Not Yet ~あの映画の公開はいつですか?~

主に国内未公開&未発売の映画の話など

「Call Me By Your Name」原作本:終わらない初恋の物語

評判の映画、「Call Me By Your Name」は「君の名前で僕を呼んで」というド直訳邦題に決まり、4月末に公開とのこと。その頃原作の邦訳も出るそうですが、そんなには待てない。無理。

ということでUS Amazonから買いました。いらっしゃいませ~。

「call me by your name」の画像検索結果

恥ずかしながら、これまで読んできたペーパーバックは全て邦訳を先行読了済み、もしくは映画版鑑賞済みだったので、この英語力ではある意味冒険&挑戦?

でもこの原作が

・主人公の一人称

・回想形式

・文字大き目=中編

であるということと、既に映画の情報をいろいろ仕入れていたのでプロットも把握してるし、まあ大丈夫でしょう、と。

結果は、ある点では大丈夫でした。だって妄想はお手のもの。前後の文脈と描いた妄想で補完できました。

もちろんエリオはティモシー(ティモテ)・シャラメくんだと脳内映像(三白眼大好き♡)、そしてオリバーアミハマことアーミー・ハマーのつもりで読みました。ただし、もうちょっと若い時、王子様役の頃の。

その点で映画公開時に物議を醸したらしいですが、原作のオリバー(24)に対してアミハマ(31)は確かにちょっと歳を取っている。でもオリバーはみんなに「映画スターみたい」と思われるアメリカンな美青年。丁度いいじゃん!それに身長差というか釣り合いも重要。ティモシー君は細くて撫で肩のしんなり体型だけど、何気に長身で185くらいあるとか。アミハマは2m近いので並んでる映画のスチルを観る限り、より華奢な少年に見えてますますとってもいい感じ。だいたいアミハマの胸毛も後姿がどーんとしてるのも、別に今始まったことじゃないような。だから文句無し、ドはまりの配役だと思ってます。

「Armie Hammer」の画像検索結果

これはGQ Styleからの写真ですが、ふたりともすごい目力と色気。

 

ちなみに原作中、17歳時点のエリオ自身の容姿については書かれていなかったような。大人になったらお髭があるようだったけれど、回想録形式で主人公が自分のことを美少年だとわざわざ書くのはやっぱりアレなのかと。外見に関して特にコンプレックスは無さそうなので、それが彼の容姿レベルのひとつの答えでしょうか。

 

大丈夫じゃない点も結局は単語力でした。物語の概要は分かるのです。しかし、細かい機微に至ると・・・む、難しい・・・。

エリオは大学教授の息子という恵まれた環境の子で、語学も堪能で哲学書から文芸書まで読む大変な読書家。ピアノもギターも弾けます。

そんな彼の回想は、大人になった彼がしているわけで更に難解な言葉や成熟した表現がスラスラと出てきます。(なんでその単語を選ぶかね)(Google先生タスケテー)と思いながら必死で読みました。

でも、エリオのこういうインテリなところは、彼の恋心を理解する上で重要なキーでもありました。恋をした彼は、その気持ちを自分の中で理解するために、ますます複雑な表現で思考を重ねます。それは彼にとって初めての経験であり、未知の作業だから。

彼は「感じたこと」「分かったこと」をその知性で必死に撚り分けながら、彼の中で永遠になるこの初恋に落ちてゆくのです。

 

読後に著者のアンドレ・アシマンさんのTIFFのイベント登壇時のコメントを読んで膝を打ちました。

"Intimacy is strange: It's the ability to be completely ductal to another person, who basically pours into you, and you pour into them. It's the absence of complete shame vis-à-vis each other."

「性愛は不可思議です。他者と完全に繋がることのできる力であり、注ぎ込まれ、また注ぎ込む。互いの間には全く恥が存在しない」

 

まさにこの小説は、美しい風景の中でエリオとオリバーが出会い、アシマンさんの言う「absence of complete shame(完全なる羞恥の不在)」たる「intimacy(親密な関係)」を、ひと夏の短い間にどう構築したのか、それが現在のエリオの中に何をどう残しているのか、という極めて内省的な回想録だと自分の中で腑に落ちました。

 

正直に書くと、一読目には前半1/3は、市販のAVを早送りで観る中学生のように「いいから早よやれ」などど思いながら斜め読みでした。アシマンさんごめんなさい。

でも事が起き、タイトルチューンが出てからは1文字も落とさず穴が開くほど読みました。

そこで気付いたのです。主に前半に散りばめられた、エリオがオリバーの前で「恥」を感じるいくつかのシーンが、ふたりの結びつきをより強くしていることに。さらにこのふたりにはいくつか共通の性癖=フェティシズムがあり、その奇跡的な一致もまたお互いを離れ難くします。性癖に「刺さった」のです。

セックスは、コミュニケーション手段としては極めて独特です(断言)。

当然ですがひとりでは成立せず、原始からある本能的な行為で、その姿は無防備で滑稽でさえあり、全く理知的なものには見えません。裸を晒しあい、性癖を暴き合い、快楽で恥を越えようとする身体的な挑戦でもあります。ふぅ(息切れ)。

そして基本、秘密の行為です。ふたりで(とも限りませんが)秘密の王国を創り、そこに閉じ篭り執り行います。共通の性癖は、その王国のさらなる奥の間に入るための合言葉や鍵のようなものでしょうか。

でもその秘密の王国に、皮膚感覚でその時「感じ」消えてゆくものだけでなく、理知的に「分かる」もの、共感のようなもの、あるいは愛と呼ばれるものかもしれない何かがその生まれれば、それは身体を離し、身体感覚が消えても残ってくれる気がします。

逆説的に、セックスだけ覚えてる相手には、要するに思い出として遺せた他のことが無いという法則。まぁ、それはそれでひとつの思い出ですけれど。

 

以下に各章のエピソードをちょっと挙げますが、自分的にはこのふたりの「恥」や「性癖」への感覚が顕著なところを抜き出すことになりそうです。

 

実はこのタイトルも、これが現れるまではなんかこう・・・

「ちょいと概念的過ぎやしませんかね?」と思っていました。詩的で音も良いけれど、何それ楽しいの?気持ちいいの?みたいな。

「自分の名前で相手を呼び、相手からも相手の名で呼ばれる」ことは、性的な”プレイ”になりうるのか?それで興奮出来るのか?どうにもはっきりイメージ出来なかった。

(でもトレイラーではアミハマがこの言葉をあの声で、ベッドでセクシーに囁いてる)

果たしてそれは杞憂に終わり、名前を交換する行為は十分に性的で官能的な行為として書かれていました。ただし、思うにそれはあくまで、このエリオという知性と好奇心に溢れた少年と、哲学者であるオリバーの組み合わせだから成立した非常に高度で高級な行為、つまり神々の遊びでした。

そしてこの名前の交換の持つ”効果”が示される場所は、ふたりが密かに睦み合うベッドの中だけではありませんでした。

これはふたりが交わした、いくつかあるふたりだけの秘密の暗号のうちの、最も重要で永遠のものになるのです。

 

そして後半最終章。時間を経たふたりの物語を泣きながら読んでから、また最初に戻りました。これでアシマンさんは許してくれるでしょうか。そうして何度も読み過ぎて擦り切れたペーパーバックには付箋だらけ。好きなシーンに貼ってあります。非公式だけど原作Botも拾ってます。ちゃんと全部、本当に隅々まで読みましたよ!アシマンさん!

 

(会社の英文資料もそのくらい熱心に読めよ!と言う上司の声が聞こえるようです)

 

***

ここからさらにネタバレします。

全訳をするつもりはないので、各章で自分がキーになると思ったところだけ、ざっくり抜粋し感想を書きます。我ながら残念ですが、訳としてはおかしなところがあるかと。

※以下はあくまで原作の話題です。映画では何処がどう使われているか未だ知りませんが、スチルを見る限りあのシーン♡やらこのシーン♡やらはありそうですね。

尚、わざわざワタシが割愛した訳ではなく、この作中では性行為そのものの生々しい表現は殆どありませんでした。下品に寄せていやらしく書くことは避けてある、とも言えるかと。その代わり、エリオくんが急にさらっとすごいことを回想するので(そ、そんなことまでしたのか小僧・・・)とBBAは毎回驚きました。

***

[part 1] If later, when?

