすらって生きてきたであろう彼の、Johnnyには無い強さでしょう。また農場や家畜の様子でSaxby家の努力を察し、ちゃんと敬意を払うところには、一期一会的というか、彼の信条というか本質的な気高さが感じられました。

そしてとにかく優しい。野性的な色気を持ちながら野卑ではない。さらにチャーミング。食事も手際よく作れ、食卓にさりげなく花を飾れる男です。

様々な場数を踏んできたであろうGheorgheのあの大きな瞳は、意地っ張りのJohnnyの中にあるどうしようもないほどの純粋さを、遅くとも最初のセックスから、もしかすると出逢いの最初から見抜いていたような気がします。家族や家畜をJohnnyなりに愛しているように、彼の中には他者への純粋な愛が隠されていると見抜いた上で、それを隠しているのは、それが彼にとって弱さだからということまでを。

そしてGheorgheは、Johnnyにたびたび自分がここに居られるのには期限があることを話し、自分たちはいずれは離れ離れになることを思い出させます。

そうして期限付きだったからこそ尚のこと、GheorgheはただJohnnyと身体を重ねるだけでなく、彼自身の弱さと向き合わせ、自分の愛を受け入れさせ、自分と愛を交わし、彼自身も愛せるようにJohnnyを変えたのかもしれません。自分が居なくても、何か佳きものがそこに残るように、また野に春が巡り来るように。

 

お父さんもおばあちゃんも優しかったなぁ。当然複雑な想いもあるだろうけど、Gheorgheが来てからのJohnnyの変化、彼の笑顔と瞳の輝き、彼の感じている幸せにふたりは気付いていた。だから「Gheorgheを連れ戻してくる」と出かけてゆくJohnnyを、ふたりは暖かく見送ってくれたのでしょう。

幼い頃お母さんと生き別れたJohnnyはおばあちゃん子です。家事も出来ないしどうにも子供っぽい。「洗濯済みの靴下どこ~?」とか言っちゃってましたからw 。彼女がふたりの未来のためにしてくれたあることは、Johnnyには心底グッときたはずです。

 

#日本で公開されたら、おばあちゃんのあの涙について誰かと考察を交換したいところ。Johnnyのセクシャリティを嘆いたものかと最初は思ったのですが、むしろこんな手近で、しかも期限のある悲恋(に見えるもの)に落ちてしまった孫に同情し、それが上記の行為に繋がったのかも、と今は思っています#

 

 

スコットランドのGheorgheの働く農場までやって来たJohnnyは、そこが酪農畜産場ではなく、ジャガイモの大規模生産農場、むしろ工場というに相応しいところなのを目の当たりにします。あんなに賢く優しく家畜に接することが出来る男がそこで汗して働かなければならない現実。英国ではこの映画をBREXITと絡めて観る向きもあるようですが、その人格や能力や経験を顧みられることのないまま、単純労働を移民が担っている現実を、恐らくこれまであの家を、ヨークシャーを離れたことが無かったであろうJohnnyはどう思ったのでしょうか。

 

観ているうちにどんどん劇中のJohnnyが愛おしくなって、ラストに向かってはひたすら応援していました。

 

 口下手なJohnnyは、Gheorgheとの再会で、

「ここに何しに来た?」と訊かれると

「お前に会いたくて」

までは言ってみたものの、Gheorgheが言っていた通りの羊の世話をしてみたよ、羊は元気だよ、なんて続けます。

#(ここちょっと追記します)

Johnnyが羊の話題を持ち出したのは、Gheorgheに必要なものが、このジャガイモ農場ではなく自分のホーム、Saxby牧場にこそあるということをJohnnyなりに必死にアピールしていたのかも、ですね。あの自分勝手だったJohnnyが、お父さんに訊かれた「(自分の)幸せ」の中に、他者であるGheorgheの幸せ(と想像するもの)を組み込み、一所懸命言葉で伝えようとしているその努力!(いやでもまず先に謝んなさいよw)#

 

直球を投げられずどんどんしおしおしてゆくJohnnyは挙句

「Why did you just leave?」なんて聞いてしまいます。

初見時、字幕無しだったこともありこの台詞を「Why did you leave?」と聞き(ちょ、お前どの口が・・・)と呆れたのですが、これ、justがすごく重要では・・・?

