Not Yet ~あの映画の公開はいつですか?~

主に国内未公開&未発売の映画の話など

「Love, Simon」清潔な主人公によるとっても清潔な青春奮闘記

久しぶりの新エントリは6/17にU.S.で発売された「Love, Simon」です。シンプルなストーリーなのでネタバレ無しにします。

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でも自分は、MTV Awardでこの映画が「Best Kiss賞」を受賞したニュースが鑑賞より先になり、何度も同じgifがSNSに回って来て、結果壮大にネタバレを踏みました。暗闇でいきなり撃たれた感じです・・・やられた。

原作は『サイモンvs人類平等化計画』。このタイトル、(原作の)サイモンの行動原理が判って、鑑賞後にとても腑に落ちました。

 

発売日前にリージョンフリー(ユニバーサル版)Blu-Rayを予約、発売10日後に受け取りました。送料込み27.97USDで、DVDとダウンロードIDが同梱。多言語字幕ですが日本語だけ入ってない&英語字幕は聴覚障害者向けのみ。これは日本公開が準備されていないから?と思ったところ、どうやらiTunes版には日本語字幕があるらしい・・・こういうのなんなんでしょうね。

 

タイトルは、Eメール文末の署名ですね。名前の前に何を足すか。ワタシは仕事ではThank you, かThanks, あるいは Thanks in advance,が多いでしょうか。後者はボールを渡したというか、ちょっと『お前がやっとけ』ニュアンスを滲ませたくてわざと使っています。

主人公のサイモンはここに何を使うか悩んでいるうち、ある時ついうっかり正直に「Love」をタイプしてそのまま送信してしまいます。メールの相手、素性も判らない「彼」への好意を隠し切れないのです。

 

ストーリーはズバリ『ティーン向け』でした。一応PG13ですが。これまで何度も語られているcome outものと大筋は変わりません。ただ、登場人物たちのコミュニケーションツールには学内チャッターがあり、フリーメールを交わし、片時も携帯も手放せません。

 

サイモン役はニック・ロビンソン君。顎のほくろが可愛い『ジュラシック・ワールド』のお兄ちゃんですね。95年生まれ=今23歳なので、撮影時には成人していたようですが外国人の自分から見ても”アメリカの高校生”役に何の違和感も無く、とてもフレッシュで、この映画に決定的な清潔感を与えてくれています。平たく言えば「可愛いけどあんまりエロくはない」です。

(最近日本で話題になったあのドラマの田中圭さんを思い出しました。あっちはもっとお兄さんなのでちょいちょいサービス的にエロかったですが、可愛らしさと清潔感が似てるかなと)

 

男らしいパパと優しいママ、利発で可愛い妹、特別に可愛いわんこ(テリアの一種だと思うんだけどなんて犬種だろう?)に囲まれた暮らし。高校生のサイモンは親にプレゼントしてもらった新車で毎朝友達を拾って学校に行きます。をを、アメリカ。

『おはよ!(肩ポン)』

『よ、よう・・・(♡)』

みたいな通学路の風景って日本の学園ものの必須ですが、こちらではドラマは車内(というか車中心)で起こります。いかにもアメリカらしく、また、こういうティーンの日常や風俗の根幹は古い映画からアップデートがあんまりないんだな、とも。

 

サイモンのパパとママは、ジョッシュ・デュアメルとジェニファー・ガーナー。なんて戦闘能力の高いご夫婦w。

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さぞや息子を困らせたあいつをボッコボコに・・・とちょっと期待してましたが。

特にジョッシュはドラマ『11.22.63』で家族を手に掛ける狂気の父親を演じていて、『トランスフォーマー』シリーズの正義の軍人よりもそのサイコなイメージが自分の中で強くなってしまっていたところなので、いつ切れるのかとちょっとドキドキ。

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まさか自分がゲイだとは思っていない家族、幼馴染、友達、クラスメイトに囲まれ、サイモンは一番肝心なことを隠したまま、恋したり、されたりします。彼の悩みは「何故自分はゲイなのか」ではなく「ゲイである自分のまま、これからどうしたら良いのか」。時間を掛けて自分を肯定出来てはいるけれど、これからカムアウトするとも、しないとも決めかねています。

 

彼の密かな恋の相手は、Blueというハンドルネームの彼。同じ学校で、同じ悩みを持ち、でも家族にカムアウトを考えている彼にだけ、サイモンは繊細な胸の内を匿名で吐露しやりとりします。

Blueは一体誰なのか。

メールで語られる少しのキーワードを元に、彼が誰なのかを探すうちに、サイモンは学内で息を潜めている自分と同じクローゼット・ゲイ達の存在に気付いたりします。

 

そんな時にある事件が起き、サイモンは必死に収束を狙いますが、結果的に望まぬアウティングを学内にされてしまいます。

さらにBlueは

「君が誰か僕には判った。でも、僕は今正体を明かすことはできない」とアカウントを閉じてしまいます。

事態の収束のためにした努力が全て裏目に出て、友達からも疎んじられ、学校中からは不躾な好奇心だけをぶつけられ、家族もまるで腫れ物に触るよう。孤立無援になったサイモンは、自分が自分であるために勇気を奮って、ある思い切った行動に踏み切るのです。

===

 

『ティーン向け』と表現したのは、この映画には諸処に複雑さを放棄したようなところがあるからです。良くも、悪くも。

主役にストレートで清潔感のある俳優を使っていることで、映画からは肉欲や情欲は徹底的に排されています。降って湧いたような過酷な渦中にあって、どう身を処すのが「自分」なのか悩むサイモンの性欲は、そこに無いかのように全く見えません。大切な相手にも話せない秘密の大きさ、クローゼットの中にいる彼の孤独、「自分と同じような人間と出会いたい」というせつない渇望はとても伝わってくるのですが、そこに生なましさは一切ありません。サイモンが彼なりにとても頑張って作業員の男に声を掛けたりするシーンですら、とても清潔、無味無臭。

それは彼だけではなく周囲も同じです。恋をしたと言いながら頭でだけ考えて、感じることを忘れて右往左往して物語が進んでゆく。夢やイメージでだけ紡がれる、霧の向こうにあるような「触れ合い」。

 

自分の行動基準に性欲を挟まない(と決めているかのような)、揺るぎのない清潔さを放つサイモンは、ゲイセクシュアルを学ぶ”入門編”にふさわしいキャラクターには思えます。

本人の傾向やその自認はともかく、世の中には様々な性的傾向があり、そのうちのゲイセクシュアルと個人としてどう関わるのか。ホモフォビアを形成しかねない若い世代には取っつきやすく理解しやすい、端的に言えば「万人向き」、身も蓋もない言い方なら「気持ち悪くないゲイ」としてサイモンは存在しています。それこそがこの作品のテーマなのかと思えるほどに。

アセクシャル」という性欲を持たない性の在り方にやっと呼び名が付いた昨今ですし、誰しも何もかもが性欲ベースでは動いていない(はずである)ことを考えても、このことにはなんだか綺麗事過ぎてモヤっと。

もちろん、この作品が若年層への静かなる『Love is Love』プロバガンダを狙っていたとしても、あるいは単なるマーケティング=特定市場への受け狙いのどちらでも否定はしません(し出来ません)。

もし今のアメリカのショウビズで、かつての「性欲に浮かされたティーン映画」(凡例:『アメリカン・パイ』)の代わりを担うのがこの映画だとしたら、とてもとても感慨深いことです。

 

あと、老長けたBBAには、サイモン含め周りのキャラクター、特に悪役造形の薄さが不満です。不器用を通り越した歪みを持った、救済されない道化って2018年にまだ必要ですか?だったらきっかけは通りすがり(ハッキングとか)で良くないでしょうか。お友達もみんな良い子だけど、若いからってちょっと流されすぎだったぞ!

 

 

いろいろ書きましたが、それでもサイモンは最初から最後までチャーミングで、恐らく映画というエンタテインメントには不可欠な、十分に「応援したくなる主人公」でした。サイモンは自分自身の今の在り様を誰のせいにもせず、「XXだから」も「XXなのに」もない、正に”人類平等化計画”のために、そして芽生えたばかりの恋の為にひたすらに奮闘していました。

「自分」を微妙に持て余しているティーンがこの映画を観たら、少しでも元気が出るんじゃないかな、と年寄りらしいことを書いておきます。

 

 

(国内盤入手困難)「Y tu mamá también / 天国の口、終わりの楽園。」夏休みと共に終わってしまったもの

2002年に日本で公開されたR18指定のメキシコ映画です。

『ローグ・ワン』でディエゴを観て、なんだか久しぶりに観たくなったのです。

日本語字幕のコンディションが良い中古はなかなか無いようでしたので、他の物と併せてUK PAL 2を取り寄せました。

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枚挙に暇の無い謎の邦題群の中で、この邦題は美しい風景を想起させ、また内容を巧みに暗示出来ています。とってもお上手です。

原題を直訳すると「お前のママとも」。英語圏では「And your Mother Too」。お前のママとも「何を」したのか、誰がそう言ったのかは後述します。(ちなみに私の地元の方言だと、「お前のママともしたっけ」になります。)

 

主演は当時から既にメキシコでは大スターだったディエゴ・ルナガエル・ガルシア・ベルナルです。この物語もまた「Call Me By Your Name」(以降CMBYN)と同じく17歳の少年の夏休みの儚い出来事です。欧米では夏休み=学年末であり、17歳のそれは高校を卒業し次の進路に進むタイミングですから、そりゃぁいろいろ体験したくもなるでしょう。それに日本の春休みの短さとは比べ物にならない長さでもあります。