80年代半ば。夏休みをリヴィエラの別荘で過ごすエリオの前に、大学院生オリバーが現れる。エリオのお父さんは大学教授で、毎年こうして居候を招くのが恒例。

ハンサムで快活で社交的なオリバーは、直ぐにみんなの人気者になる。口癖は「Later!(また後で)」。

オリバーが気になるエリオ。

ジョギング、自転車での散策、プール、テニス。夏にこの別荘で出来るアクテビティを楽しく一緒にこなしてくれる活発なオリバーは、レオパルディの話題もさらりと出来るし、新進気鋭の哲学者として、ヘラクレイトス研究の自著は翻訳本の出版準備中でもある。村の女たちも、もちろん彼を放っておかない。

 エリオは彼とこれまでの退屈な居候達、今まで出会ってきた人との違いを考え、彼の放つ魅力を分析する。そして自分の中に、彼に向けた秘密の欲望が湧き上がっていることを自覚する。

 

オリバーと自分以外の皆が海に出かけていない静かな日曜の昼、エリオはベッドでひとり夢想する。

(もしオリバーが僕の部屋に来てくれたら)

その夢想はふいに現実になり、オリバーが部屋に入ってくる。

ふたりはアレルギーがあって海には行けないというお互いの意外な共通点を知る。

オリバーはプールに誘うけれど、エリオは気が進まない。ひとり妄想の続きをするか、いっそ目の前のオリバーに、妄想をすべて現実にして欲しいと密かに思いながら断る。

オリバーが部屋を出てからエリオは気付く。自分はさっきの夢想ですっかり興奮していて、履いていた水着の前が濡れていたことに。だからオリバーはこれからプールに入ろうと言ったのだと。

 

次の日、テニスのダブルスが終わり、オリバーがエリオの肩に触れ、マッサージするような仕草をする。エリオはそれを身を捩って躱したけれど、その体験を「swoon(恍惚)」だったと日記に書く。

 

オリバーがいることがエリオの日常になる。

朝食後の芝生の上やプールサイドで交わす、ふたりにしか分からない会話のやり取りの繰り返しにエリオは幸福を覚え、ときめく。そして夢想を繰り返す。

でも彼がここにいてくれるのはこの夏の6週間だけ。

 

[part 2] Mone's Berm

オリバーが使っている部屋は、エリオの部屋とはバルコニーで続いた隣にあり、滞在客のいない普段にはエリオが使っている。エリオはその勝手知ったる部屋に忍び込んでは、オリバーの服の匂いを嗅いだり、ベッドに寝転がったりする。夢想や妄想はますます加速する。どうか夜の暗闇の中、自分の部屋に忍び込んで欲しい、そして自分の何もかもを奪って欲しいと思う。

ある日エリオはオリバーの外出に着いて行き、遺跡を見ながら言葉を交わす。

エリオの史実への深い造詣と語学力にオリバーは感嘆して言う。

「君はなんでも知ってるんだね」

「僕は何も知らないんだ、オリバー、何も。本当に何も」

「何も?」

「あなたや皆が知っているようなことは、何も」

「どうしてそれを僕に、こうして全部話してくれるの?」

「知って欲しいから。あなたには。あなた以外に言える人はいないから」

「自分が何を言ってるか、分かってる?」

このやり取りに、エリオはオリバーが当惑を感じていると思いそう言うと、オリバーは少し憤慨した様子を見せる。

エリオはもう口を噤むことにして、オリバーを自分のとっておきの場所、岬にある”モネの土手”に連れて行く。モネがデッサンをしたという、別荘と海が見渡せる、秘密の小さな丘。

眺めを楽しみながら、ふたりはさっきの会話を突き詰めてゆく。オリバーは博識なエリオの大人びて少し屈折した自己認識と他者認識を少しずつ、カウンセリングのように解きほぐし、自己肯定に導いてくれる。

心の距離も、並んでいる距離も近づき、ふたりは口づけを交わす。誰もいない場所で、それ以上に進むことも出来たのに、オリバーは中断する。

 

その後、ランチで隣の席に座った時、エリオはオリバーの足の感触を妄想し、少しだけ足先でその足に触れる。するとオリバーは自分の足を、撫でるようにエリオの足の下に滑り込ませてくる。

妄想がまた現実になり、エリオは鼻血を出してテーブルを離れる。今にも射精してしまいそうに興奮していることをなんとか隠しながら。

何故自分の妄想がオリバーに伝わったのか混乱するエリオは、彼から少し離れなければと思う。

タイミングを同じくして、エリオはマルシアと仲良くなる。他愛の無い会話と若いセックス。いかにもな、思春期の男女の夏の交際。

 

オリバーもまた自分と距離を置くようになったことに、エリオは傷つく。

でもマルシアが自分に対して、わざと急にそっけなくしたりするのを見て、オリバーもこれと同じ駆け引きをしているのではと思う。

 

「君は僕のことを好きなの?」と訊かれたエリオは思わず

「I'm worship you(崇拝してる)」と答える。

 

エリオがオリバーに夢見ることは、ますます具体的な願望になってゆく。(僕は誰かとこれをしなくちゃいけない。他の誰かとそれをするくらいなら、彼が良いんだ)

夢の中で彼が繰り返し言う「You'll kill me, if you stop」という言葉がエリオを覆う。これは彼の言葉なのか、自分の懇願なのか。

 

何度も何度も、ほんの2行の文章を推敲して、勇気を出し、エリオはオリバーがジョギングに出て行った朝の部屋のドアの下にメモを差し込む。

『沈黙に耐えられない。話がしたい』

朝食後、部屋に戻るともうオリバーから返事が来ている。

『Grow up, see you in midnight』

待ちきれないエリオは、ランチの後、マルシアと自分の部屋でセックスする。隣の部屋では多分オリバーが昼寝をしている。わざと聴こえるように音を立ててみようかとも思う。

 

深夜になり、現れないオリバーに、エリオは彼の部屋に向かう。そして翌朝まで過ごす。

オリバーの提案でふたりはお互いの名前を交換して呼び合う。そのことにエリオは陶酔する。自分と彼の肉体の境界が消え、していることもされていることも共有しているような感覚を覚える。

 

朝になり、シャワー代わりにふたりで泳いでからそれぞれの部屋に戻り、エリオはまた少し冷静になる(賢者タイム)。夢想していたことをすべて実現してしまったら、その後はどうしたら良いのか?経験したからこそ、無かったことにする、そしてもう二度としない選択肢も生まれる。

 

朝食の席に着くと、遅れてオリバーが現れる。エリオの水着を履いて。それに気づくのはエリオだけで、自分の水着に彼のそれが触れていることに強い興奮を覚える。彼の手、彼の足。昨日の夜を鮮烈に思い出しながら、無かったことにはもう出来ないのだと思う。

 

食後、郵便局に行ったオリバーをエリオは追う。エリオのそんな態度に、オリバーは嬉しさを隠さない。

エリオはその耳元に囁く。

「Fuck me, Elio

 

 #以降🍑桃案件*注意*#

昼寝の時間。エリオはひとりベッドで桃を眺めながらオリバーが良く着ているあの赤い水着、家事をしてくれる地元の人達と一緒に果実を捥いでいたあの後ろ姿を思い出す。彼の尻。

エリオは悪戯心で桃の種を刳り抜くと、それを使って自慰をする。そして使ったそれを放り出したまま微睡む。

ふいにオリバーが部屋に現れ、裸のエリオと桃を見つける。取り繕うエリオ。オリバーは状況を理解し、桃を手に取るとそれを割って食べ始める。やめて、吐き出して、と懇願するエリオにオリバーはそれを食べ続けながら、エリオのしていることは自分が原因ではないか、これからはふたりの間にある何もかもを隠さず話して欲しいと言う。

エリオは複雑な陶酔を覚えて言う。

「全部食べ終わる前にキスして」。

 

ふたりはお互いを初めて出逢った日から強く意識していたことを改めて告白し合う。

オリバーは仕事の予定が変わり、2週間早くアメリカに帰ることになってしまう。

時間を惜しむように、ふたりは毎日一緒に目覚め、泳ぎ、昼寝をし、会話をし、お互いを探検するように身体を重ねる。

***

先のエントリーの「God's Own Country」もそうでしたが、エリオとオリバーは、そのセクシャリティには迷いや葛藤は無いように見えます。周囲にはヘテロに振舞い女の子とデートしますが、ふたりとも自覚的なバイセクシャルです。