原因は全て自分の愚かさだとJohnny自身で受け入れ、大いに反省している。お酒もやめた(!仕事終わりに冷蔵庫のビールを飲まなかった!)。だからこそ、出て行ってしまう前に何かチャンスが欲しかったことを伝えている?のかな、と。Gheorgheは怒りに任せて自分を殴ることも、言葉で詰ることもしなかった。悪いのはなにもかも自分の方なのに。

もちろん感謝さえちゃんと伝えていない。あの頑固で不器用なお父さんすら、言葉にしてくれたのに。

どうしてただ出て行ってしまったのか。この自問のような質問に、Gheorgheはその美しい瞳で射貫くようにJohnnyを見つめるだけ。それを見て目の前の大切な相手をどれだけ傷つけ失望させたのかを(再)確認し、頷くと俯いてしまうJohnny。

Johnnyの口からは、多分それが一番この場にふさわしいはずなのに、「I love you」が出てこない。それどころかpleaseから言い始めることも出来ないし、ごめんなさいも言えない。でも仕事に戻ろうとするGheorgheをなんとか引き留めると、ついに堰を切るように思っていることを素直に、彼らしい言葉で一所懸命に言うのです。全部  I want you to~(構文!) で、涙を堪えながら必死に。そして I don't want~ という彼らしい言い方ですが

「もうあんなクソみたいなことはしない」と言うと

「I want to be with you. And that's what I need to say」。

やっと、やっと言えたよこの不器用ツンデレめ(涙)。

 

もちろん、あのラストの向こうには多くの苦難、困難があることでしょう。

でもあのふたりなら大丈夫。そう思える、力強い”筆力”の映画でした。

 

携帯の電波も入らない僻地の牧場、下りた小さな街のパブでは余所者のGheorgheへの冷たい視線。そんな時代に取り残されたようなあの場所でも、まさかの同性婚は出来るんだよなー。これだけ物質に溢れた日本では出来ないのに。なんだかそのことにもしみじみしました。

ふたりが制度的にどうするのかはともかく、末永くお幸せにと極東から祈ってます。

 

ちなみに腐女子的感想を敢えて書くと、Johnnyには気持ちの変化に合わせて、”ポジション”の変化かその挑戦があったのではとゲスパー。なんか暗示的な表現もそこここにあったし、恋を知ったJohnny、可愛くなりすぎだった。ツンあればこそのデレではありますが、デレ過ぎです。キャンプ中は地べたや干し草の上でいたしてたからか、家に戻った途端ベッドでしたくて甘えて誘うところと、毎回朝チュンシーンの顔がむくんでめちゃくちゃぐったりしてるJohnnyが特に☺。

 

英語に関してはヨーキー訛りが本当に難しかった・・・。summat=somethingだってGoogle先生(「Google翻訳」アプリの方)には出なかったし。Summat以外にもAyeとかNowtとか。「t」何処いった「t」は?になりました。

あとTa=Thanksは知ってました。若者言葉なのかと思ってましたけど、ヨークシャー言葉なのねー。

(作品の内容に☆つける気は全くないけど、英語の自分的難易度は残そうかしら?)

聴き取りは困難でも登場人物は少ないし、プロットもシンプル、何よりみんな口数少ないのが救いでした。

 

 【中の人】

映画が評判になって、中の人たちがモード雑誌や広告に出たりする流れが大好きです。

Johnnyの中のJosh O’Connorくんは、映画を観たLoeweのクリエイティブディレクターでもあるJ.W.アンダーソンに見初められてキャンペーンにも出たそうです。

「loewe josh o'connor」の画像検索結果

ボヴァリー夫人」の表紙もこの写真もスティーヴン・マイゼル氏。おお、Johnnyがこんなに垢抜けて♡

 

こちらは、服装は普通ですが雰囲気があって素敵。こういうロマンティックな物語の中の人には、いつまでも再会の度にイチャイチャして欲しいです。

関連画像

それにしてもホントみんなお芝居巧い。主演ふたりが自分的に無名ということもありますが、キャラクターそのものに見える。西ヨークシャーに行けば会えそうです。

(訂正に次ぐ訂正)

Joshは2017年から英国ITVの大河ドラマ「The Durrells」に、主人公の亡夫と長男の二役で 長男の作家ロレンス・ダレル役で出演していて、今年シーズン3もあるそうです。全然無名じゃない!ごめんなさい。あと、このドラマの紹介去年渡英時に観てました(反省)。

(追記)

そしてワタシは円盤を取り寄せ「The Durrells」S1-3全部観ましたが、Joshはとってもチャーミングな役でした。これから放送のS4で終了が決まっています。末っ子三男ジェラルド・ダレルの”コルフ島三部作”をベースにしていますが、ドラマの主役はお母さん。コルフ島の美しい風景と人々、1930年代の文化、家族の絆。とっても見ごたえあり、笑顔になれるドラマです。記事にしようかな。

 

 

2018年のBAFTA、残念でしたがノミネートされるべき映画を一応ちゃんと取り上げてくれてくれたのが嬉しかったし、こういう写真もっと下さい。(2/19 Joshのインスタから追加)

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 完全にcouples goal, husbandsです。ご結婚おめでとうございます🎊

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Do not call me that.
I know what you're doing.
I will fuck with you.
Do we understand each other?
Good.
Now we can get on with the work.
Yes?
Yeah.

