Not Yet ~あの映画の公開はいつですか?~

主に国内未公開&未発売の映画の話など

小舟はただ、束の間たゆたうためだけに「A Moment In The Reeds」

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Amazon U.K.からいわゆるクィア映画のディスクを買っているので、フィンランド発のこの映画もずっとおすすめに上がってきていました。周囲に観た方も増えてきたところで、やや遅ればせながらの鑑賞です。「北欧の『God's Own Country』」なんて紹介されている記事も見ましたよ。ほう。

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ストーリーはここからまんまでお借りします。

cineequal.org

In A MOMENT IN THE REEDS, having moved to Paris for university, Leevi returns to his native Finland for the summer to help his estranged father renovate the family lake house so it can be sold. Tareq, a recent asylum seeker from Syria, has been hired to help with the work, and when Leevi’s father must return to town on business, the two young men fall in love and spend a few days discovering one another during the Finnish midsummer.

(拙訳ですみません)

レーヴィは進学の為パリに住むが、その夏は、疎遠な父親が湖畔の別荘を売却の為に修繕するのを手伝うため故郷のフィンランドに帰省する。そこにシリア難民のターレクが手伝いとして雇われる。レーヴィの父親は仕事で街に戻らねばならなくなる。ふたりの若者は真夏のフィンランドで恋に落ちて・・・

ん?

fall in love 

彼ら、恋に落ちてましたかね?

and spend a few days discovering one another

数日、お互いを「discover」・・・ん~これは「見出す」よりは「楽しむ」と訳すべき感じでしょうか。

 

遅い遅い北欧の夕暮れ。出逢ったばかりの男がふたり。お目付け役のお父さんは急用で街に戻り、今日は戻れないと言う。

湖畔のコテージのフィンランドサウナに入り、湖に飛び込み、タオルいっちょでデッキチェアーでビールの呑みながら身の上話をする。

「ガールフレンドは?」

レーヴィからのありふれた質問。ターレクの分かり易いはぐらかし。美しい夕暮れに流れる微妙な空気。

ふたりは情熱的にセックスをする。それはセックスの為のセックス。

翌日、お父さんは一旦戻ってくる。ひとつしか使われていないベッド。たくさんのビールの空き缶を訝しむ。

けれど、また夜はふたりきりに。

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以下ネタバレ感想です。

鑑賞後のワタシ

「まぁ、そりゃそうなるわな」

以上。

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・・・いえ、もう少々書きます。

男ふたりがそこにいた時に、何かを感じ、身体を重ねる。その先は望まない。望めないのではないけれど、その努力をしない。お互いのために何か出来ることがあるかもしれなけれど、踏み込まない。

登場人物は他にお父さんと元ご近所さんのおばさまだけ。

お父さんとレーヴィの確執も”よくある話”を超えるものではなく。お父さんがちょっと狂言回し的役割で、その心情がレーヴィとターレクのそれより露出する構造になっていたのに、特に膨らまなかったなぁ。

レーヴィが学ぶランボーの話、ターレクが出てきたシリアの話。それも深められなかった。ふたりはひたすらに今目の前にいるお互いを表層的に見て、触れて、欲情して、恋に似た気持ちを楽しみ、短い夜をひたすらセックスに費やす、だけだったような・・・。

 

Twitterでこの作品を観た方が「どの出逢いも運命的な訳じゃない」と仰っていて、膝打ち。

そう、総ての出逢いにそんな強度があるわけじゃない。「これからどうしよう」が必ず芽生えるわけじゃない。

それは男女でも、男同士でも、女同士でも、今この瞬間にもどこかで生まれては消えてゆく、はかないはかない「モメント」。

これはフィンランドの美しい風景の中にあった「モメント」、そのきらめきの映画。

 

ふたりが泥水に浸かっていた小舟を綺麗にして、湖に浮かべて静かに会話するシーンがとても素敵だったけれど、そこは湖。ふたりは川のような流れに乗ることも、大海に漕ぎ出でることも出来ない。