中の人ふたりもまたCMBYN主演のティモシー・シャラメくん同様に、撮影時にはちゃんと成人(18歳以上の意)ですが、小柄で(今でも)細身のふたりは少年にしか見えません。

#あの西洋人男性の独特のどーんと筒形の大人の身体に変貌するのは何歳が平均なのでしょう??ならない人はならない、というだけなのかしら?#

 

この映画はそんなふたりが眩しい太陽の下、裸も本音も曝け出し、怖いもの知らずに夏と恋(に似たもの)と冒険を謳歌するロードムービーです。海辺の美しい風景が中心ですが、メキシコの荒んだ現実も垣間見せます。

 

冒頭から旅立つガールフレンドと時間を惜しんでベッドで励むシーンなので、劇場で観た時には「をう・・・絵に描いたようなラテンの若者・・・」となり、ふたりが子供に見えたこともあって、着いていくのがちょっと大変でした。客席が女性だらけで変な安心をしたことも記憶しています。

細かいところは覚えていないのですが、多分劇場公開時はいろいろボカされていたような気が。

 

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以降、ストーリーです。ネタバレしますが台詞はあまり追いません。

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テノッチとフリオは高校を卒業したばかり。どちらのガールフレンドも自分たち以外とバカンスに出かけてしまって、せっかくの夏休みが退屈になりそう。男同士でつるんでは、マリファナを吸ったりパーティして騒いだりでそれを紛らわすことに。

テノッチの父親は有力政治家で家柄も良く、家族の行事も大きく華やか。でもこれもまた退屈だから、大統領まで参列するような盛大な親戚の結婚式にフリオを誘う。

そこで出会った気になるスペイン人美女のルイサは、いけすかない(新郎とは別の)親戚ジャノの奥さんだった。何処か素敵なビーチを知らないか、と尋ねる彼女に「みんなが知らない特別な『天国の口』っていうビーチを知ってる」とふたりは適当な出まかせを話題にして、一生懸命気を惹こうとする。

 

若いふたりを鼻にもかけないルイサだったが、彼女には秘密があった。それをジャノに話したかった夜に限って、ジャノは家に帰らず泥酔して外から電話を掛けてくる。俺は馬鹿だ、許してくれと突然不倫を告白するジャノ。泣き崩れるルイサ。

翌日、ルイサはテノッチに電話をし、天国の口へのバカンスに連れて行って欲しいと言う。

セクシーな年上女性との思いもかけない夏休みに浮かれるふたりは、旅を引き延ばし盛り上げるためにも「天国の口」を探す(ふりをする)と決め、もしそんな感じの神秘的な入り江が見つけられれば、そこをそういうことにしてしまおうと適当に画策しながら、何とか車を用立て、メキシコシティを離れカリブ海を目指す。

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テノッチもフリオもセクシー人妻とヤることを期待しつつも、若いながらさっと荷物を持ってあげたり、レストランで椅子を引いてあげたりルイサが中座しなくて良いようにお店の人とのやり取りを請け負ったり、ラテン男子の面目躍如というか、まぁ、そりゃモテるよね、という気配りを随所に見せます。途中のモーテルでもちゃんと二部屋取って、男子/女子に別れます。

そのおかげで、ルイサはひとりで部屋に入ると直ぐに、ふたりに見せていた明るい表情を閉ざし静かに嗚咽します。ひとりになると、彼女の大きな秘密が彼女の心を悲しく支配してしまうのです。

***

 

移動中の会話は下ネタが花盛り。ルイサは自分の過去の恋愛、夫以前のBFを回顧しつつ、ふたりとそのGFのなれそめやセックスの詳細、女性経験までを聞いてくる。調子に乗り、大人ぶってあれこれ教訓や武勇伝を話すふたり。

 

車の故障で足止めを食らう3人。レッカーしてもらい、修理上がりまでモーテルで過ごすことになる。

夕方、バスタオル一枚でルイサにシャンプーを借りに行ったテノッチは、

「バスタオルを取って」

と突然ルイサに言われ、それに戸惑いながら従うと導かれるままにセックスする。それはあっという間に終わってしまうが、フリオはそれを見てしまう。

ひとりプールサイドにいたフリオに、したことを気付かれていないと思い込んでいるテノッチはいつもやっている潜水競争をしようと誘う。

水面から顔を出したテノッチに、フリオは淡々と言う。

「俺、お前の彼女とヤッたことある」

 

ルイサの部屋には入れず、テノッチはフリオのいる狭い部屋で今夜も眠ることになる。大事なGFを寝取ったと猛烈にフリオを詰りながら、同時にそれがどんなセックスだったのかを執拗に尋ねるテノッチ。

 

移動を再開したものの、車内の空気の険悪さにルイサは車を脇道に止めさせ、テノッチにしたことはフリオにもする、これで良いでしょうとテノッチを車から降ろすとフリオとセックスする。フリオはテノッチと同じように直ぐに達してしまう。

ルイサはテノッチに手法が乱暴なことは詫びつつ、仲良くビーチを目指そうと言う。

 

「俺もお前の彼女と寝た」

おもむろに言うテノッチとフリオは大喧嘩になり、その様子にルイサは怒って車を降りてしまう。

とりあえず仲直りし、3人が乗った車は海沿いをひた走る。

 

***

この展開の興味深いところは、ルイサを挟んでお互いを牽制するうちに、テノッチとフリオそれぞれがお互いのGFとも寝ていたことを暴露するのですが、言われた時にそれを全く嘘だと疑わない。お互い、GFより親友を信用している。そもそも相手にダメージを与え優位に立つ為に言ったから、言われた方は想定外の大きなダメージを食らって、その時には「俺も」とカウンターを返せない。

そして好奇心に負け思わずいろいろ聞いてしまう。要するに、どっちがそういう場で男として優れているかをGFの背徳そのものより気にしてしまう。この時点でもあくまで目の前の親友のいう事を信じてしまう。そしてちょっと落ち着くと思い出したように後から同じネタを出して、また蒸し返す。全くもうなにやってんだかw

 

17歳ふたりと3人旅に出た時点で、ルイサは当然彼らの期待、真の目的を判りきっています。

ふたりはそれでもちょっと遠慮というか、「天国の口」を目指すという実現不可と思われる大義名分を抱えていて旅の長さが測れなかったからか、道中で積極的に事に及ぶつもりはなかったように思えます。夢見る「天国の口」と呼ぶに相応しい素敵なビーチに辿り着いてからのお楽しみに取って置きたかったのかもしれません。

 

***

真夜中。砂の路地にタイヤが嵌り、3人は諦めてそこに停めて車中泊をして朝を迎える。

朝の陽射しにルイサが車を降りてみれば、そこは美しく穏やかな入り江のすぐ傍だった。

テントを張り、澄んだ海にはしゃぐ3人。

しばらくすると地元民の家族が乗った船がやってきて、わずかなお金で食事を振る舞い、船に乗せ岬を巡ってくれる。

岬の向こうのビーチの名前を船頭に訊けば、それはまさかの「天国の口」だった。

 

天国の口を満喫して、日が暮れる頃に船で元のビーチに戻ると、野豚の大群にテントを荒らされている。テント泊は諦め、船頭一家のビーチハウスを借りた3人は、泥酔して情熱的な3Pをする。勢いでキスをするテノッチとフリオ。

目覚めると男ふたりだけが裸でひとつのベッドに寝ている。慌てて服を着るふたり。猛烈な恥ずかしさと気まずさがふたりを覆う。

 

船頭一家と意気投合したルイサはここに留まりたいと言い、ふたりと別れる。

ふたりはふたりだけでメキシコシティに戻る。

***

 

まさかの「天国の口」に辿り着いた3人。

そこは素朴ながら夢のように美しい、ゆったりとした時間が流れる白砂のビーチでした。

ふたりは気付きませんが、村の小さなレストランの粗末な電話ボックスから、ルイサは夫に泣きながら別れの電話をします。自分がこうしているのは浮気への復讐ではなく、自分を取り戻し決着をつけるためだと。そして夫ひとりの生活を気遣いながら、どうか幸せを理解できる人間になって欲しいと言います。

 

酔ったフリオはテノッチに「俺はお前のママともやったけどな」と言います。「なーんてね」&爆笑と続きますし、これは(おそらく)酷く下品な悪い冗談なのですが、テノッチも応戦してしまいにはふたりで

「俺たちのママにカンパーイ♡」

「俺たちは穴兄弟☆」

なんて言いながらテキーラをバンバン飲むのです。

 

***

街に戻ってからのふたりは会うことを止め、それぞれのGFとも別れ、新しいGFを見つけ、別々の進路に進む。

 

ある日通りでばったり会ったふたりは、コーヒーを飲みながら近況を交換する。

「ルイサのことは聞いてるか?」と聞くテノッチ。首を横に振るフリオ。

「あの後、亡くなったんだ、癌で」

テノッチはルイサ自身が余命を理解していたこと、最期こそ看取らせたものの夫を拒み、あの海辺に近い病院で亡くなったことをフリオに話し、何故ルイサが「天国の口」に連れてって欲しいと言ったのか、真実を共有する。

***

 

この映画には何度も男声ナレーションが挿入されます。三人称だったのでフリオの心象や背景はテノッチが、テノッチのそれはフリオが語っていたようです。ディエゴとガエルの声は聞き分けられず。

ラストシーンも、交差点でふたりが偶然再会し、ファミリーレストランに入るまでの経緯と、この後ふたりがもう会うことが無いことがナレーションで語られますが、これが誰の声なのか、ごめんなさい、ちょっと分かりませんでした。大人になったどちらかが俯瞰して語っていたのでしょうか。

 