Read more: https://www.springfieldspringfield.co.uk/movie_script.php?movie=gods-own-countr

【注文と納品】

1月中旬に予約、UKの発売日1/27に現地発送、2/7に受領。UK PAL2 DVDで8.32GBP。配送種別は一番安いStandard。送料は他の注文品と合算なので後述予定。

特典映像は削除シーンと追加シーン。

特典映像を観ると、この映画にはどんどん台詞や説明的な表現をそぎ落として演者の無言の表現に比重を置いた努力があったことが伺えます。

 

====国内後日談など====

 

【ついにスクリーンに!】

2018年7月13日と15日にイベントで上映されました!

東京国際レズビアン&ゲイ映画祭はいつの間にかレインボーリール東京(RRT)に名前が変わり、今年のオープニングにこの作品が選ばれました。

邦題は『ゴッズ・オウン・カントリー』!

・・・まんまでしたね。でもヘンテコ邦題にされるよりは全然良かったように思えます。

その初日に青山スパイラルホールで観ることが出来ました。

映画館ではないので椅子が固かったり角度がアレだったりしたのですが、大スクリーンで350人と観るこの作品の壮観なこと!

特に音響は割れる限界まで頑張ってくれていたようで、最初のシーンの轟々とした風の音に驚いたものです。この映画はロマンティックなシーンでもBGMが付かない作品で、いわば風の音がBGMですが、特に前半の荒涼としたJohnnyの心象に相応しい寒々とした野を駆ける風の容赦無い音は、家庭のAVでは再生出来ないものかと。

室内のシーンは照明が粗末なランプだけだったり画面がとても暗いのですが、スクリーンだともう少し明瞭でした。ひとりGheorgheの去ったバンで荒れるJohnnyの表情の複雑さ、その変化!

 

【再び、今度は劇場のスクリーンに!】

RRTのアカウントからまさかの朗報、それは「のむコレ」でまたこの映画が上映される!というものでした。

新宿と心斎橋のシネマートで4回+1回の計5回。ええええっそれだけ・・・?

最初の告知から随分立って、先ず日程、それから上映開始時間スケジュールが出るまで、その間とてつもなく待たされた感がありました。ジリジリジリ・・・しかし!そんな中こんな事実を知りました。

『どうやらRRTのプロデューサーの人が個人的に買い付けて、なんとか5回だけ上映出来る運びになったらしい』

その経緯は以下の通り☟

www.cinemart.co.jp

 

これが洋画買い付けの実情・・・(うなだれ)。

ええーい、じゃあ各回満席になれば次のステップに行けるんじゃないの?!やったるわぃ!!

ということで、ワタクシも微力ながら出来ることをと思い、万障繰り合わせて東京での4回全て観て参りました。

もちろん、葛藤もありました。円盤で観てるんだから未見の方に席を譲るべきなのでは、と。

でも、もしもう劇場で観られないかもしれないなら、1回でも多く見たい!

己の欲求>遠慮=配慮

これが結論でした。ごめんなさい。

実際の各上映2日前の24時からのチケット争奪戦については、熾烈ではあり席を選ぶ余裕こそありませんでしたが、システムの脆弱さもあってか「観たければ買える」スピードでした=売り切れまで一定時間ありました。なので、地方から購入して参戦の方もありました。そのことにホッとしつつも満席を熱望するアンビバレンツが毎回自分の中にありましたが。

とは言え。この映画に関しては「チケットがもし残っていたら観たいかも~」という悠長な「たられば」では観られないほどの前評判だったのは実際です。立ち見の方もたくさんいらっしゃいましたね。

12/2,5,17,19と回を重ねるごと、客席の様相はRRTを思い出させるそれから普通の映画館のそれに・・・というと分かりにくいでしょうか。”イベント参加”ではなく、普通に”評判の映画を観に来た”体の、幅広い客層の方がいらしていたことが、なんだかとても感慨深かった。

村井さん、関係者のみなさん本当にありがとうございます。

 

 【日本語字幕の話】

 

英語字幕で先に何度も観てしまうと、この英語力でも気になる日本語字幕ですが、口数の少ない登場人物のポイントを押さえ、これまた文字数の少ない字幕に落とし込んでありました。その分、繰り返し観てしまった者としては少々ぶっきらぼうが過ぎるかな、とも。

※以降は日本語字幕に関することですので、台詞を書いておりネタバレしています。当然ですが自分の解釈が正義ではないので、ご意見いただければ嬉しいです。英語字幕は主にUK版から拾ってきています。

※※翻訳担当の方は、この作品にとても強い想い入れを持って、文字数制約のある中で、プロとして字幕を作成いただいていることは十分承知しております。批判的な検証をしたいのではなく、翻訳の難しさ、ふたつの言語の隙間に落ちてしまいそうな小さなニュアンスについて、あくまで個人的に感じた記録として下記に挙げます。

 

①Gipsyも十分差別的ですが、序盤でJohnnyがGheorgheにするGypo呼ばわりも字幕が「ジプシー」でした。よりキツいので、強いて言えば、「ジプシー野郎」?