エリオには過去、行きずりの男に迫られたことがあり、それが悪い噂になっていることは気にしているものの、悩みというよりこの経験を自身のセクシャリティと魅力を知るきっかけと捉え処理しているように感じました。

 

エリオはオリバーに対し、ガールフレンドのマルシアとのことを隠すつもりはない、と明確に考えています。何故なら彼曰く「パン屋と肉屋は競合しない」から(すみません、ここ爆笑しました)。

エリオはオリバーに恋する地元の女子に関して、(かつてその子と自分も何かあったと読者に匂わせつつも)付き合っちゃえば良いとか、いっそ知ってる女全員と寝てたら良いのにとか思ってみたりするくせに、巧みに妨害して蹴散らしたりもします。

 

更にふたりはversatile(リバ)でもあります。エリオは「昨夜、初めて上にしてもらえた」とかあっさり言ってました。あんなことやこんなことも試したようです。

本書はエリオの視点なので、オリバーの過去の性的な経験については書かれていないのは、つまりそれについてエリオは全く興味が無かった、ということでしょう。7歳年上の彼の魅力を考えれば、どんな経験もあって当然と予想していたということでしょうか。

 

未だそういう仲に進んでいないある夜、オリバーが夕食になっても無断で帰らず、釣りに出て船が転覆したのではないかと皆が心配する中、エリオはひとり密かに浜辺に打ち上げられたオリバーを発見する妄想をします。片想いならではの残酷な妄想ですが、もしそんなことになったら、最も望む形でないにせよ、オリバーを永遠にエリオの中で『終わらない初恋』に出来ると思ったのでしょうか。

 

1-2章ではエリオが繰り返しする夢想と実際に起こった(と思える)ことの境界が曖昧に書かれています。上に上げませんでしたが真っ暗な部屋にオリバーが入ってくる未遂エピソードは特に夢の中のようでした。

 ***

[part 3] San Clemente Syndrome

オリバーは、イタリアに居られる最後の3日をローマで過ごしたいと言い、それにエリオも同行する。

3日間の夢のような時間。人目を憚ることもなくずっとふたりは一緒。街に出掛け、オリバーの書籍の関係者や街の人、旅行者たちと飲み、知的な議論を交わし、歌い、深夜の街角で口づけを交わす。

***

ここは抜粋のしようもないのでこれだけです。ふたりにとって最高の思い出となる3日間をローマ(と直接描かれませんがサンクレメンテ島)で過ごします。夢見ていた関係が結ばれ現実となり、ふたりに起こったことが綴られますが、そのすべてはまさに夢のように美しく、かつてない細やかさで描写されます。

 

エリオはオリバーがいつも着ているシャツ通称「Billowy(しわくちゃ)」が大好きなのですが、これを思い出として別れの際に貰うことと、それまで毎日着てくれるようにお願いします。下着も交換して履いていて、ふたりだけの時はお互いを自分の名前で呼び合います。

ふたりは高級ホテルの同じ部屋に当然のように泊まりますが、これがエリオのお父さんの計らいだったりするのがすごい。

4章がクライマックスなので、さらにさらにネタバレします。

***

[part 4] Gost Spot

 

ローマから戻ったエリオの日々。

 

エリオとその両親に約束した通り、夏と同じ年末にオリバーが再び別荘にやって来る。エリオに触れようとしないオリバーは、春に結婚をすることを告白する。

 

次の夏が来て、また違う居候がやってくるけれど、エリオには何の関心もない。

知らせを受けた家族と一緒にオリバーへの結婚祝いを贈るエリオ。

同じ夏、オリバーとも仲良くなった、エリオの親友のおしゃまな少女ビミニの訃報をエリオが手紙に書くけれど、オリバーはアジアに居て、さらに返事はイタリアの住所に出してしまう。運命的に、あるいは意図的にふたりの距離が離れて空白が訪れる。

自分の人生はオリバー以前/以後に分断されてしまった、とエリオは思いながら過ごす。

 

最後の手紙から9年経った夏に、アメリカにいるエリオのところに別荘の両親から電話が入る。

「今、誰と一緒かわかる?」というママ。

彼の小さな息子たちの嬌声を背後に、オリバーが電話口に出る。

「エリオ?」

呼びかけるオリバーにエリオは

「エリオ」と呼びかける。オリバー

「エリオ、オリバーだよ!」と応える。

時間が痛みとしてエリオの上を過ぎてゆく。

 

あの夏から15年のある日、エリオは大学での講義を終えたオリバーに声を掛ける。

「誰か分からないかもしれないけど・・・」

少しの間の後、オリバーはエリオに気付き、その名前を呼び抱きしめる。少年だった彼の頬を覆う髭に触れる。

ただ声を掛け、自分を思い出してくれればそれでよかったエリオに反して、家での夕食に誘うオリバー。断るエリオに

「君は僕を赦してはくれないだろうね」とオリバーは言う。

「赦す?赦すも何もないよ。何かがあるとすれば、良いことしか思い出せない」

模範的な受け答えをしながらも、オリバーの家に行くわけにはいかないと思う自分を、エリオは説明できない。同じ頃に同じニューイングランドに居たこともあったけれど、エリオはオリバーに会いに行くこともしなければ、偶然すれ違うこともなかった。エリオの中ではオリバーはいつも離れたイタリアにいるように思えていた。

見せたいものがあると、自分の教務室に誘うオリバー。その途中、彼は同僚にエリオを紹介する。オリバーが説明するエリオの経歴は詳しく正しいもので、自分のことなんかもうすっかり忘れているだろうと予想していたエリオは感動する。

そうして訪れたオリバーの教務室はあの夏のイタリアの思い出の品々で溢れていた。

 

ふたりはエリオのホテルのバーで飲むことにする。オリバーは時を経ても若々しく魅力的なままだった。

「僕は呑もうって言ったんだよ。Fuckじゃないよ」エリオは牽制する。

ふたりは素直に再会を喜び合う。そしてお互いの一番の思い出を尋ね合うと、それはやはりローマでのことだった。

 

「もしできるなら、また同じことをする?」しみじみと尋ねるエリオにオリバー

「また始められるなら二度目も、そしてまた三度目もするさ」と微笑み答える。

そしてこうして時間を経たお互いと向かい合うことは、まるで「長い昏睡から覚める」ようでも「並行世界を思う」ようでもあると語り合う。

エリオはこれを言うためにこの時があると思い、思い切ってオリバーに告げる。

「あなたは、僕がこの世を去る時にさよならを言いたいただひとりの相手だ」

 

オリバーも秘密を明かす。教務室にあった額装した絵葉書。エリオが贈ったそれに彼が書き込み、誰にも見せていない言葉は、あの遺跡の前でした会話、メアリー・シェリーのあの言葉だと。

 

ひとりになったエリオはこの再会を反芻する。

あの場で何もかもを話し合えたけれど、それはずっと分かっていたことを確認する作業だったと。自分たちはお互いという光り輝く星を見つけ出した。そしてそれは唯一無二であると。

 

また時が過ぎる。エリオのお父さんの訃報を受け、オリバーがイタリアの別荘を訪ねてくる。変わらず皆に歓迎されるオリバー

懐かしい風景の中を20年前のあの夏のように一緒に歩く。それぞれに追憶と現実とを行き来しながら、エリオはオリバーが言うのを遠くに聞く。

「君が好きだ。すべてを思い出したよ」

もしそうなら。ただひとつの言葉をエリオは心で乞う。

 

***

「この夏」という、少し前の過去の体裁、主観者のいる時点と文章の時制が限りなく近づいたエピソードで、小説は終わります。

 

『恩師の息子』と『父のお気に入りの学生』という表向きの関係から、ふたりはいつまでも完全につきあいを断つことが出来ません。そしてふたりとも、お互いを忘れたかのように過ごしたことはあっても、忘れることは出来なかったのです。

 

妻を娶り、息子がふたり出来たオリバーは、何回かの連絡や再会の際に、懇願とも言えるほど熱心に自分の家族に会って欲しいとエリオに言います。しかしそれは当然エリオには受け入れ難いことで、毎回やんわりと、あるいは(彼なりに)はっきりと拒絶します。やがてはオリバーもその意を汲んだのか諦めたのか、譲歩案のようなものを出すのですが、これは一体どう捉えるべきでしょうか。この誘いを受けたエリオの心情は切々と綴られ、言葉としても表されるのですが、オリバーはどんな効果を求めて、彼の家庭というお互いの間にある究極の現実をエリオに直視させたかったのでしょうか。