テノッチは経済相のひとり息子で、メイドが何人もいる大豪邸に暮らしていますが、父の政治活動や政局スキャンダルに振り回され転居を余儀なくされたり、両親の仲は良くなく、乳母に育てられたことが明かされます。海を目指す道中、その乳母の出身地を通りますが、それは小さく貧しく時の止まったような村。テノッチはそれを沈んだ瞳で静かに眺めます。

対してフリオの家は母子家庭で、洗濯物を壁に貼りつけるように干した小さなアパート暮らしです。彼のGFもまた豪邸住まいだったので、お金持ちの子が通う良い学校に彼は特待的に進学して友達になったのでしょうか。このひと夏の旅の車はフリオのお姉ちゃんのものですが、お姉ちゃんはバリバリの左翼活動家で逮捕歴ありだとか。急いで車を借りたくて、大統領罷免を叫ぶデモ行進中のお姉ちゃんからキーを借りるフリオがいました。

そんなふたりが気が合い、いつも子犬みたいにつるんでいたのにもう会わなくなる。そして大人になる。少年だった自分とその象徴みたいな親友を切り離すことで。

 

劇中ではふたりのそれぞれに微妙な家庭環境だけでなく、メキシコの政治経済の揺らぎや、厳しい現実がさりげなく描かれています。

3人が道中ですれ違う、昔ながらの倹しい成人式、武装した警官、原住民に厳しい軍人、素朴なお葬式。外国人のルイサ、良家の子テノッチ、普通の子のフリオ。それぞれがそれぞれの視点でメキシコシティじゃないメキシコを見て知り、体験します。

 

 

本当の事情を知らないままルイサと別れ、メキシコシティに戻るふたりだけの車中はきっと、ろくな会話も無かったことでしょう。

ふたりは勢いで秘密を暴露し合いますが、それは幼いなりに好きだったGFの裏切りを知ることであり、またそれはどちらかを責めれば気が済むものでもなくまさに喧嘩両成敗であり、しかも親友転じて裏切者同士ながら、懲りずに「兄弟」になってしまった上に、まさかの”絡み”までしたのです。

未熟な愛憎が入り交じり、年上の女性を介在させて理性のメーターを振り切ったあと、真顔に戻って帰路につく。車と言う密室でふたりきり。

計りようのない気まずさです。

 

相手に会えば、またいろいろ思い出してしまうでしょう。楽しかったけれど、苦い思い出。気持ち良かったけれど、恥ずかしい思い出。そもそも自分たちが誘ったのに、まるでルイサに都合良く使われたようになってしまったテノッチとフリオ。ふたりはお互いに会わないことで表裏になったそれに蓋をするとそれぞれに決め、離れてしまったのでしょう。

でも、あの3人で過ごした夏の時間はきっと忘れられないはずです。

ルイサはもういない。友達とも疎遠になってしまった。

 ナレーションでは、天国の口の番人でもあるあの船頭一家のその後も語られます。数年後に観光開発の為廃業してあの浜を離れることを余儀なくされたようです。つまり、またあの入り江に行ったとしても、あの夏を繰り返すことはもうふたりには出来ない。

あの天国の口での出来事を思い出しても、それを誰かと懐かしく語ることも叶わない。

 

この物語もまた、桃源郷伝説です。だから「天国の口」は「終わりの楽園」なのです。

大人になってしまったふたりは、この夏の追憶を大切に生きてゆくのでしょうか。それとも元々天国の口なんて、楽園なんて何処にも無かったと思って生きることを選ぶのでしょうか。

 

***

スペイン語に全く素養が無いため、スペイン語の喜怒哀楽がよく分からず、テンポのよい言語であることとで耳が囚われてしまい、その分画面の英語字幕を捕えきれずにシーンが変わることしばし。劇場公開を観ていてストーリーを知っていましたので、それでもまだなんとかなりましたが。

 

ルイサが別れ際にふたりに言った言葉、出来ればオリジナルから自分なりに理解出来るよう上手く翻訳したいのですが。開放的なラテン女性に見えたルイサの、残された僅か数か月の自分の余命のための人生訓なのです。モノローグではなく、(たぶん)テノッチのナレーションで彼女を回想して語られるそれは、英語字幕斜め読みではこんな感じ。

「人生はサーフィンに似てるから、自分自身を海みたいに解放するのよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

(国内盤購入可能)「Mysterious Skin / ミステリアス・スキン」痛みを求めて

国内では(たぶん)映画祭での上映のみで、伝説のようになっていたこの映画、一昨年に原作の『謎めいた肌』が新訳で再販され、昨年末ついにBlu-Rayが発売されました。この手のテーマの円盤が国内で何度も再発売されることはなさそう&ストリーミングに乗らなそうですから、今が貴重な視聴機会かと思い記事を上げます。

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是非映画祭で観たいと思っていたのですが、2005年の初上陸時には叶わず。円盤も買い逃し。というかこの国内盤、出ていたのでしょうか?

私はUK PAL2を2016年末に注文したのですが、届いてから3ヶ月ほど温めてから観ました。取り寄せてはみたものの、旧訳と原書をざっと読んだことがあったので、気力と体力がある時に勢いで観ようと。

その間、とある素敵な青年がインタビューで「一番好きな映画」を聞かれてこの作品を即答していて驚いたり。

 

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ストーリーは転記しません

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とても辛い映画でした。主人公の心身の痛みが、ジョゼフ・ゴードン=レヴィット(以降JGL)の名演により、観ているこちらに防ぎようなく流れ込んできます。それは常にヒリヒリと、時には目を背け、こちらが泣きたくなるほどに。

 

毎日もう環境映像のようにつけっ放しで観たい映画がある一方、覚悟が無いと観られない映画もあり、それを敢えて観る行為は自分を少し逸脱させます。フィクションを観る時、人に因っては怪奇やSFといった予めの逸脱、現実からの乖離にそれを求めているのかもしれません。私はこれらの設定にはとても慣れ親しんでいるので、自分と作品の距離が巧くいく分、観るにあたり覚悟は殆ど要りません。怪奇とSF上であれば猟奇やグロも平気です。

でも、社会的弱者やそれに伴う社会的な不条理といった現実的な物語に関しては何故だか少々弱いのです。観た後に気持ちがとても沈みます。視聴中もフィクションであることは当然承知していますし、実際は誰も傷ついていないはずなのですが、とても心が痛むのです。劇中で明確に問題解決が為されなければ、それはより顕著になります。

#昨日「BPM (Beats Per Minute/120BPM)」を観ました。実話ベースであり、最新の治療法でHIVは死の病ではないとも言われる今でも、製薬会社の特許の独占や価格の吊り上げを狙った供給不足もあり、劇中で糾弾されていた問題は解決されてはいません。また、病そのものも根絶されていないので、心がモヤモヤとしたままです。

 

 

LGBT系の映画をわざわざ観て、いろいろ思うことを進んでしているのは、現実としてそこにあるものなのに、どうにも自分との距離があるからに他なりません。私は男ではないし今後もならないだろうし、たぶんゲイではない。男として男と愛し合うことは叶いません。

ただ、「LGBTQ」とした時の「Q」、クイア要素は自分自身かなり自覚的に持っているし、いつの間にかある社会属性に於いては十分にマイノリティになりました。だからと言って、誰かの何らか勝手な定規で分断されることも、することもしたくないのです。

彼らはそこにいる。わたしもいる。

 

同じ人間がふたりいない以上、自己/他者という感覚を超えられない以上、人生が短い一度きりである以上、自分では体験出来ないことを虚構の中に観て疑似体験する作業は必要じゃないかと思っていますし、表現芸術の存在意義はそこだとも思っています。

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JGLは出演時もう20代ですが、その体格や顔立ちから10代にしか見えません。そんな彼が演じるニールは、何かを求めて行きずりの男たちの間を彷徨っています。そのいたいけさ、妖しさ、頼りなさ、痛々しさ。

ニールは自分のしていることには十分に自覚的で、そのリスクも理解している。でも止められない。つまり彼のしていることは自傷行為なのです。

狭いカンザスの田舎町で男娼まがいのことをしているのは、もうとっくに皆に知られています。幾つになっても娘気分でお気楽なママ以外には。

男たちからお金は貰うけど、お金の為だけにしているんじゃないから、もらったお金は引き出しに貯めこんだまま。

 

ニールのママはエリザベス・シュー。彼女は『リービング・ラスベガス』というこれまたヒリヒリと痛くせつない映画に出ています。中の人は洗練された正統派美女ですが、何故かこういう田舎のリアリーダーがそのまま大きくなったような役柄をよく演じてる気がします。

先のエントリの、劇中のブレント・コリガン氏の母親像もそうですが、このママも母親というかあくまで女。男>子供で、子供を愛していないわけじゃないのにうまくいっていない。問題を直視せず、息子を持て余している自分を、息子に愛と自由を与えてあげていると勘違いしてる。その無責任と勘違いが、彼女が予想もしないこの根深い悲劇を生んでしまいます。

(野球を覚えれば、ニールはもっと男の子っぽくなってくれるはず。自分が好きになってきた男たちのように)

(このコーチなら、父親役もしてくれそう。ワタシに好意があるみたいだし)

こんな安直なママのお陰で、ニールは正に虐待と言うに値する体験をします。しかも悲劇的なことに、幼いニールには大好きな野球コーチとの楽しく幸せなお遊びとしてその行為が記憶されるのです。

 

楽しくて気持ち良かったはずの「それ」が、ニールにとってはいつの間にか、いや幼い最初の時から、自らを痛めつけることになります。でも止められない。行きずりの男達が自分(の身体)に束の間夢中になることは、もう会えないコーチをニールに思い出せると同時に、誰かに自分を「求められる」、つまり承認を得られる行為になるから。それには常に身体的な痛みが伴ったはずですが、むしろ、痛みは彼の記憶と充足を喚起したのかもしれません。

母親が機能しない分、ニールは友達には恵まれていて、ウェンディとエリックの優しさが辛うじての救いになっていますが、その大事な親友たちに進言されても、ニールは男たちに身体を差し出すことを止められません。実際は単なる食い物にされている自分なのに、相手を翻弄し支配している気になってもいたでしょう。そうでなければ自我が保たれないのでは?