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ただ日暮れまでの束の間たゆたうためだけに小舟はあり、ふたりはそこにいた。

 

 

 

 

 

 

(番外編)"transformative"であること、その裸体

11月4日は「いいおしりの日」だったそうです。11(いい)0(お)4(し)り、字余りってことでしょうか?それに間に合うように書きたかったのですが、ちょいと立て込んでおり今頃上げることにします。

このエントリはいつもの「いち作品に対する感想・考察」ではないので特別編です。ざっくり言うと、Josh O'connorくんというひとりの俳優さんが作中でどう脱いで、それが作品にどういう効果をもたらしているのかを自分の視点でまとめてみたくなりまして。とてもいいおしりなんです。

 

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作品中にセクスィーなシーンがあるとして、そこだけ強調するのはどうなのか、という葛藤は少々あります。それはある人が某作に関して「肉欲」という表現を繰り返し使って評していて、(んー。これを切り口に鑑賞したら「期待外れ」とか言われてしまうんじゃないだろうか、あの良作を・・・)と違和感を感じたからです。

でもよく考えたらこのブログも同じ。よく考えるまで気づきませんでした(テヘッ)。自分に刺さったところを好き勝手に論じて、よしんば興味を持って観てもらえたら良いな、と思っているところはその人と同じ。

(とは言え、あの言葉選びのセンスの無さはやっぱり看過出来ないのです。彼とはきっとお友達にはなれないわ)

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英国俳優たるもの、シェイクスピア劇を嗜むのは当然として、ゲイ役、女装、全裸までが基本と何処かで聞きました。なるほど、確かに。有名俳優各位におかれましては、皆大抵全部こなしている気が・・・。

 

そんな中、「God's Own Country」で電撃的に知った若き名優Josh O'connorくんの主演作での脱ぎっぷりについては前述の通り。彼は当たり前(のよう)に全裸をこなしています。(それどころか!)

その演技力で、作中の彼の裸はその役の裸になります。恥や見栄を脱ぎ捨てた時、社会通念や世間の束縛を超えた時、その象徴と作品に説得力を与えるものして・・・だと良いのですが、その辺りは監督と脚本の力量に拠って優劣が。どうにも裸が勿体ないものになっているものもあり・・・ってそれは先にも書いた作品ですが、思い出すだにモヤっとするので、3つの作品別に彼の裸とその効果/効能を勝手に比較してみることにします。

 

1990年生まれのJoshは28歳。185㎝の長身で色白、やや痩せ型で、恐らくですがジムでビルドアップ/パンプアップする趣味はないらしく、マッチョではない極めて普通の身体をしています。体毛も楚々としていて、ワタクシ的には28歳にしてはちょっと少年みというか無垢さすらあるように思うのですが、28歳の紳士の裸体にお詳しい方いかがでしょうか(誰?)。

JoshはLoeweの2019SSのコットンキャンバスバッグなどLoeweなのに皮革でない新シリーズ「Eye Loewe Nature」のイメージキャラクターをしています。以下2枚はその宣材写真です。

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映画のキャンペーンや各種インタビューで見る彼はいかにもお育ちが良い好青年で、聡明で明るくチャーミングですが、作中で見る「彼」には普段のJosh O'connorは片鱗もありません。

彼はインタビューで、俳優として常に「transformative」であらんとしている、と答えていました。まさに。いかようにも変形、変容できる存在。だからこそ、(体質的に痩せやすいであろう点は置いておいても)イメージが固定しないような、ある意味中庸的な容姿を保っているのでしょうか。また、「transformative」には「変革的な、斬新な」という意味もありますね。

例外はドラマ「Durrells」でしょうか。実在の作家、ロレンス・ダレル役でありながら、さも宛書のように、普段の彼を彷彿とさせる自然でチャーミングな表情やふるまいを見せてくれます。インタビューで「実際のラリー(ロレンス)に寄せようとしていない」と言っていました。ゴールデンタイムのファミリードラマですので、Joshはお尻は出していません。代わりにヘンリー・ミラーという世紀の脱ぎ要員がS3で登場します。