 

オリバーはあの夏にはヘラクレイトスを研究していた哲学者です。明るく眩しく陽性なキャラクターのオリバーが、ギリシャ哲学でも特に暗くて有名なヘラクレイトスに傾倒していたという設定に鍵がある気もします。「万物は流転する」の通り、ふたりの間にあるあらゆる変化すら共有したい、あるいは研究者として、エリオがそれをどう感じ捉えるのかを、自分がエリオになったように分かるまでフィールドワークしたかったのでしょうか。

ヘラクレイトスには「博識は分別を教えない」という言葉もあります。決して無分別を良しとする言葉ではありませんが、ふたりの間のいくつかのセクシャルなエピソードは、分別とされるものからの逸脱を敢えて実践したものかもしれません。

 

この後映画を鑑賞してまた比較したいと思っていますが、この第4章がここまでの3/4以上に自分の心を捉えました。美しい追憶と時間の経過が綴られますが、夢想が現実となり、さらに追憶となり、エリオの思考はどんどん簡潔になってゆきます。

 側にいられないからといって、愛することはやめられない。

 美しい追憶があっても、二度と会わない理由にはならない。

 

大人になったエリオが何を生業として、誰を愛し、どう暮らしているかは語られません。それらはオリバーと対峙する時にはまったく必要ないものなのです。何をしても何処に居てもどれだけの時間が経っても、あの夏に始まったエリオの初恋はまだ終わらないのです。

オリバーにもう一度、彼の名前で自分を呼んでもらうまでは。

 

追記

邦訳読みましたが、特にエリオとオリバーふたりの口調や間が自分の脳内イメージとは決定的に合いませんでした。そうか、つたない語学力でも原語で先に読むとこうなるのかー、と思いそっと閉じた次第。

あと、単行本のあのイラスト表紙。絵柄がどうこうではなく、想定読者を絞ったローカルマーケティングがどうにも受け入れがたいのです。映画もそうですが、2018年型の訴求として、想定する読者の多様性についてはもっと検証されて然るべきではないでしょうか。

 

訳や理解の差異についてもコメントや別のSNS、英語ネイティヴレベル含むリアル知人といろいろ意見交換しましたが、多分すべての正解は原作者アシマンさんしか持っていないことかと。

今後も本文に関して訂正はしないかと思います。ここでの誤訳や勘違いを不快に思ったらすみません。コメントはご遠慮なく。

 

本作について、アシマンさんの実体験であると論じる人もありますが、作家性というものはおそらく自分の生み出した全てのキャラクターに自分の一部、あるいはすべてを投影するものかと思っています。エリオもアシマンさんであり、またオリバーも、エリオのお父さんも彼なのではないでしょうか。同性に恋焦がれ、一線を越えた、越えることが出来たエリオと、それを羨ましいことだと率直に言うお父さん。エリオの一人称小説でありながら、作者が登場人物に乗り替わり、その視点を双方に置いて交錯させているのが見え隠れしたのが非常に興味深かったです。

アンドレ・アシマンさんは家庭を持ち、ストレートの男性として生活をされているようです。

お父さんはエリオに「しない後悔よりする後悔」であるべきだという結論を出しています。

つまりはそういうことなのではないでしょうか。

 

恋をしたのにそれを何処かに着地させられなかった作者の後悔あればこその、エリオの恋のまばゆい煌き、引き裂かれるような別離の痛みと悲しみ、時間を経ての再会と恋の昇華。それを美しく、あったかもしれない未来と自身の追憶と後悔に向きあい筆を振るう事が作者自身の秘めたる恋への決着だったのではないかと思います。

 

 

 

(祝☆拡大公開決定)「God's Own Country」:「ゴッズ・オウン・カントリー」というヨークシャーからの福音

 

【はじめに】

このエントリは2018年のバレンタインにようやく清書が済み公開したものです。

それから10か月が過ぎ、輸入盤でしか観ることが叶わなかったものが、イベントと限定上映でついにスクリーンにかかりました!あまりの嬉しさに追記を重ね、すっかり見辛くなったので、この映画に纏わり国内で起こった事の記録は、時系列的に後ろにまとめ直すことにします。

「他のエントリとこのエントリはどうにも熱量が違う」というコメントを頂戴しましたが、そうです!要するにこの作品について何か書きたい!書かねば!というのがそもそもこのブログを始めたきっかけ、大いなるモチベーションでした。暑苦しくてすみません。

本作の噂を聞きつけ、未見なれど日本語での情報をお探しでここに辿り着いた方があれば、恐縮ながら相当ガ~ッツリネタバレしておりますので、その点ご注意ください。最後の最後の素晴らしいシーンを駄文に落とし込むような無粋な真似はさすがにしていません。というか筆力が追い付かないので。

 

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ワタシはヘテロセクシュアルですが、ほんの少しばかり腐っているのと、その視点や記事が好きなので『GT(GayTimes Magazine)』と『Out Magazine』のTwitterやwebをチェックしています。昨年その両紙でも高評価だったのがこのインディーズ映画、「God’s Own Country」でした。

 

批評家曰く

『ヨークシャー版「ブロークバック・マウンテン」』

『ハッピーエンドの「ブロークバック・マウンテン」』。

をっと・・・それって。なんか既にネタバレ。

でも、あれがああならないなら!だったら!観るしかない。

 

手元に届くまでは上記のような批評記事も斜め読み、公式サイトもSNS見ず、IMDbも見ず。

 

届いたものの仕事が忙しく、土日になってから観ました。少なくとも初見は正座して観たいタイプなんです。

・・・泣いた。BBAの目にも涙。

「ブロークバック」にはゲイである悲しみ=一緒にはいられない悲しみが満ちていましたが、2017年のこの映画のテーマはそこじゃなかったです。

 

恋愛の"恋"は、相手(他者)への興味や思慕から、"愛"は尊敬から芽生えること。

性愛はお互いの恥と弱さを晒し究極的に触れ合うこと。

不器用なJohnnyと移民の季節労働者Gheorgheが、それを西ヨークシャーの牧場を舞台に体現してゆきます。

 

続けて記事を上げる予定ですが話題の「Call Me By Your Name」(原作本)にも同じ感想を持ちました。

 

それにしても、何故ヘテロな関係を描く作品では感情の揺れ動きばかり表現されて、人間としての結びつきとして極めて本質的なはずの、このことが分かりにくいんだろう?感じるこちらの問題ですか?

 

***

 

以降、完全なるネタバレ。Spoiler Alertです。

Gheorgheですが、馴染みのないルーマニアのお名前で、劇中で数回しか呼ばれないので、「ギョーギ」で本当に正しいのかいまいち自信がありません。出会いのシーンでJohnnyが車で迎えに行ったときに

「お前がジョージ?」

「ギョーギ」(本人発音はむしろ「ギョルギ」?)

「どっちでも良いや、まぁ乗れよ」

みたいなやり取りもあるんですが。カタカナではなくそのまま書いておきます。

※未公開映画の画像を貼るのには抵抗があったのですが、公式Twitterが加工画像にまで寛容なので乗っかります。日本語字幕ではGheorgheは「ゲオルゲ」でした。

 

***

畜産農家のひとり息子のJohnnyは、脳出血を患い身体が不自由になったお父さんとおばあちゃんの3人暮らし。彼にはこの家を支える責任が立ち上がっている。

倹しい暮らしの中、Johnnyの唯一の気晴らしは、パブでの痛飲と行きずりのセックス。酒は気絶するまで、日常の忘却のために飲む。吐くまでが飲酒!(#←お酒に関しては他人事とは思えない・・・もうしませんけど#)

彼は自覚的なタチのゲイであり、出会いの少ない田舎だからか、相手を見つけたら即、事に及ぶ。あくまでただの気晴らしであり愛情表現じゃないから、相手とキスなんてしない。快感だけはあるけど、それは自分を楽しくも、幸せにもしない。事が済んだらとっとと別れて、また会うとかはマジ勘弁。

 

繁殖期にひとりで広大な放牧地と牛舎・羊舎の管理は無理。Johnnyがいない間に生まれた子牛が死んでしまう悲しい事故も起きてしまう。

家事こそおばあちゃん任せにしているけど、一家は季節労働者に頼ることに。それがルーマニア人のGheorghe。お髭のハンサム。英語も上手でむしろ誰よりも訛っていない。