 

ウェンディを頼りNYに流れたニールは、田舎町でしてきたことをそのまま都会で繰り返してしまったため、本当の意味での”痛い目”に合い、故郷に戻ります。

#この辺りの描写が、自分が地方出身者ということもあり本当にしんどくなります。

 

一方で、同じ体験をしていたブライアンの中では、幼かった自分を守るために記憶のすり替えが行われています。記憶を抑圧し、自分はUFOに攫われて宇宙人におかしなことをされたんだと思い込むことだけが彼を生かしています。そこにつけ込むように現れ、親しくなり強引に距離を詰めてくる同じ(宇宙人に攫われた)記憶を持つと言うアヴァリン(日本語字幕を確認していないので違う表記かも?)の存在は、皮肉にもブライアンのセクシャリティを本人に認知させることになります。エリックが彼を、ニールにしていたように気遣い慰め、ふたりは仲良くなります。

 

そしてニールとブライアンの邂逅は、過去を呼び起こし、ふたりにあの時の現実、ふたりが本当に野球コーチにされたことを思い出させます。それは本当に観ているこちらがどうしようもなく、やるせない気持ちになる最低な暴力でした。

それでも、それをふたりで一緒に思い出す作業は、その過去を振り切り葬ることになります。

ずっとふたりがもがき、追い求めていたことは何だったのか。

ニールもブライアンも痛みを求めていたのではないのです。ただひたすらに、幸せを感じたいのです。失われた過去に縋ることを止め、己の本質を知り、真に渇望していたものを自覚出来たことは彼らを成長させ、明るい場所に導くはずです。

 

***

若者英語なので癖はありますが、英語字幕無しでも判るというか、あいにく判ってしまう英語でした。辛い・・・。

 

 【注文と納品】

UK PAL2 DVDで本体が10.83GBP、単体注文で送料が3.58GBPでした。

日本のアマゾンにもUK盤が出品されていましたが、たしか4,000円くらいだったので直接注文した次第です。レートやタイミングで在庫放出的にUK盤が国内で安く入手出来ることがありますので比較は重要ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(国内盤入手困難)「Brideshead Revisited/情愛と友情」見えない野心と本心

このエントリはイーヴリン・ウォーの『回想のブライヅヘッド』(岩波文庫版タイトル。旧訳『ブライヅヘッドふたたび』)の2度目の映像化についてです。

日本での劇場公開は(たしか)ありません。

DVDスルーでひっそり日本語字幕版が出ていたので探しましたが、その在庫をお好きな方同士で奪い合っているのが現状のようでした。ベン・ウイショーとマシュー・グッド(以降マシュグ)が出ているので、メディア再販はともかくとしてもなんとか良い字幕で配信に入って欲しいところです。

UK PAL2 DVDを英語字幕で鑑賞。原作は未読ですがwikiは確認していました。

2008年版のジュリア/セバスチャン/チャールズ

「Brideshead Revisited」の画像検索結果

ストーリーはwikiに細かく日本語で上がっているのでポイントのみ。

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チャールズ・ライダーは中流の出。オックスフォード大に進学し、貴族でゲイのセバスチャン・フライトと出逢う。

セバスチャンは自由で我儘な酔っ払いとして登場し、通りすがりにチャールズの部屋を汚してしまう。翌日チャールズに花を贈り、ランチに招待して詫びるセバスチャン。その席は学内でも有名な貴族階級の気取った集まり。それでもチャールズは臆することなく、自身の趣味である絵画が写真より優れているという持論を皆に堂々と主張する。その態度に新鮮な驚きと恋心を抱くセバスチャン。

ふたりは行動を共にするようになり、オックスフォードの気風と文化、セバスチャンが見せる上流階級の文化との交流にチャールズは大いに刺激される。 

 

夏休み、セバスチャンはチャールズをBridesheadの自邸(お城)に招く。セバスチャンとその妹ジュリアを支配する厳しい母親、カトリックの抑圧、贅沢な貴族の暮らしをチャールズは知る。

チャールズはセバスチャンに誘われる形で関係を結ぶ。

 

チャールズは、兄妹が別居中の父親であるフライト侯爵に会うためのベネチア旅行に同行する。夜、カーニバルの熱気にあてられたようにジュリアにキスをするチャールズ。それをセバスチャンが目撃してしまい、ふたりは決裂する。そして身分も違えば信教も違うチャールズとジュリアの恋も、侯爵夫人の圧力によるジュリアの政略結婚で終わってしまう。

傷心のセバスチャンはモロッコに流れ、阿片中毒になってしまう。侯爵夫人に頼まれたチャールズが迎えに行くも、セバスチャンはもう長距離移動は出来ない死を待つだけの身体になり果て、一緒には帰れない。

 

やがて画家として大成したチャールズは、NYに向かう客船の中で偶然ジュリアと再会する。恋が再燃し、ふたりは情熱的な不倫に走る。

チャールズはジュリアの結婚を破綻させることまでは成功するも、結局ジュリアはチャールズでもなく前夫でもなく自身の信仰を選ぶ。

 

やがて戦争の時代が来て、将校になったチャールズが何度目かのBridesheadを訪れる。徴収されたフライト家の邸宅で、過去を振り返るチャールズ。

***

 

こうしてストーリーをなぞると、なんというかこう、チャールズが芯の無い男みたいですね。正確には野心を隠し過ぎて、本当にそれを持っているのか、もう持っていないのか本人も分からないまま生きているように思えます。

庶民の出ながら、オックスフォード大に進学できるほど成績優秀で容姿に恵まれたこのチャールズという男を、2008年版ではマシュー・グッド(以降マシュグ)が、侯爵家の長男ながらゲイでアル中のセバスチャンをベン・ウイショーが演じます。

 

ふたりが初めてまともに会話した昼食の席で、貴族階級の気取った輩に囲まれながらも凛とした態度で持論を述べるチャールズ。この時セバスチャンははっきりと恋に落ちます。←ベンくんのこういう演技の素晴らしさよ!

そして自邸に招かれるのですが、貴族との夕食の席には正装が必要であることをチャールズは知りません。そして平服で着席しますが、この時も全く臆することをしません。

このあたりのチャールズは非常にフラットな印象で、ギラついた野心を見せることはありません。卑屈さも見せなければ、逆に謙遜もしません。失礼なことにも冷静にしれっと受け答えをし、その上品さは貴族である同席者が馬鹿な俗物に見えてしまうほどです。それはフライト家、特に家を守る伯爵夫人には新しい脅威に映ります。

 

こういう周囲はざわついているのに飄々とした態度を取るキャラクターにマシュグは極めて良く嵌るように思います。着映えのする長身と小さく整った顔。マナー違反は指摘出来ても、容姿を論うことはなかなか出来ない存在です。しかも、愛想は良いのにも関わらず何を考えているか伺い知れない。

 

貴族独自のマナーを習得したチャールズは、堂々と正装をしフライト家の人間関係に食い込んでいきますが、基本は彼らしいまま変わらず飄々としています。セバスチャンの恋人になったところで、恋人「だから」でも「なのに」でもないのです。打算は見えません。もっと言うと、そこに「欲情」が見えない。友人としてのセバスチャンを尊重し、求められるままに関係を結んだように見えます。断らない方が良いと判断した、という感じでしょうか。

でもそれが妹のジュリアには少し異なり、彼からキスをして事に及びます。欲情も、また欲望や執着も垣間見えます。

男性であるセバスチャンと関係を結んでも、当時の英国では違法であり、むしろそれは隠されて然るべきであるところ、男女の関係ではすぐに結婚への展開が出てきます。俗な表現ですが、チャールズはこの三角関係以降どんどんスレてゆきます。彼が元々持っていた雑草魂のようなタフな本質が明らかになったのかもしれません。駆け落ちも辞さなかったふたりですが、結局ジュリアは政略結婚で彼の下を去ります。

庶民と結婚されずに済んで、侯爵夫人は胸を撫でおろしますが、その後チャールズに頭を下げに来ることになります。それはモロッコに流れたセバスチャンを連れ戻す、という大役の依頼です。セバスチャンは元々アル中気味でしたが、それが進み、モロッコに流れ阿片中毒になってしまっていたのです。夫人自身も病気で死期を悟り、最期に息子に会いたいと願うのです。

チャールズははるばるモロッコに迎えに行き、面会こそ出来ますがセバスチャンは最早廃人の体(てい)です。現地に恋人もいるのですが、死を待つだけの彼の病状と療養所の環境に因りその彼と暮らすことももう叶いません。そんな状況でもセバスチャンは、切ないことにチャールズを忘れられないのか、寂しさをたたえた瞳を彼に向けます。その頭を優しく撫でてあげるチャールズ。とても静かで美しいシーンですが、それは残酷にも最期の愛撫であり、永遠の別れの挨拶になります。

 

時が過ぎ、夢を叶えて画家になり成功したチャールズは、NYへ向かう豪華客船の中で個展を開いています。すっかり板に着いた正装をし、美しい妻兼ビジネスパートナーを携えて。そんな彼には過去の飄々としていた頃の面影は無く、堂々たる芸術家”先生”で、さらなる上昇志向を隠すことをしません。

そこで偶然ジュリアに会ってしまうのです。(本当に偶然なのかは大分眉唾です。私は結婚生活に失敗したジュリアが調べて追ってきたものと推察します。)