何作品かを観てしみじみ、彼の演技、その身体表現、その裸体は彼自身とそれを観る者に変革をもたらしてくれるだけの力量があると思いました。日本未公開作ばかりですが!(叫)

 

というわけで、以下、自分の視聴順に彼の裸の在り様(ありよう)についてそれなり大真面目に所感を。

※ネタバレあり〼

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「God's Own Country」

裸度☆☆☆☆☆

裸の衝撃度☆☆☆☆

裸の重要度☆☆☆☆☆

 

衝撃度は、どういう映画か判った上で観始めましたが、早々にお尻と行為が生々しく登場してそれなりに驚きましたので☆4つ。

ゲイメンズにコメントさせるとこの☟シーン(のおしり)が大変に「セクシーだった」とのこと。ほう、なるほど。

Johnnyは畜運車の中で食堂で出会ったばかりの青年と荒々しく「気ばらし」に励みます。白くて薄くてすべすべした綺麗なおしりですがひんやりと冷たそうで、そこに冷酷に力が籠められて、その行為はなかなかに乱暴で粗雑かつ妙に手馴れていて、いつも彼はこうしているのだろうという説得力があります。

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ところがGheorgheが現れると、ふたりの佇まいとその体格差から、Johnnyの裸はとても頼りなく見え、これまでの彼の孤独がますます浮き彫りになるようでした。

やがてGheorgheと心を交わすことで、Johnnyにとっての行為がただ抜くためのf*ckから対話としてのmake loveに明確に切り替わります。Johnnyは朝の光に一糸も纏わず、身も心もGheorgheに曝け出し、委ねることを覚えた彼の裸は体温すら取り戻したかに見えます。

この体格の違い。ふたりの肌はほんのり紅潮しています(お風呂だし)。首から上の日焼け、手や腕の小さな傷はふたりが肉体労働者である証です。

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作中何度も裸が出てきますが、この作品、実はこのふたりの行為の肝心なところは(ほぼ)見せていないという!肉欲おじさん良く見てね!まさにtransformative!

 

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 「Hide & Seek」

裸度☆☆☆☆☆∞(それどころじゃないです)

裸の衝撃度☆☆☆☆☆∞(マジでビビりました)

裸の重要度☆☆

 

作品に関するムムムな点はこの作品のエントリで触れておりますのでもう繰り返しませんが、急に脱ぎだすわアレするわコレするわとにかく忙しい裸(たち)でした。とととtransformativeではああったかも・・・。

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中国語圏(といっても多分本土はダメでしょうから台湾か香港?)でのタイトルが「性愛四人遊」だったと今知ってちょっとウケています。巧いけど、これもまた肉欲映画って訳でも無いんだよなー。

 

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 「Bridgend」

裸度☆☆☆

裸の衝撃度☆☆

裸の重要度☆☆☆☆☆

 

Bridgendはウェールズの地名で、この地域で相次いだティーンの自殺という実話を元にした作品です。2013年にTVドラマに、2015年に映画になっていて、以下は映画の話題です。

作品紹介記事を書いていないのにおしりの話をするのもどうかと思いますが、この作品でもJoshのおしりが拝めます。というか若者みんなが森の中のダム池を社交場にしていて裸で泳ぐのでガンガン脱ぎます。もう驚かないわ!

いくら演技派の彼でもティーンエイジャーの役は・・・と思っていたのですが、当時のリアル彼女が相手役ということもあってか、これがなかなかどうして。

 

保安官の娘、転校生サラは神父(ウェールズ聖公会?と思ったのですが浅学故自信無し)の息子ジェイミーと恋に落ちます。次々に自ら死を選ぶ仲間たちの謎が解けない中、ふたりの恋は誰からも祝福されません。それでもふたりは森の中で初めて愛を交わします。

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ジェイミーは小さな町で不良ぶっていますが、性格は内向的で繊細な少年です。この時服は汚れた足を洗ってもらうために脱いだのですが、そのまま彼女と初めてキスをして、おずおずと服を脱がして体を重ねます。そのたどたどしい仕草、生っ白い裸。

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ふたりが立ち去ったあとのマットレスには赤い血の跡。サラは、そして多分ジェイミーも初めてだったのです。

そうか、あの微妙な無垢さは「童貞の裸」に変容したのね(勝手に納得)すごいよJosh!