 

羊の出産がピークになる数日間、ふたりは離れた放牧地にキャンプしてそれに備えながら壊れた石塀を集中的に修理して過ごすことになる。

 

雇っておきながら、Johnnyは彼に敬意を払えない。極端に距離を置いて接し、「Gypo(ジプシーの蔑称)」とあだ名をして馬鹿にする。

でも魅力的な容姿を持ち、難産の子羊を取り出し、蘇生して哺乳したり、とにかく有能な酪農家であり、黙々と働くミステリアスなGheorgheから、Johnnyは目が離せない。

 

早朝、なんの衒いもなく裸になって身体を拭いているGheorgheに、Johnnyは目のやり場に困りながら、その欲情を隠すつもりなのかGypo呼ばわりと、かなり蔑視的なひどい冗談を投げつけるように言う。

瞬間的に土に押し倒されるJohnny。Gheorgheは軍属経験でもあるのか、格闘の組手のようにあっさりJohnnyを組み敷くと

「俺をそう呼ぶな。お前が何してるか知ってるんだぞ。なんならヤッてやろうか?いいか、分かったな?」とやり込める。

f:id:somacat:20180214223356p:plain#↑ラブシーンに見えますよね?でもこれが上記のシーンなのです。顔近すぎ。この時点でJohnnyはGheorgheにもう無自覚に降参していて、その瞳には恋心を宿してしまっていたのかもしれません#

Johnnyは痺れるような興奮を感じてしばらく動けない。

 

そんなことがあってもGheorgheの方はあくまで淡々と仕事をこなす。

尖った岩で掌を切ったJohnny、その手を強い力で掴むGheorghe。抵抗するJohnnyにGheorgheは

「何かあったら困るだろう」

そう言いながら傷が深くないことを優しく撫でて確認する。不意な距離の近さ、期待していなかった優しさにJohnnyはまた動けなくなる。

 

 

自分なりに誇りと自信を持っている仕事でいまいち敵わない敗北感、昨日すっかりやり込められたことへの怒り。そして自分に湧き上がる抑えきれない「何か」のままに、朧な夜明けの中、JohnnyはGheorgheを襲うように(いや、確実に襲ってたね・・・)暴力的に事に及んでしまう。この時、Gheorgheはそれを予期していたような態度を見せると、結局縋りつくほどに必死なJohnnyの様子に抵抗を諦める。泥だらけで絡み合うふたり。

 

それでも明るくなれば、またふたりだけで黙々と仕事をする。 

graze

Read more: https://www.springfieldspringfield.co.uk/movie_script.php?movie=gods-own-countryまるで何も無かったように。

「ここは綺麗なところだ」

「子供の頃は、まさか自分の農場を離れる時が来るとは思ってなかった」

「美しくて、でも孤独だ。そうだろう?」

呟くGheorgheの言葉に、Johnnyは何も返さない。

 

 

昼のとある出来事。羊に接するGheorgheのプロフェッショナルさにJohnnyは感嘆すると同時に、彼が自分の知らないことを黙って見せて教えてくれることに気付く。(ここで劇中、初めての)笑顔がJohnnyから零れる。

 

その夜。さらに沸き上がる「何か」に言葉も見つけられないまま寝たふりをしているJohnny。その肩を黙って優しく抱き、手を取り、ゆっくり肌に触れ合い、その官能を教えてあげるGheorghe。奪いあい与えあうような口づけを何度も交わしながら、ふたりは初めて愛情表現として抱き合い、セックスで会話をする。

朝が来る頃、ふたりはお互いの故郷の春の話をする。まだ母親が側に居てくれた頃の、ずっと前の春の話を。

 

Gheorgheの存在は、Johnnyが毎日見ていたはずの風景をみるみる輝かせてゆく。遅い春の訪れに合わせるように。

ふたりで見る地平線。雲の切れ間の、天から降り注ぐ朝の陽射し。

「god's own country」の画像検索結果

 

そんな中で再びお父さんが倒れてしまう。その危機も、ふたりの結びつきをより強くする。愛情深く献身的なGheorgheに支えられ、ふたりでならこれを乗り越えられると思うJohnny。ただし、Gheorgheがこうして一緒に居られるのには期限がある。それを引き延ばすにはどうしたら良いのか、この農場をどうすれば良いのか。Johnnyには問題を直視することが出来ない。

その悩みからなのか、Johnnyはパブで酒に酔ってある過ちを犯し、Gheorgheは自ら農場を去ってしまう。

 

再び、彼に出会う前のようにJohnnyひとりだけでする毎日の作業。また色を失う日常。彼が慈しんでくれた家畜たち。壁に掛かったままの彼の作業着。

Gheorgheが寝泊まりしていたバンに(おそらくわざと)忘れられていたセーター。Johnnyは裸の上にそれを着る。その袖口にあったはずのあの優しい手。

みんながいない時にふたりで入った狭い浴槽のお湯は、今はもうとっくに抜けて、ひとりぼっちのJohnnyを温めてはくれない。

 

Johnnyは意を決して彼を追い、新しい働き先まで会いに行く。

長距離バスに揺られ、はるばる自らの意思で赴いたくせに、いざとなると肝心なことを何も言えない不器用なままのJohnny。その言葉を誘導しないよう自分を押さえるGheorghe。

仕事中のGheorgheと立ち話出来る時間はわずか。時間切れ間近、Johnnyは勇気を振り絞り彼自身の言葉で精一杯の気持ちを伝える。それはGheorgheを動かし、ふたりの未来を光り輝く方に導いてゆく。

 

***

 

英語で「感動する」は「move」だけど(他にもあるけど)、JohnnyとGheorgheを動かしたものが伝わって来て、薄汚れたBBAですら何度も心動かされて泣きました。

 

恋愛はひとつの人間関係の形態であり、そこに困難、例えば「違い」、性別(ヘテロを正とした時の異であるゲイ)や人種を持ち込めばドラマにはなるけれど、それだけではなかった。

セクシャリティへの葛藤もまた困難としてドラマを彩るだろうけれど、それはまた別の話であり、この映画はその向こう、斜め上に突き抜けてました。

(修正:ゲイにはある時点で「なる」のではなく、潜在的なものが表出/自認されるのだと思っていますので、表現を変えました↓)

劇中のJohnnyはゲイであることを公にこそしていないけれど、そのことに関して既に葛藤はないように見えました。Gheorgheもまた然り。

とは言え葛藤こそ終わっていたとしても、もちろんそのことが彼(ら)の心を窮屈で孤独にする原因のひとつなのは明らかかと。

 

初見時に気になったのが、Johnnyはそちらの方にはおモテになるタイプなのか?でした。田舎の青年ということもあり、また感情を表に出さないことに慣れた表情に乏しい子だったから、自分の中では最初(地味な主役・・)という印象。なのにヤリ逃げのお相手はいつも金髪のカワイコちゃん。話も早い。

この点を呑み友達のその”業界”の人に訊いたところ「彼はモテる。いいモノ持ってる顔してるから」(※あくまで個人の感想です)とのこと。えーっ・・・?もしやあのお鼻??

(尚、本件↑の答えは劇中にあります)

 

それはさておき、序盤のJohnnyはGheorgheに対し、自らの家庭内の地位を脅かすとばかりにまるで敵のように接しているのに、Gheorgheはいつの間に、Johnnyのどこに惚れた、あるいは絆されたのか?特別な好意こそ見せないまでも、忌み嫌うこともせず、澄んだ瞳で見ていてくれたのは何故なのか?同じ「牧場の息子」であるJohnnyへの共感や同情は最初からあったのかもしれません。

 

Johnnyが最初に仕掛けた乱暴なセックスに、後から力で逆襲することも逃げ出すこともしなかったGheorghe。

キャンプ第一夜は頭を逆にしていかにもよそよそしく寝ていたふたりが、事後から、抱き合うでもなく向かい合うでもないまでも、同じ頭の向きで横になっていたのが特徴的でした。しかもJohnnyは無防備にぐっすり寝てました(お疲れ)。その寝顔に澄んだ眼差しを向けるGheorghe。

Gheorgheがあらゆる点に於いて自分より逞しく経験豊富であることとその包容力。そしてそこには一切の計算や卑劣さが無いこと。その真摯さと自分に似た純粋さは、あんな始め方のセックスでもダイレクトにJohnnyに伝わったことでしょう。

 