W不倫ながら、恋を再燃させるふたり。

船上という極めて狭い空間の中で、嫁はどうしてるんだと思わずにはいられないほど逢瀬を重ねて、あの頃以上にお互いに夢中になるふたり。この復活愛でのチャールズは周到かつ大胆で、自分の作品を対価としてジュリアを夫から奪うことに成功します。

しかしジュリアは最終的に古い家族観、宗教観に立ち返り再びチャールズを振ります。

 

時が過ぎて戦争の時代になり、チャールズは軍属しています。いざ戦争が始まれば、オックスフォード卒なら士官採用で決定なのか、成り上がったのかは説明されませんが、上級士官であり、その姿は意外にも様になっています。

そして彼はなんの偶然なのか、旧フライト侯爵邸の接収作業に携わります。かつて富と地位を誇り、四季それぞれの美しさで溢れていた館は変わり果てています。セバスチャンも、侯爵夫人もあの後すぐに亡くなっていて、今やジュリアの消息も修道女になったと噂されるも詳しくは判りません。

それでも彼が思い出すのは、あの自分が野心に覆われる前の美しい夏のこと、フライト兄妹の間で過ごした時間です。戻ることもやり直すことも出来ないそれらの追憶は、最後に少しだけ、チャールズに変化を起こします。それは彼が明確に否定していた古いカトリック教義への小さな敬意でした。

そうすることで彼なりに友情と恋と野心を弔ったようなラストでした。

 

 

演じるマシュグに因るところもあるのですが、チャールズが自分の事、特にその容貌をどう自己認識しているのか、特に前半は私には分かりにくかったです。中身(資質)に高い自意識を持っていることは間違いないのですが、自分が生まれ育ちの良い人より余程恵まれた容姿であることは、当時の隔絶した階級社会では恐らく大学に進学するまでは知らなかったことでしょう。彼は大学でそれなりに耳目を集める存在になりますが、皆が注目するのは、あくまでセバスチャンの連れだからと謙虚に思っていたかもしれません。

ジュリアと(若干)責任を取る形で結婚を考えた時には、家柄とカトリックの教えで武装した伯爵夫人が立ちはだかります。その丁々発止はチャールズの野心の燃料になったように思えます。あんなに飄々としていた男が、自分が欲しいものを得られない、欲しいものを持つに値しないかのように扱われたことで発奮したのです。

そしてジュリアとの別離から再会までの間に、チャールズはより魅力的な男になります。ただしそれは彼から清潔さを奪い、傍観していた貴族の男の俗物さすら身に着けてしまいます。

 

チャールズが再びジュリアを失ったその後始末は描かれません。画商の妻を捨てた彼は、筆を折ったのでしょうか。

また、彼が自らを律してジュリアを遠ざけ、密かな野心や打算に呑まれず、Bridesheadのセバスチャンの横で絵を描く暮らしを選んだら、どうなっていたのでしょうか。おそらく画風は、劇中のそれとは異なってくるでしょう。

 

本心を見せてくれない主人公はもちろん、他の誰にも感情移入せず、終始俯瞰して鑑賞を終えた作品でした。

 

1981年版のチャールズ/セバスチャン

「Brideshead Revisited」の画像検索結果

こちらではチャールズはジェレミー・アイアンズが演じています。未見なのでこの写真や記事の印象だけですが、退廃的で野心的、悪の香りがします。

 

劇中にはサービスカットもあり、また長身を生かした様々なファッションを着こなして見せてくれますが、マシュグは(おそらく)この映画に出たことでHackettの広告キャラクターを降ろされてしまいます。Hackettのコンサバなイメージにゲイは要らない、という判断のようですが、世の中には完全に逆行したセンスですね。

インタビュー動画や記事から判断するに、如何にも英国人らしい饒舌で快活なマシュグですが、その「人間離れ」なほどの容姿は、彼に普通の、その辺に居る男の役を出来なくさせています。その分主人公にとっての『夢の男』役や、凶悪で冷徹な役は良く似合います。

 

チャールズ・ライダーは結果的にいろいろな人の運命を狂わせてしまいますが、彼自身は市井の人であり、少なくともフライト一家に向けては悪意は無かったはずです。

夢の王子様でもなければ、悪の枢軸でもなかったことが、いまいちマシュー・グッドの代表作とは言われない点かもしれません。

※ただし、本作のコアなファンが英国には多いようです。以前この映画の話題をSNSに書いたら英国のマシュグファン女子からメッセージが来て、ファンコミュを教えてもらいました。

 

自分的にはマシュグ出演作なら、ちょっとしか出ていないけど『シングルマン』のジムが最高です。夭折し、恋人の美しい追憶の中にだけ存在するまさに「夢の男」の役です。

関連画像

彼の魅力のひとつ、「creepyさ」全開の『シークレットガーデン』のチャーリーも好きです。主人公は叔父である彼に何故惹かれるのか、彼の秘密を知るまで恋のような感覚を持ってしまいます。

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『セルフレス』のオルブライトも好きですが、もっとcreepyでも良かったかも。超高額でセレブに「続命」サービスを提供する謎の科学者です。ちょっとコンサバな恰好なのが気になったのですが、それにはちゃんと理由がありました。

#この作品、SFファンとしては突っ込みどころがかなりあるのですが、まさかの『落下の王国』と同じターセム・シン監督作!予備知識なくマシュグ目当てでふらりと観に行って、スタッフロールで気付きました。ラストの美しい画はいかにもでしたが、SFの細部を作りこむのはあんまり得意じゃないのかも?#

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【注文と納品】

2016年に本体を3.75GBP(安い!)、送料は他DVD3種とまとめて8.05GBP、受領までは10日程度でした。DVD計4枚が入ったパッケージだとポスト投函NGで受領時手渡しとなり、佐川急便さんが持ってきてくれたと記憶しています。

 

 

 

 

(間もなく公開)「Call Me By Your Name」桃源郷の物語

間もなく「君の名前で僕を呼んで」の邦題で公開される作品です。DVDが届いたので公開に先行して感想をあげてしまいます。何回か直す予定ですが取り急ぎ。

以前のエントリの通りで原作既読済、それどころか図らずも映画のラストシーンまでをSNS経由で知っていました。我慢できず、出来心でYouTubeもいろいろ観てしまいました(←コレいけない)。

その上既にこの映画には続編が準備されているとのことで、今、日本以外のSNSはその話題で持ちきりです。そんな状況であと1か月半待たされるのはもう本当に無理でした。

 

鑑賞前は感想の一部として原作と細かく比較することを考えていましたが、鑑賞後の今はそれにはあまり意義を感じなくなりました。

先日、ジェームズ・アイボリー翁(89)はこの作品で本年度のアカデミー「脚色賞」を受賞しています。超一流のシェフが最高の素材で最高の料理にしたのです。原作を至上として映画を論うのはなんだか無粋に思えています。

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この映画は、1983年に北イタリアのどこかにあった(かもしれない)桃源郷の物語でした。

美しい映像は最初のタイトルクレジットから、まるでその頃に制作された、少し古い映画を観ているような色調と表現で綴られます。

エリオにとって特別なひと夏、オリバーがいる時間と空間、そのかけがえの無さと眩しさを、観客はその美しい景色と共に一緒に体験します。逃れられない別れの、そのせつなさまでも。

 

ネタバレしますが、さすがにラストシーンそのものは書きません。

***

別荘の前にタクシーが停まる。到着した新しい居候がパパと挨拶をしているのをガールフレンドと一緒に窓から見下ろすエリオ。面倒なだけのはずが、オリバーと対峙したエリオははにかんで明らかに高揚する。

部屋が隣同士で、バスルームは共有だと説明している間にオリバーはベッドに突っ伏して寝てしまう。夕食に呼びに行っても同じ。

翌朝、朝食の席でエリオはオリバーを観察する。胸に光るユダヤの星のネックレス。

パパが例年の居候に吹っ掛けるapricotの語源についての話題を、オリバーは卒なく返すどころか、皆の予想を超える知識の深さであっさりと上書きする。これはエリオを含むこの一家3人にとって過去最高得点での合格であり、オリバーはこの夏休み中有効なあらゆる免罪符を早々に、鮮やかに獲得してしまう。

エリオの両親や家の手伝いの人たちだけでなく、街の人々ともどんどん仲良くなるオリバー。彼の持つ煌きは周囲の老若男女をくまなく魅了し、エリオを驚かせ、楽しませる。

側にいても、姿が見えなくてもエリオはオリバーが気になって仕方がない。

プールサイドの他愛の無い会話。サングラスで表情を隠しても、嬉しくて持ちあがってしまうエリオの口角。

エリオがギターでさらりと弾いたフレーズが誰のどの曲であり、その編曲が目指すテイストやユーモアまでも理解して、遠慮なくダメ出しまでするオリバーを、エリオは鍵盤で様々に迎え撃つ。弾む指先。

オリバーの持ってきた本、水着、彼のベッド。それに触れることは、オリバーの肌に触れること。

***

 

原作のエリオはオリバーが「自分の恋の相手にふさわしいか」「自分の初体験の男にふさわしいか」を彼(と)のいろいろな行動からまず観察や検証をしていました。可愛らしいことに、その時点でもう十分恋が始まっているのですが、本人はそのことに途中まで気づきません。

映画のエリオは原作よりさらにいたいけで繊細な少年に感じられました。

それは彼の揺れる心情がナレーションされることは一切なく、そのすべてがティモシー・シャラメくんという稀代の美少年(本当は既に青年)の表情とふるまいで極めて繊細に表現されていたからです。