からの、体を拭いているGheorgheに言ったのは「ケツにギア入れて急げよGypo」なので、そりゃ怒られても仕方ないよJohnny。

 

②無理矢理な最初の一戦(あるいは複数?)明けの朝、Gheorgheの(お前なんなんだよ、まったく)な視線にJohnnyがポットヌードルにがっつきながら言う「I'm starving, me」がシンプルに「腹減ってんだよ」でしたが、ここは前夜の言い訳とのWミーニングで「飢えてんの、俺は」とうそぶいてるのでは?

まぁ、言い訳にはもちろんなってないし、Johnnyの(この時点での)セックス感がよく現れているというか、時制が現在形だったり、まだGheorgheとの力関係をギリ対等くらいに勝手に思っていたであろう厚かましい感じが見て取れます。

 

③石垣を直すふたり。Gheorgheの言葉は「うちの農場が恋しいよ」という字幕でしたが実際は

「When I was a kid, I thought I'd never leave my farm」

 と言っています。

「子供の頃にはうちの農場を離れるなんて思いもよらなかった」。

つまり、大人になってから農場を離れなければならなくなった、と。これは後のバーでのシーンでGheorgheがする過去の話の前振りなのでは?

 

④②の翌日の夜、焚火の前で塩(砂糖説もあり)を(チョーダイ)したり、視線を交わしていい雰囲気になったのに、当惑したJohnnyは食べかけのポットヌードルを持ったまま先に寝床に向かいますが、その時小さな声で言った「(good) night」の字幕は「寝る」でした。いや、そこはもう既に可愛くなっちゃって「おやすみ」って言ってるんだぁぁぁ!と自己解釈。

 

⑤バーでJohnnyに、英国にはひとりで来たのか?と訊かれたGheorgheは「Yeah...There was someone once, but...」と返します。someone、と性別素性をぼかした言い方ですが字幕では三歩進んで「恋人がいたけど...」でした。ううむ、直訳ではなくJohnnyの理解のままの字幕ですね(そしてここから一気に酔いが進みあんなことに)。

 

スコットランドのジャガイモ農園での会話。上記記事の通り、GheorgheにJohnnyは他愛ない風の羊の話題からなんとか始めて、「Why did you just leave?」と聞いていますが、まぁ、字幕だと「なんで出てった?」でした。ぬーん・・・。こういう『抜いても意味が通るところにあえてある単語』を気にし過ぎなのかしら。

 

⑦⑥の後の沈黙に続いての会話で、Gheorgheの台詞は「来るべきじゃなかった」とJohnnyを突き放した字幕でしたが、「You shouldn't have come」の後には「I’m not the answer」と続けてくれていて、やっぱりGheorgheはこの段になっても優しくて、ほんの僅かではありますがこの膠着(塩対応)打破へのヒントのようで、Johnnyに対して決定的に残酷には振舞えないんだと思えます。

 

「I don't wont be a fuck-up anymore」を「変わりたいんだ」としたのはプロならでは、自分には思いもつかない妙訳です。

でも、過去の自分と自分のしてきたことをJohnny自身が「fuck-up」だったと言えたことは、『ここから変わりたい』願望ではなく、もう既に変化の顕れなのでは?

その上で泣き出しそうな自分に腕を伸ばし抱き寄せようとしたGheorgheに

「No, Leave me, I'm fine」と言って断ってまで自分の言葉を最後まで言わせてもらうJohnnyのその成長にこっちが先に泣きましたが。

 

GheorgheがJohnnyを「君」って呼んでいたり(かわいい)、ラストのJohnnyの想いの籠った言葉「I want to be together」を次に来る最後のもうひと言が効くように、重ならないように「離れたくない」と訳していたのはプロのセンスだなーと感心しました(膝打)。

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これは映画撮影時のスチル写真ではなく「i-D」の記事の為のフォトシュートだそうです。優しい陽だまりとふたりの表情が物語の続きみたいで素敵です。

 

RRT、限定上映各回を満席にしたこの作品、これからどうなるのでしょうか。個人的に監督以外が画面を編集する行為なので「修正」は大嫌いなのですが、しないとレーティングにかかるだろうことはさすがに承知しています。承知したけど納得は出来ないので、無修正に戻して本国同様のR15で劇場に掛けて欲しいなぁ。円盤は当然として。

・・・という記事を書いた翌日のクリスマスに、なんとついに全国公開が決まりました!!予言か!?