興味、欲情、敬意、友情、そして愛情。Gheorgheに強く惹かれてゆく自分自身に心を乱しながらも(さすがに)あれきり乱暴は繰り返さず、何も出来ないでいたJohnny。抱き合いたいという気持ちが何故、何処から湧き出て来るのか。自分が本当にしたいのが(いつものような)セックスなのか、彼自身には分からない。だからGheorgheがそれに応え優しく触れてくれた時、Johnnyは少し怯えています。何もかもがまるで初体験かのように。

 

Gheorgheは(語学力とは関係なく)とても無口で静かな男で、訊かれたこと、ルーマニアの牧場の出身であること、お母さんから英語を習ったことくらいしか話しません。

諦念というか、何もかも単なる短期的な雇用関係だという割り切りがGheorgheの心を占めていたとしたらちょっと悲しくなりますが、あのなんでも淡々と出来るところが、故郷を離れさすらって生きてきたであろう彼の、Johnnyには無い強さでしょう。また農場や家畜の様子でSaxby家の努力を察し、ちゃんと敬意を払うところには、一期一会的というか、彼の信条というか本質的な気高さが感じられました。

そしてとにかく優しい。野性的な色気を持ちながら野卑ではない。さらにチャーミング。食事も手際よく作れ、食卓にさりげなく花を飾れる男です。

様々な場数を踏んできたであろうGheorgheのあの大きな瞳は、意地っ張りのJohnnyの中にあるどうしようもないほどの純粋さを、遅くとも最初のセックスから、もしかすると出逢いの最初から見抜いていたような気がします。家族や家畜をJohnnyなりに愛しているように、彼の中には他者への純粋な愛が隠されていると見抜いた上で、それを隠しているのは、それが彼にとって弱さだからということまでを。

そしてGheorgheは、Johnnyにたびたび自分がここに居られるのには期限があることを話し、自分たちはいずれは離れ離れになることを思い出させます。

そうして期限付きだったからこそ尚のこと、GheorgheはただJohnnyと身体を重ねるだけでなく、彼自身の弱さと向き合わせ、自分の愛を受け入れさせ、自分と愛を交わし、彼自身も愛せるようにJohnnyを変えたのかもしれません。自分が居なくても、何か佳きものがそこに残るように、また野に春が巡り来るように。

 

お父さんもおばあちゃんも優しかったなぁ。当然複雑な想いもあるだろうけど、Gheorgheが来てからのJohnnyの変化、彼の笑顔と瞳の輝き、彼の感じている幸せにふたりは気付いていた。だから「Gheorgheを連れ戻してくる」と出かけてゆくJohnnyを、ふたりは暖かく見送ってくれたのでしょう。

幼い頃お母さんと生き別れたJohnnyはおばあちゃん子です。家事も出来ないしどうにも子供っぽい。「洗濯済みの靴下どこ~?」とか言っちゃってましたからw 。彼女がふたりの未来のためにしてくれたあることは、Johnnyには心底グッときたはずです。

 

#日本で公開されたら、おばあちゃんのあの涙について誰かと考察を交換したいところ。Johnnyのセクシャリティを嘆いたものかと最初は思ったのですが、むしろこんな手近で、しかも期限のある悲恋(に見えるもの)に落ちてしまった孫に同情し、それが上記の行為に繋がったのかも、と今は思っています#

 

 

スコットランドのGheorgheの働く農場までやって来たJohnnyは、そこが酪農畜産場ではなく、ジャガイモの大規模生産農場、むしろ工場というに相応しいところなのを目の当たりにします。あんなに賢く優しく家畜に接することが出来る男がそこで汗して働かなければならない現実。英国ではこの映画をBREXITと絡めて観る向きもあるようですが、その人格や能力や経験を顧みられることのないまま、単純労働を移民が担っている現実を、恐らくこれまであの家を、ヨークシャーを離れたことが無かったであろうJohnnyはどう思ったのでしょうか。

 

観ているうちにどんどん劇中のJohnnyが愛おしくなって、ラストに向かってはひたすら応援していました。

 

 口下手なJohnnyは、Gheorgheとの再会で、

「ここに何しに来た?」と訊かれると

「お前に会いたくて」

までは言ってみたものの、Gheorgheが言っていた通りの羊の世話をしてみたよ、羊は元気だよ、なんて続けます。

#(ここちょっと追記します)

Johnnyが羊の話題を持ち出したのは、Gheorgheに必要なものが、このジャガイモ農場ではなく自分のホーム、Saxby牧場にこそあるということをJohnnyなりに必死にアピールしていたのかも、ですね。あの自分勝手だったJohnnyが、お父さんに訊かれた「(自分の)幸せ」の中に、他者であるGheorgheの幸せ(と想像するもの)を組み込み、一所懸命言葉で伝えようとしているその努力!(いやでもまず先に謝んなさいよw)#

 

直球を投げられずどんどんしおしおしてゆくJohnnyは挙句

「Why did you just leave?」なんて聞いてしまいます。

初見時、字幕無しだったこともありこの台詞を「Why did you leave?」と聞き(ちょ、お前どの口が・・・)と呆れたのですが、これ、justがすごく重要では・・・?

原因は全て自分の愚かさだとJohnny自身で受け入れ、大いに反省している。お酒もやめた(!仕事終わりに冷蔵庫のビールを飲まなかった!)。だからこそ、出て行ってしまう前に何かチャンスが欲しかったことを伝えている?のかな、と。Gheorgheは怒りに任せて自分を殴ることも、言葉で詰ることもしなかった。悪いのはなにもかも自分の方なのに。

もちろん感謝さえちゃんと伝えていない。あの頑固で不器用なお父さんすら、言葉にしてくれたのに。

どうしてただ出て行ってしまったのか。この自問のような質問に、Gheorgheはその美しい瞳で射貫くようにJohnnyを見つめるだけ。それを見て目の前の大切な相手をどれだけ傷つけ失望させたのかを(再)確認し、頷くと俯いてしまうJohnny。

Johnnyの口からは、多分それが一番この場にふさわしいはずなのに、「I love you」が出てこない。それどころかpleaseから言い始めることも出来ないし、ごめんなさいも言えない。でも仕事に戻ろうとするGheorgheをなんとか引き留めると、ついに堰を切るように思っていることを素直に、彼らしい言葉で一所懸命に言うのです。全部  I want you to~(構文!) で、涙を堪えながら必死に。そして I don't want~ という彼らしい言い方ですが

「もうあんなクソみたいなことはしない」と言うと

「I want to be with you. And that's what I need to say」。

やっと、やっと言えたよこの不器用ツンデレめ(涙)。

 

もちろん、あのラストの向こうには多くの苦難、困難があることでしょう。

でもあのふたりなら大丈夫。そう思える、力強い”筆力”の映画でした。

 

携帯の電波も入らない僻地の牧場、下りた小さな街のパブでは余所者のGheorgheへの冷たい視線。そんな時代に取り残されたようなあの場所でも、まさかの同性婚は出来るんだよなー。これだけ物質に溢れた日本では出来ないのに。なんだかそのことにもしみじみしました。

ふたりが制度的にどうするのかはともかく、末永くお幸せにと極東から祈ってます。

 

ちなみに腐女子的感想を敢えて書くと、Johnnyには気持ちの変化に合わせて、”ポジション”の変化かその挑戦があったのではとゲスパー。なんか暗示的な表現もそこここにあったし、恋を知ったJohnny、可愛くなりすぎだった。ツンあればこそのデレではありますが、デレ過ぎです。キャンプ中は地べたや干し草の上でいたしてたからか、家に戻った途端ベッドでしたくて甘えて誘うところと、毎回朝チュンシーンの顔がむくんでめちゃくちゃぐったりしてるJohnnyが特に☺。

 

英語に関してはヨーキー訛りが本当に難しかった・・・。summat=somethingだってGoogle先生(「Google翻訳」アプリの方)には出なかったし。Summat以外にもAyeとかNowtとか。「t」何処いった「t」は?になりました。

あとTa=Thanksは知ってました。若者言葉なのかと思ってましたけど、ヨークシャー言葉なのねー。

(作品の内容に☆つける気は全くないけど、英語の自分的難易度は残そうかしら?)