映画のエリオは、まさに電撃的に、そして自覚的に恋に落ちてしまいます。

描かれないアメリカでの暮らしとは比較出来ないので、少なくともイタリアでのバカンス中には、となりますが、エリオにとってオリバーは、初めて出逢った、自分のしていることを完全に理解できる知性と美意識を持つ他人だったのでしょう。予想外に現れた知的な刺激と肉体的な魅力に、エリオは抗いません。強く惹かれながらエリオが感じる少しの不安は(彼は自分を好きじゃないかもしれない)という、多分に幼さからくるものだけです。人当たりの良いオリバーが自分に見せる態度が特別なのか、特別であればそれは恩師の息子、家主の息子であるからなのか。それとも自分が期待する理由で特別なのか。 

その不安はオリバー本人にあっさり否定されます。彼は

「良きホストとして振る舞う必要はない」とはっきり言ってくれるのです。属性ではなく、個人として自分に対峙しろ、と。

しかもこれはエリオが、前の晩にオリバーと仲良くなった女の子の話題を振った流れで出てきます。付き合っちゃえばいいじゃん、と言うエリオのお節介を否定してさらに言うのです。

エリオ自身は男であるオリバーに恋する自分を一切否定していませんが、オリバーは女(の方)が好きかもしれない、と直接探りを入れているのです。女の話題に乗ってこなかったことはエリオを安心させたはずです。

 

***

ふたりで出掛けた先にあった記念碑の由来を説明するエリオの博識をオリバーが褒めると、エリオはオリバーだけに、オリバーだから知って欲しいのだと繰り返しながら、自分は何も知らないのだと言う。何を知らないのかも、分かっているはずだと。

会話を中断したオリバーを、エリオは誰も来ない秘密の場所に連れ出す。

草に横たわるふたり。湖の底にあった古い銅像に触れるように、エリオに触れるオリバー。初めてキスをして触れ合うも、それ以上は思い留まるオリバー。

***

 

このシーンの前、エリオはオリバーに、ママが読んでくれた『エプタメロン』の話題を振ります。彼は当然のように概要は知っていて、エリオが話したかった(であろう)「speak or die」というキーワードを先んじて出してきます。

話すか、死ぬか。エリオは話すことを選んだのです。

つまりは「貴方は特別だから、僕が知らない何もかもを全部教えて欲しい」と。これはどうしようもなく切実な愛の告白であり、その無防備さはさながら五体投地のようです。

 

***

家に戻ってのランチで鼻血を出してしまうエリオ。オリバーが心配してくれたことが嬉しかったのに、その後彼は行先を告げずに出かけてしまう。

オリバーと同じ星のネックレスを着けたのに。

夜中に帰って来た彼の物音に、寝たふりをしながらエリオは小さく「裏切者」と呟く。

 

少し距離を置かれただけで寂しさが募り、エリオはオリバーに何度も推敲したメモをそっと送る。気付けば返事が自分の机の上に置かれていて、それから一日中腕時計ばかり見てしまう。約束は真夜中で、今はまだ陽が上ったばかり。

何気なさを装い、ガールフレンドとデートをしたり、不本意ながらも来客の相手をしているうちに夜がやってくる。

ついに抱き合うふたり。オリバーの提案でお互いに名前を交換して甘く囁き合う。

 

翌朝、エリオもオリバーも複雑な表情を見せる。それでも街に行ったオリバーをエリオは追い、正直な気持ちを言葉で伝えあう。

 

家にひとり戻ったエリオは、屋根裏の秘密基地で昨夜を思い出しながらひとり自慰をする。さっき捥いだ桃を使って、果汁を胸に滴らせながら。

そのまま眠ってしまったところにオリバーが現れる。していたことに気付かれ、泣きじゃくるエリオをオリバーは抱きしめる。

 

こうなるまでの時間の長さと、残った時間の短さを嘆きながらふたりは一緒に夜を過ごす。

***

 

オリバーから返事が来ていた時のエリオのリアクションの可愛さたるや。

あと、エリオは自分からオリバーがいるバルコニーに向かって自分の決心を見せるのですが、そこから服を脱ぐまでの表情の変化!

 

そしてこれこそ、ラストシーン以上にすべきでないネタバレかと思いますが書きます。

この映画のレーテイングはUKではR15で、パッケージにはその理由が書いてありますが「Strong Sex」とのこと。実際は全く強力ではありません。というか、エリオとガールフレンドのマルシア、エリオとオリバーのそのシーンがありますが、カメラがパンしたりで全然見えません

どこかの映画評論家がこの映画のアフタートークショーでとある映画と比較して、「ラブシーンが気持ち悪くなかった」とか言い放ったそうですが、どちらの映画も、きっと私が観た作品とは違うものをご覧になったんでしょうねっ(毒)アハハッ!

あと、「ラブシーン」って単語、なんか変では?特にこの映画ではふたりが出逢ってから全部ラブシーンですし、あの映画もふたりのシーンは全部そうでしたよ。

 

🍑桃のシーンですが、これは予想以上に美しく、エリオが自分の恥と弱さをオリバーに晒す象徴的なシーンでした。恥ずかしいのに強く興奮している、という性愛上の心理状況がふたりの間に準備なく出現します。

この時のオリバーは一旦少し残酷にエリオをからかうのですが、それを直ぐに止め、エリオから溢れる様々な気持ちすべてを受け入れ抱きしめます。恥(の喚起)をセックスの前戯に出来るほどエリオは大人ではないこと、駆け引きではなく、すべて純粋なオリバーへの恋心からしていることを思い知ったのでしょう。

 

*** 

(※繰り返しますがラストシーンは全部書きません)

やがてオリバーの帰国が迫り、ふたりは数日間の旅に出る。みんなに見送られてバスに乗ってしまえば、もうふたりきりの世界。

お互いを呼ぶ自分の名前が、ハイキングに行った谷間に、夜の街角にこだまする。

 

短い時が過ぎ、オリバーは列車に乗って帰国の途に。手元に残ったのは、オリバーがくれた青いシャツとふたりだけの秘密の思い出。

 

季節が巡って冬が来る。

雪景色の別荘でエリオが電話を取ると、それはオリバーからだった。

飾らずに「I miss you」を伝え合うふたり。

でもその電話はオリバーから恩師であるエリオの両親への婚約の報告。

エリオは受話器に囁く。自分の名前を。あの夏の、初めての夜のように。何度も、何度も。

オリバーも喘ぐように自分の名前を言う。そして

「全部覚えているよ」と。

 

***

エリオの寝顔を見ながらベッドの端でも、駅のホームでも、オリバーは逡巡を見せます。必死で涙を堪えているエリオには 何も言えないまま、オリバーは列車に乗り、去って行きます。

 

夏から冬まで、エリオはオリバーのいない世界を生きています。その間に考えていたことなのか、両親からの話題なのか、オリバーの電話の用件をエリオは言い当ててしまいます。そしてそれが正解と知ると、自分たちのことを両親は気付いていると、ちょっと意地悪に言ってしまうのです。オリバーもそれを認めます。

 

エリオの両親ですが、パパに関してはオリバーが去った後のエリオを慰めながら、ふたりに友情以上の何かがあることに気付いていると話します。そして「痛みすら消さず引き受けなさい」と。

ママはエリオに「オリバーはあなたのことが、あなたが彼を想う以上に好きなのよ」と焚きつけるようなことを言っていましたし、オリバーを見送って脱力した泣き顔のエリオを迎えに来てくれます。なんと進歩的なご両親。

 

このご両親の在り方は原作に則っていると思いますが、ひとつ、原作から改変されていて正直残念だった点があります。それはエリオのガールフレンドのマルシアです。

原作のエリオは彼女とオリバーの両立を然るべきこととしていましたが、映画では完全なる当て馬、負け役、間の悪い子として描かれます。特に顕著なのは、エリオがオリバーから貰ったシャツを着て浮き立っている朝に彼女が現れてするやり取りです。そのせいでエリオが原作よりもややゲイセクシュアルに寄って見えます。そこが狙いにも感じられましたし、思い出せば脚本はジェームズ・アイボリー翁(89)。彼の他の作品にも感じられる微妙なミソジニーがこの映画にも現れています。オスカー受賞の御大に向けて極東のくそBBAから誠に恐縮ですが、翁が得意な19世紀の女性像のようで、あいにく古いと言わざるを得ない。たとえ1983年が舞台でも、ゲイ礼賛のために女を下げるのは安易でした。それをせずともエリオがオリバーを「男だから」ではなく「オリバーだから」好きで、誰とも比べていない、比べることすらしようとしていないのは明白でした。

 

ただ、エリオの部屋=オリバーが使っている部屋にはロバート・メイプルソープのセルフポートレートが飾ってありました。調べたところ、1983年は彼の初写真集「Robert Mapplethorpe」が発売されたばかりです。美術史家を父に持つエリオが最先端のアートにも造詣が深いことには驚きませんが、男性器を果実のように、花を性器のように写すセクシーでセンセーショナルな作品群とゲイを公言していたメイプルソープの、その本人の写真を自室に、しかも例年来客が使う部屋に飾る、というのは17歳にはなかなか挑発的な行為です。やはりエリオは傾向としてゲイである、ということなのでしょうか。博識なオリバーはあの壁の写真をどう感じたのでしょうか。

 

"Two Men Dancing" by Robert Mapplethorpe, 1984

「robert mapplethorpe」の画像検索結果

30年以上を経ても十分センセーショナルですね↑

 

 

このエントリを書いてから、英語を母国語とする人と「remember」という動詞について会話しました。英語は自動詞としての「思い出す」と他動詞としての「覚えている」をひとつの動詞で共有しているので、都合が良いというかなんだか少し狡い気がするのです。

きっかけがあって思い出したなら(たいていは)時制を変えるのでしょうが、自分の語学レベルのせいもあり、この映画に関わらずこの動詞が出てくると、いろいろ腑に落ちないのです。

果たして継続的に覚えていたのか、そういう前までに思い出し(終え)たということなのか。

日本語も堪能なその人は、私の感じる時制的な違和感についてよく理解してくれた上で、「remember」は「ひとつの『忘れていない状態』であると考えると良い」とアドバイスしてくれました。

それを踏まえて、また前後の文脈も自分なりに咀嚼して、原作でのオリバーの言葉と、映画でのオリバーの言葉を違うものと捉えた自分の感覚をここにはそれぞれ、そのまま記録しておきます。

 

 

桃源郷伝説をヨーロッパの人がどう捉えているのかは知りませんが、何度も象徴的に出てくる桃を見てしまうと、私の中では切り離すことは出来ません。

女性の描き方については前述の通りの感想ですが、この桃源郷を想う部分、ふたりの追憶と再会まで描かれた原作を、J.アイボリー翁は桃源郷での出来事とその対比としての冬、電話での会話だけに絞ってエピソードを詰め込んでいます。その編集手腕の見事さには感服します。ティモシーくん本人の消えゆく少年性の輝きを、エリオ(17)として完璧に記録するのだという翁の気概と監督の美意識が見事に結実していました。

私の好きなシーンに、プールサイドで寝ころんだふたりの

「Are you sleeping? (寝てるの?)」

「...I was.(・・・寝てた)」

という、何気なくて気の利いた会話があるのですが、これ最近気づきましたが、原作とは話者が逆ですね。微睡んでいるのですが、好きな人の声だから起きてしまうとても可愛いシーンです。こういう脚本テクニックは本当に素晴らしいと思います。

 

***

桃源郷とは(Wikipediaより)

陶淵明の作品『桃花源記』が出処になっている。桃源郷への再訪は不可能であり、また、庶民や役所の世俗的な目的にせよ、賢者の高尚な目的にせよ、目的を持って追求したのでは到達できない場所とされる」

***

 

あの「北イタリアのどこか」は、ふたりの桃源郷でした。

オリバーはもちろん、エリオもあの夏そこを出てしまいます。桃源郷は行ってみたいと思っても辿り着けない、戻りたいと思ってももう戻れないのです。

 

 

続編が望まれる映画には、大ヒットしたという経済的な理由の他に、回収していない伏線があったりしますが、この映画がそれを望まれるのはひとえに「エリオには幸せになって欲しい」と観た皆が思うからでしょう。

予定されている続編ですが、あの桃源郷にはもう誰も戻れないはずなので、ふたりの間の現実的な時間の経過を描くものになるのでしょうか。それが原作を離れてしまうものでも、エリオとオリバーにまた会えるのは楽しみです。

 

(W Magazineより)

「call me by your name」の画像検索結果

フリルは反則です。

 

【注文と納品】

PAL2 DVD 8.32GBPをAmazon UKに発売日以前に最速配送フラグで予約、発売日3/5に現地出荷、日本時間3/7には受領可能でした。(自分都合で翌日受取)

配送取り扱いはDHL、さすがのクオリティ。通関後、国内出荷の準備が整うとSMSで伝票番号が送られて来ました。出荷から正味3日で受け取れた上にwebトラッキングが詳細、さらに国内に入ってからの配送先変更なども電話で柔軟に対応してもらえました。このグレードでの配送の場合、DVD一枚でもポスト投函はNGで受領サイン必須なので、今回は自宅から勤務先に配送先を変更して受領(これが許される勤務先で良かった)。

もちろん送料はお高くて22.48GBP。つまり合計5,000円弱のお買い物ですが、とにかく待ちきれなかったので自分の価値観では全然ありです。

 

 

英語字幕と、聴覚障碍者向けの字幕が選べましたが、あまり美的でないフォントを使っているので、美しい画面を非常に阻害します。(タイトル&エンドロールの雰囲気と同じでちょっとレトロな感じにしたかった・・・のか?)

また、登場人物が皆英語とイタリア語、シーンによってはフランス語とドイツ語も自在に使いこなすので、そこを注釈無く一律的に英語字幕で観てしまうと、ちょっとフラットに感じられて違和感がありました。エリオの方がオリバーよりイタリア語が圧倒的に上手だったり、ママがエリオにフランス語で呼びかけたりしています。マルシアはエリオに度々フランス語で話していましたので、彼女もまた地元の子ではなく、例年ここに訪れる長期リゾート滞在客ということでしょうか。

英語は東海岸っぽい気がしました。会話そのものは比較的シンプルですが、言語が交錯するのと、登場人物が皆インテリなので引用や固有名詞が多く、そこは難易度高でした。

 

(おまけ)

鑑賞前に読んで面白かったGTの記事を貼っておきます。

この記事自体、英国公開後のものなので当然のようにネタバレしていますので訳しませんが、カッコ内が記事のニュアンスです。

「『Call Me By Your Name』に関し貴方の批判が間違っている理由」

1.年齢(17歳の性行為は推奨されるものか)

2.ゲイセックスへの検閲(ソフトに見えるのは検閲のせいか)

3.AIDSの不在(1983年のセーフセックスについて)

4.特権階級では?(リゾート地でのこの一家の生活について)

5.ゲイの役をストレートの俳優が演じてる(ゲイの俳優の仕事ではないか?)

 

 

 

 

(劇場公開済)「Nocturnal Animals」美し過ぎて息が出来ない

 

「A Shingle Man」という自分的 all time top 1 の映画があります。Gucciを復活させた稀代のファッションディレクター、トム・フォードの初映画作品です。

この映画はその監督による2作目として、2016年末に海外で公開されました。原作「ミステリ原稿」を早々に読み、楽しみに待ったのですが日本公開予定が聞こえてこない・・・ちっ。

待ち切れず、2017年3月のメディア発売に予約して買いました。

「nocturnal animals」の画像検索結果 

最初のエントリーに書きましたが、国内公開を待たずに円盤を手配して鑑賞した作品でも、やはり劇場で掛かるなら観に行きます。日本語字幕の表現も知りたいし。

でもこの作品は、結局今のところ劇場では観ていません。

理由は・・・余りにも何もかもが美しすぎて辛かったから。

 

トム・フォードの映画2作品は脚本の最終稿をダウンロードすることが出来ます。

家のTVで英語字幕を出しつつ、脚本を横に置きながら、届いたその夜に鑑賞しました。

 

なんという作品。

原作を読んでいるのにも関わらずサスペンスとして息詰まる。普通にドキドキする。

そして練りに練られたその画力。色、構図、音。寒気がするほどの美しさに緊張して息が詰まる。

観終わった後のとてつもない疲労感は、禍々しい小説を読み終わったヒロインのそれを追体験するかのように心身を支配しました。

 

これ、大画面では耐えられない。動けなくなる。それが自分の結論でした。

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自分的にどうにも垢抜けない印象のあったエイミー・アダムスは、まさに洗練の極み。容姿端麗過ぎるアーミー・ハマーの冷たい美貌。ジェイク・ジレンホールもアーロン・テイラー=ジョンソンマイケル・シャノンも過去最高に不穏。怖くてヤバい魅力に溢れてる。

 

なのに、感想を書こうとすると、どう頑張っても「トム・フォードの美学が詰まった」みたいな当たり前のことしか言えない自分が憎い。

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(これ・・・まさかの「撮影風景」だ・・・完璧なスタイリングの監督)

 

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自分の成熟した美しさを見せるために選んだドレスで装う主人公。

 

あと、劇場に足を運ばなかったのは公式が配役に関連して、これ以上無いくらいガッツリネタバレしたのも赦せなく、お金を落とさないことを決意したこともあります。原作読んでてもあれは絶対に赦せない。

 

【注文と納品】

UK PAL DVDで8.33GBP。他のと一緒に配送、出荷(発売日)から2週間程度。

送料は先のエントリのDVDとドラマのDVD Boxまとめて6.56GBPでした。

 

 

 

 

「King Cobra」アイコンネームの呪縛

この作品はおそらく日本では円盤も出ないし、ネトフリやアマゾン等にも来ることはないかと。

日本では陽の当たらない、というかそんなものは無いかのようにしたいであろうR18のゲイポルノ業界が舞台な上、実話ベース。どうにも訴求し難いんじゃないでしょうか。

以上を前提に、遠慮なくネタバレします。

***

カメラマンのスティーブンには妹にも話せない秘密がある。それは自身がゲイであり、さらには少年趣味のポルノサイトの運営をしていること。

スティーブンは地方の美少年ショーンを自分の家に住まわせ、ブレント・コリガンの名前で売り出すことに。恵まれた容姿ながら過激な内容も厭わないショーンは瞬く間に爆発的な人気を博す。

家出同然のショーンは巧みにスティーブンの嫉妬を煽って愛人になり、彼を懐柔し、翻弄してゆく。

しかしショーンは自身の収入とスティーブンが手にしている額の違いを知り、別のポルノレーベルを運営するジョーとハーローのカップルと接触を始める。また共演者と交際するようになったショーンにはスティーブンの束縛が重荷になる。

契約上、移籍をするとブレント・コリガンを名乗れなくなることを知ったショーンは、自ら身分証を偽造し年齢詐称をし18歳未満でデビューしていたことを明かしてスティーブンとの契約無効を訴える。スティーブンはその嗜好と裏ビジネスを世間に知られることになり、児童虐待で罪にも問われてしまう。

同じころジョーとハーローは自分たちのビジネスの邪魔であるスティーブンを消そうと企み、それを実行する。

自分に殺人の嫌疑がかかることを案じたショーンは、ジョーとハーローがスティーブンについて話す会話を秘密裡に録音して警察に協力し、ふたりを逮捕に導く。

 