聴き取りは困難でも登場人物は少ないし、プロットもシンプル、何よりみんな口数少ないのが救いでした。

 

 【中の人】

映画が評判になって、中の人たちがモード雑誌や広告に出たりする流れが大好きです。

Johnnyの中のJosh O’Connorくんは、映画を観たLoeweのクリエイティブディレクターでもあるJ.W.アンダーソンに見初められてキャンペーンにも出たそうです。

「loewe josh o'connor」の画像検索結果

ボヴァリー夫人」の表紙もこの写真もスティーヴン・マイゼル氏。おお、Johnnyがこんなに垢抜けて♡

 

こちらは、服装は普通ですが雰囲気があって素敵。こういうロマンティックな物語の中の人には、いつまでも再会の度にイチャイチャして欲しいです。

関連画像

それにしてもホントみんなお芝居巧い。主演ふたりが自分的に無名ということもありますが、キャラクターそのものに見える。西ヨークシャーに行けば会えそうです。

(訂正に次ぐ訂正)

Joshは2017年から英国ITVの大河ドラマ「The Durrells」に、主人公の亡夫と長男の二役で 長男の作家ロレンス・ダレル役で出演していて、今年シーズン3もあるそうです。全然無名じゃない!ごめんなさい。あと、このドラマの紹介去年渡英時に観てました(反省)。

(追記)

そしてワタシは円盤を取り寄せ「The Durrells」S1-3全部観ましたが、Joshはとってもチャーミングな役でした。これから放送のS4で終了が決まっています。末っ子三男ジェラルド・ダレルの”コルフ島三部作”をベースにしていますが、ドラマの主役はお母さん。コルフ島の美しい風景と人々、1930年代の文化、家族の絆。とっても見ごたえあり、笑顔になれるドラマです。記事にしようかな。

 

 

2018年のBAFTA、残念でしたがノミネートされるべき映画を一応ちゃんと取り上げてくれてくれたのが嬉しかったし、こういう写真もっと下さい。(2/19 Joshのインスタから追加)

f:id:somacat:20180219192134p:plain

 完全にcouples goal, husbandsです。ご結婚おめでとうございます🎊

f:id:somacat:20180306154353p:plain

 

Do not call me that.
I know what you're doing.
I will fuck with you.
Do we understand each other?
Good.
Now we can get on with the work.
Yes?
Yeah.

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【注文と納品】

1月中旬に予約、UKの発売日1/27に現地発送、2/7に受領。UK PAL2 DVDで8.32GBP。配送種別は一番安いStandard。送料は他の注文品と合算なので後述予定。

特典映像は削除シーンと追加シーン。

特典映像を観ると、この映画にはどんどん台詞や説明的な表現をそぎ落として演者の無言の表現に比重を置いた努力があったことが伺えます。

 

====国内後日談など====

 

【ついにスクリーンに!】

2018年7月13日と15日にイベントで上映されました!

東京国際レズビアン&ゲイ映画祭はいつの間にかレインボーリール東京(RRT)に名前が変わり、今年のオープニングにこの作品が選ばれました。

邦題は『ゴッズ・オウン・カントリー』!

・・・まんまでしたね。でもヘンテコ邦題にされるよりは全然良かったように思えます。

その初日に青山スパイラルホールで観ることが出来ました。

映画館ではないので椅子が固かったり角度がアレだったりしたのですが、大スクリーンで350人と観るこの作品の壮観なこと!

特に音響は割れる限界まで頑張ってくれていたようで、最初のシーンの轟々とした風の音に驚いたものです。この映画はロマンティックなシーンでもBGMが付かない作品で、いわば風の音がBGMですが、特に前半の荒涼としたJohnnyの心象に相応しい寒々とした野を駆ける風の容赦無い音は、家庭のAVでは再生出来ないものかと。

室内のシーンは照明が粗末なランプだけだったり画面がとても暗いのですが、スクリーンだともう少し明瞭でした。ひとりGheorgheの去ったバンで荒れるJohnnyの表情の複雑さ、その変化!

 

【再び、今度は劇場のスクリーンに!】

RRTのアカウントからまさかの朗報、それは「のむコレ」でまたこの映画が上映される!というものでした。

新宿と心斎橋のシネマートで4回+1回の計5回。ええええっそれだけ・・・?

最初の告知から随分立って、先ず日程、それから上映開始時間スケジュールが出るまで、その間とてつもなく待たされた感がありました。ジリジリジリ・・・しかし!そんな中こんな事実を知りました。

『どうやらRRTのプロデューサーの人が個人的に買い付けて、なんとか5回だけ上映出来る運びになったらしい』

その経緯は以下の通り☟

www.cinemart.co.jp

 

これが洋画買い付けの実情・・・(うなだれ)。

ええーい、じゃあ各回満席になれば次のステップに行けるんじゃないの?!やったるわぃ!!

ということで、ワタクシも微力ながら出来ることをと思い、万障繰り合わせて東京での4回全て観て参りました。

もちろん、葛藤もありました。円盤で観てるんだから未見の方に席を譲るべきなのでは、と。

でも、もしもう劇場で観られないかもしれないなら、1回でも多く見たい!

己の欲求>遠慮=配慮

これが結論でした。ごめんなさい。

実際の各上映2日前の24時からのチケット争奪戦については、熾烈ではあり席を選ぶ余裕こそありませんでしたが、システムの脆弱さもあってか「観たければ買える」スピードでした=売り切れまで一定時間ありました。なので、地方から購入して参戦の方もありました。そのことにホッとしつつも満席を熱望するアンビバレンツが毎回自分の中にありましたが。

とは言え。この映画に関しては「チケットがもし残っていたら観たいかも~」という悠長な「たられば」では観られないほどの前評判だったのは実際です。立ち見の方もたくさんいらっしゃいましたね。

12/2,5,17,19と回を重ねるごと、客席の様相はRRTを思い出させるそれから普通の映画館のそれに・・・というと分かりにくいでしょうか。”イベント参加”ではなく、普通に”評判の映画を観に来た”体の、幅広い客層の方がいらしていたことが、なんだかとても感慨深かった。

村井さん、関係者のみなさん本当にありがとうございます。

 

 【日本語字幕の話】

 

英語字幕で先に何度も観てしまうと、この英語力でも気になる日本語字幕ですが、口数の少ない登場人物のポイントを押さえ、これまた文字数の少ない字幕に落とし込んでありました。その分、繰り返し観てしまった者としては少々ぶっきらぼうが過ぎるかな、とも。

※以降は日本語字幕に関することですので、台詞を書いておりネタバレしています。当然ですが自分の解釈が正義ではないので、ご意見いただければ嬉しいです。英語字幕は主にUK版から拾ってきています。

※※翻訳担当の方は、この作品にとても強い想い入れを持って、文字数制約のある中で、プロとして字幕を作成いただいていることは十分承知しております。批判的な検証をしたいのではなく、翻訳の難しさ、ふたつの言語の隙間に落ちてしまいそうな小さなニュアンスについて、あくまで個人的に感じた記録として下記に挙げます。

 

①Gipsyも十分差別的ですが、序盤でJohnnyがGheorgheにするGypo呼ばわりも字幕が「ジプシー」でした。よりキツいので、強いて言えば、「ジプシー野郎」?

からの、体を拭いているGheorgheに言ったのは「ケツにギア入れて急げよGypo」なので、そりゃ怒られても仕方ないよJohnny。

 

②無理矢理な最初の一戦(あるいは複数?)明けの朝、Gheorgheの(お前なんなんだよ、まったく)な視線にJohnnyがポットヌードルにがっつきながら言う「I'm starving, me」がシンプルに「腹減ってんだよ」でしたが、ここは前夜の言い訳とのWミーニングで「飢えてんの、俺は」とうそぶいてるのでは?

まぁ、言い訳にはもちろんなってないし、Johnnyの(この時点での)セックス感がよく現れているというか、時制が現在形だったり、まだGheorgheとの力関係をギリ対等くらいに勝手に思っていたであろう厚かましい感じが見て取れます。

 

③石垣を直すふたり。Gheorgheの言葉は「うちの農場が恋しいよ」という字幕でしたが実際は

「When I was a kid, I thought I'd never leave my farm」

 と言っています。

「子供の頃にはうちの農場を離れるなんて思いもよらなかった」。

つまり、大人になってから農場を離れなければならなくなった、と。これは後のバーでのシーンでGheorgheがする過去の話の前振りなのでは?

 

④②の翌日の夜、焚火の前で塩(砂糖説もあり)を(チョーダイ)したり、視線を交わしていい雰囲気になったのに、当惑したJohnnyは食べかけのポットヌードルを持ったまま先に寝床に向かいますが、その時小さな声で言った「(good) night」の字幕は「寝る」でした。いや、そこはもう既に可愛くなっちゃって「おやすみ」って言ってるんだぁぁぁ!と自己解釈。

 

⑤バーでJohnnyに、英国にはひとりで来たのか?と訊かれたGheorgheは「Yeah...There was someone once, but...」と返します。someone、と性別素性をぼかした言い方ですが字幕では三歩進んで「恋人がいたけど...」でした。ううむ、直訳ではなくJohnnyの理解のままの字幕ですね(そしてここから一気に酔いが進みあんなことに)。

 

スコットランドのジャガイモ農園での会話。上記記事の通り、GheorgheにJohnnyは他愛ない風の羊の話題からなんとか始めて、「Why did you just leave?」と聞いていますが、まぁ、字幕だと「なんで出てった?」でした。ぬーん・・・。こういう『抜いても意味が通るところにあえてある単語』を気にし過ぎなのかしら。

 

⑦⑥の後の沈黙に続いての会話で、Gheorgheの台詞は「来るべきじゃなかった」とJohnnyを突き放した字幕でしたが、「You shouldn't have come」の後には「I’m not the answer」と続けてくれていて、やっぱりGheorgheはこの段になっても優しくて、ほんの僅かではありますがこの膠着(塩対応)打破へのヒントのようで、Johnnyに対して決定的に残酷には振舞えないんだと思えます。

 

「I don't wont be a fuck-up anymore」を「変わりたいんだ」としたのはプロならでは、自分には思いもつかない妙訳です。

でも、過去の自分と自分のしてきたことをJohnny自身が「fuck-up」だったと言えたことは、『ここから変わりたい』願望ではなく、もう既に変化の顕れなのでは?

その上で泣き出しそうな自分に腕を伸ばし抱き寄せようとしたGheorgheに

「No, Leave me, I'm fine」と言って断ってまで自分の言葉を最後まで言わせてもらうJohnnyのその成長にこっちが先に泣きましたが。

 

GheorgheがJohnnyを「君」って呼んでいたり(かわいい)、ラストのJohnnyの想いの籠った言葉「I want to be together」を次に来る最後のもうひと言が効くように、重ならないように「離れたくない」と訳していたのはプロのセンスだなーと感心しました(膝打)。

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これは映画撮影時のスチル写真ではなく「i-D」の記事の為のフォトシュートだそうです。優しい陽だまりとふたりの表情が物語の続きみたいで素敵です。

 

RRT、限定上映各回を満席にしたこの作品、これからどうなるのでしょうか。個人的に監督以外が画面を編集する行為なので「修正」は大嫌いなのですが、しないとレーティングにかかるだろうことはさすがに承知しています。承知したけど納得は出来ないので、無修正に戻して本国同様のR15で劇場に掛けて欲しいなぁ。円盤は当然として。

・・・という記事を書いた翌日のクリスマスに、なんとついに全国公開が決まりました!!予言か!?

 

 

 

 

 

 

 

日本未公開の映画を観る行為

最初の記事なのに、お固いタイトルでしょうか。

昨今、特に思うところあり、でもどういう文体で書いていくかも決めかねている状態です。まぁ、ですます調でいきましょうか。

 

まずは自己紹介。

映画と音楽と猫を愛する、昭和生まれのクソBBAです。好きなジャンルは後述します。

映画は月2-3本は劇場で観ています。ひとりで観ることが多いです。

 

いろいろご縁があり、通算で15年以上外資で仕事しています。現職は日本人の役員2人の秘書と全体のアシスタント、つまりは雑務をしています。

弊社はアメリカに本社がありますが、やり取り先は主に日本法人が所属するAPAC=アジア環太平洋チームになり、日本企業でいうところの総務に関しては本社かオランダ、経理に関しては外注先の香港・大連・上海・インドとのやり取りが必要です。英語必須です。メールで大抵は済みますが、たまに電話会議、対面での会議、来日者対応、出張手配など会話も若干あり。

しかーしながら英語力が伸びないのです。

何より語彙が無い。テキトー(決して「適当」ではない)な喋り、テンプレのメールでなんとかやってます。Google先生英辞郎先生、いつも大変お世話になっております。

学習意欲はあるものの、学習につきものの「採点」には毎度心が砕けてしまうのです。一時期、英会話の無料体験荒らしみたいなこともしてました。ビジネス英語中級。それ以上にも以下にもなれない。そしてTOEICよ、お前に俺の仕事の何が分かると言うのだ。 

そこで、もう少し趣味に寄せて英語に浸かろうと思い、SNSでは主に大好きなイギリスの音楽や映画の情報を出来るだけオリジナル(「公式」ですね)から読むこと、UK PAL2が再生出来るDVDデッキを買ったので、amazon.co.ukで買い物して、英語字幕やダウンロードした脚本を参照しながら映画やドラマを観ることをしています。

思い出せば遥か昔、高校生の頃は洋楽を歌えるように歌詞カード読む、とかしていたので学習と構えずこういう方が向いてるような気がします。洋楽のお陰か発音はそこそこ良いスコアなのが、せめてもの救いかも。

それでもどうにも環境的に、反射的に米語を喋ってしまう自分がいます。英語は英吉利の言葉だYO!

 

さておき、そうして映画の情報収集をしているといろいろ気になることがあるわけで。

SNSでは既にに話題のあの映画、日本公開は?→IMDsの公開予定日にJapanが無い・・・

・を、公開決まったって!?→( ゚Д゚)ハァ?なんで半年遅れ?

SNSの公式アカウント出来た!→発信が遅い・ダサい・つまんない

・・・これはなんなんでしょう。

 

日本で海外作品が公開されるには配給会社(以降「配給」)が噛んできますが、たとえばこの配給は外資なのに、何故展開にこんなに時差が?これ本当に疑問。

弊社はIT業種なのですが、ローカライゼーションにこんなに時間を掛けるなんてありえないんだよなー。

勿論、業界特性もあるでしょう。でもその特性とやら・・・クソじゃね?

 

サラリー(ウー)マン歴長いので、会社員が思いついたことをなんでも実行出来るとは思っていませんが、これ、当たり前なんですか?

断罪するけど、インターネットというものが小さな掌の端末で操れるこの時代に、世界同時性/同期性をマネジメント出来ない時点でもうアウト。

なにより、2バイト言語のお友達、中国と韓国はそんなに公開時期遅れてない。

これってもう日本に、市場としての期待が本社に無い。つまり予算少ない、抜本的な改革計画(「ストラテジー」ってこういう時こそ使うべき?)実行力無い。無いないづくしなのはもう明白。

だったら尚更、本社本丸が大金を使って宣伝している時に公開すべきなのに。

 

ということで、膠着したように見えるローカルの業界には期待せずに、一旦離れることにしました。

面白そうなら自分で調べて、自分で取り寄せることを繰り返しています。

当然何もかも、あくまで『※個人の感想です』が、この行為の備忘録に、このブログには日本未公開の映画やドラマ、本についてネタバレ込みで感じたことを上げようかと思ってます。

なんとかして観ることをお勧めしたい、という気持ちで書くこともあるかと。

ただ、ワタシは映画は水物と思っていて、観る人のその時の気分や環境が全てだから、よくある

「お勧め、なんかある?」という質問は一種の罠に感じています。

(この人は単なる暇つぶしをしたい?)

(簡易カウンセリング的に、薬を出すように、気分に合わせて効果のある作品を選ぶことを要求されている?)

この質問の「用途」が分からない限り、いつも返事はうやむやにしています。

「一番好きな映画」という質問も然り。

(映画ファンとして試されているのか俺・・・?)と思います。

さっと答えたいall time top oneな一本があるけれど、相手が知らない映画を上げて通ぶるのは嫌。マニア同士のマウント合戦みたいなのも大嫌い。

なので、「観た方が良い」という書き方には出来るだけしないつもりです。

すべて『ご興味があれば』でしょうか。星☆もつけません。

鑑賞してどう感じたか、何を知ったかを記録します。

 

取り寄せの費用については、似たようなことをしてみたい誰の参考になればと思っていますので、出来るだけ記録する所存です。

 

一応の自分の主義としては、作品への敬意や仁義として、もし日本で公開されたら大抵は劇場に観に行っています。映画館で観るって特別な行為だし、字幕を確認したいし。

例外もあるのですが、それもまた追って。