ショーンはそれからもブレント・コリガンとしてポルノへの出演を続ける。

 ***

 

何故自分がこのDVDを取り寄せたかと言うと、ジェームズ・フランコが出てるから、がまずひとつ。

(今、彼は騒動の中に居ますが、それに関してここには書きません。既存作品での俳優としての彼とは一旦切り分けたく。

彼の著作については邦訳が出ていないので、そのうちの何冊かについては彼の今後に関わらずそのうちまとめたいです。)

それから、この業界への単純な興味です。表向きは社会学的興味ということで。遥か昔に社会学科を専攻していました。

 

海外では今やゲイポルノはひとつの産業として確立し、興隆している印象があります。

言わずもがな、性産業は最古の産業で、路上からストリーミングまで業態は多々あれど基本は「裏」産業。

故に利用者には背徳感があり、ついては可能な限り匿名で利用(視聴や購買)したい。

そうなると産業側に求められる努力は、サービスの質の向上、ひいては利便性と信頼性の向上とイメージの健全化・・・ってこう書くと、どの産業もその拡大努力は大きく異ならないですね。

要するに、クレジットカード情報を入れて安心な高セキュリティサイトを作って、それなりの書き出し速度で閲覧出来て、というインフラ構築と、コンテンツの拡充がなかなかに上手くいっているように見えるのです。

まぁ海外と言ってもアメリカの都市圏とヨーロッパの一部だけの印象ですし、R18の市場規模はヘテロ向けの方が圧倒的に大きいでしょうし、ゲイポルノのそれがどのくらいなのかもわかりません。

でも界隈で顕著に目立つ国名を敢えて上げると、チェコあたりではなかなかの外貨獲得産業になっているのではと推察します。

 

コンテンツの拡充、と言うと綺麗にまとめすぎですが、要は制作会社毎に個性を打ち出し、世界中のあらゆる「欲」を誰かが確実に引き受けるような多様性が準備されていて、しかも「従事者の年齢」と「従事者の合意」を合法的にクリアし、ある価値観に限って言えば健全な労働に見えたりもします。

脱がなくてもそれなりに有名になれそうな若いモデル(今や男優ではなくこう呼ぶのが適切のようです)たちが、SNSで自分の出演している作品の宣伝と普通の若者としての生活を並行して発信する時代です。その一見屈託の無く見える様子にはちょっと驚きます。

この作品の舞台であるアメリカは元々ヘテロのポルノのリーダーであり、この産業全体の活性化に先行していたかのように見えますが、某政権下の現在はちょっと逆風かもしれません。

また、この作品が取り上げている実際にあった事件は上記の「年齢」と「合意」をひっくり返したのが発端なので、それが時間が経った今も影を落としたままに思えます。もちろん、この点を厳重にすることにはメリットしかないはずなのですが、十数年前のこの出来事、看板モデルの奪い合いが殺人に発展するような業界である、という印象は簡単には拭い去れないものでしょう。

 

作中の主人公は本名/芸名とも事件の渦中にあった実在の俳優と同じです。

とはいえ、現在もその業界で現役である当のご本人には協力や監修を拒否されたとのことで、本人は出ませんし過去映像を使うわけではないのでドキュメンタリーではありません。でも事件は有名だからその内容は歪められないし、劇場公開作品なので、R18相応にエロもグロも適当に回避しています。

※この事件とその渦中にあったモデル、ブレント・コリガン氏については、ちょっと内容が古いですが日本語でwikiがあるのでご興味あれば。

十代の頃のご尊顔です↓今も甘口ハンサムですが、ムキムキして四角くなったのと着衣の写真が出てこないので貼りません。

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勢いでポチったので、届いたパッケージを見てから、クリスチャン・スレーターがスティーブン役で出ているのを知りました。おう・・・歳取ったね、お互い。『トゥルーロマンス』のからは四半世紀(!)、ゲイの役は初めてでしょうか。

さらにモリ―・リングウォルドが妹役で、アリシアシルバーストーンがショーンの母親役で出ています。ふたりともゲスト出演感が強く、80年代のアイドル映画スターを使いたい誰かの存在を感じました。

そして主人公は元ディズニー・アイドルのギャレッド・クレイトン。アイドルがこういうスキャンダラスな役を演じたことはそれなりにニュースだったようですが、ギャレッドはインタビューで、自身の裸については、上半身+あくまでもお尻を1回見せるだけと厳重に契約したと言っていました。さすがアイドル。(そう言われて観直せば、なるほど、そうでした。)

お陰でショーンには華があって「あーこの子売れるわー」感はよく出ているのですが、残念ながら彼の持つしたたかさが”それなり”止まりで、場当たり感が否めず。彼に巻き込まれて自滅していく人々の浅はかさしかり。

#まさか「そういう薄っぺらい業界なんだよねー」と安易に結論付けたいとか?

今でも世界中に大勢いるらしいファンには悪いんですが、ブレント・コリガンという人のしたたかさはこんなもんじゃないと思ってます。逃げ足が速い策士、と。

年齢詐称に関しても、インタビューを読んだら「当時の地元の年上彼氏に言われてー」とか、結果的に死人が出ているのになんだか他人事な感じだし、芸名の取り合いに関しては長らく訴訟になっていて、判決が出る前からじゃんじゃん名前そのままに仕事したり、なかなかグレーなお作法を取る印象。さらには業界を引退すると高らかに宣言しながら少しするとブーメランのように復活してるし、今の彼氏もねー・・・どうにもビジネス彼氏っぽかったり。(追記:何度かの別れたり修復したりのアナウンスの後、馬面/馬並彼とはついに別れたそうです)

そのくせ彼本人を貫く美学や哲学のようなものがほとんど感じられない。だからこそ、過激なプレイで名を馳せたのかも、断ることを知らないだけかも、とすら思えたり。

#うーん、ご本人が場当たりタイプだからこういう映画になってしまったのか?

本名のショーン・ポールロックハートは別だとしても、ブレント・コリガンという名前の下での彼はもう徹頭徹尾bit*hというかsl*tと言うか、映画の中で自分のママに罵られていた通りアレで、誰かを欲情させるだけの主体性に乏しいポルノキング、正に裸の王様であろうと努めているのか、もはやそれすら考えていないのか。

 

ジョーとハーローのエピソードも、もっと描くかもっと端折るかして欲しかった。収監中の実在の犯罪者なので、難しいとは思うのですが。

ジェームズ・フランコキーガン・アレン演じるこのふたりは、公私を支え合う愛し合った「家族」なのだと自称しています。ハーローがビデオに出演するだけでなく売春もして糊口を凌いでいますが急に不能になり、いずれのビジネスも回らなくなり犯罪に走ります。うーん、腐女子だけどハーローが売れっ子とはちょっと思えないんだよなー。どう考えてもジョーの方がお色気があり売れる気がしますが、年齢的には厳しいか。

ジェームズ・フランコは他にも進んでゲイ役を引き受けていて、また作中で脱ぐことにも抵抗が無いと言って憚らない人であり、キーガンとふたりでそれなりに思い切ったシーンをこなしていますが、まぁそうは言ってもR18なら何やってもいいわけじゃない。

 

こうして積み重なったろいろな制約のせいなのか、世の中にはこういうビジネスがある、ということだけは分かるものの、この作品を薄く残念なものにしてしまっています。

彼女なりに息子を愛しているものの、決定的に保護者にはなれないショーンの母親のどうしようもなさだったり、ショーンを含めこの業界しか居場所が無いように見える人たちの描写とか、ところどころには巧いところもありました。

 

もし万象繰り合わせることが出来ていたら、この映画はどこに向かったのでしょう。

この先ブレント・コリガン氏がいよいよついに引退したら、この名前での最期のひと儲けに、再び業界を震撼させる明け透けな自叙伝でも出していただき、それを実写化する体で再度チャレンジするとか。

あるいは、もういっそあの名前を使わないで、あくまで虚構のキャラクター達による何処かで訊いたような事件の体にしておけば・・・と軽く想像するだけでも「ブレント・コリガン」という名前が持つメタ的な呪いと破壊力を感じてしまいます(怖)。

 

そこまで詳しくないのであくまで私感の極みですが、ポルノという業界はたぶん、地下産業として長らくの黎明期があり、インターネット時代の到来があり、ゲイポルノならこのブレント・コリガンがストリーミングビデオの第一世代の旗手であり、SNS時代の到来に合わせて、今は第二、もしくは第三世代になっているように見えます。

求められる情報発信の頻度と鮮度は過去の比ではなく、モデルの子たちは自分に関して巧みに情報戦略をする必要があり、それには主体性と個性、個々の美学なり哲学なりの構築が不可欠のはずです。物を言うモデル、と言いましょうか。もちろん、エージェントがついて戦略的にイメージ構築する例もあるでしょう。配慮に欠ければ舌禍すら起こります。現れては消えてゆくモデル達の活躍サイクルの短さもより顕著です。

そんな中で、あまりにも色々あった彼のこの名前に相変わらず商品価値がある(ように見える)のは、なかなかに興味深いところです。

 

【注文と納品】

Amazon UKからUK PAL DVDで購入。6.66GBPでした。到着までは2週間弱。

 

英語字幕無しでしたが、この作品の視聴に関しては分からない会話は殆どありませんでした。会話の底が決定的に浅いのです。学校で教えてくれない英語はガンガン出てきますが、レーティングがあるからまだそれでもマイルドな印象。

でも、上にも書きましたが、ショーンがポルノモデルであることが実の母親にバレた時、彼女に「hole!」と罵られたの、これはキツい。ここは脚色だと思いたいです。