 

以上、いいおしりの話でした。

 

追)

微妙に「Bridgend」がどういう作品なのか、どう感じたのかを紹介していないところがワタシの感想でもあります。なんというか・・・惜しかった。ラスト以外は結構好きなところ多いです。あと、借りて視聴してますのでこのくらいで~。(お借り出来て良かった♡ありがとうございました!)

 

「Weekend」出逢いは偶然、別れは必然

このエントリはジャン=リュック・ゴダール監督作ではなく、2012年に第21回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で日本初上映されたアンドリュー・ハイ監督による同名作品に関してです。

「God's Own Country」に関することをSNSで語っていた時にお勧めされたので、UK PAL DVDを輸入しました。本作はUS版もありますが、そちらはどうやら英語字幕が無さそうなので、ご興味持たれたら必要に応じ、且つ再生形式にご注意を。UK PAL再生にはリージョンフリー機を使うか、PCで観る(適応しないケース有)必要があります。

R18です!(またか)

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あらすじはシンプルです。タイトルの通り、ある週末の、ある男ふたりの金曜夜の出逢いから、予め決まってしまっていた日曜日のお別れまでのお話です。それが時系列でドキュメンタリーのように自然に、ほぼ主人公ラスの視点に沿って描かれ、少し出てくるそれぞれの過去の話題も回想シーンなどは挟まれません。見知らぬ者同士がお互いのことをセックスと会話で少しずつ理解してゆくのを、鑑賞者もまるで同じ部屋にいるように同時に体験します。

 

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=====以下ちょっとだけネタバレなあらすじ(というか場面展開)

金曜の夜。

ホームパーティーに招かれるラス(ラッセル)。適当なことを言ってそこを離れると、彼は帰路から逸れてゲイクラブへ向かう。一夜の相手を探す彼の眼を捕えるひとりの男性。でも彼には連れがいるし、トイレまで追いかけてもふたりきりにはなれない。

土曜の朝。

下着姿で寝起きのラスはコーヒーを2杯淹れている。ベッドルームには昨夜視線を送っていたあの彼、グレン。グレンは他愛の無い会話を楽しんだのちにラスのアパートから帰って行く。玄関前でお互いの携帯を交換して番号を残したけれど、お互いに特別な期待はないように振舞う。しかし帰ったはずのグレンは舞い戻ってラスに言う。

「僕は日曜にアメリカに経つ。2年は戻らない」

落胆するラス。

土曜の昼。

ラスの仕事はプールの監視員。仕事終わりにグレンが連絡して来る。職場まで来てくれた彼と、また部屋で一緒に過ごす。

土曜の夜。

グレンは仕事の仲間との送別パーティーにラスを招く。少し躊躇するけれど、ラスはそこに向かう。一緒に帰り、また夜を共に過ごすふたり。

日曜の朝。

名残惜しさを隠してふたりは別れる。グレンは見送りを断り、ラスも深追いせずに元々の予定に出かける。

日曜の夕方。

駅のホームにはラスとグレン。

=====

この場面展開に、ふたりの会話が添えられます。始めは(そこから始めているので)セックスの話題から。何故お互いでこうしているのかを、してから真面目に話してますが、この時グレンは昨夜ラスに”追いかけられた方”なので、ちょっと上からというか意地悪なことを言ったりします。ラスは優しく穏やかな性格らしく、拗ねる代わりに分かりやすくしゅ~んとしてしまう。

でもどうやらグレンには心を残さずアメリカに旅立ちたいという思惑があったことがすぐに分かります。いろいろ言う割に、自分からまた会いに来るし、またお泊り。

ふたりの会話がセックスの話題から、それぞれの幼少期や内面に向けて深まるにつれ、心が通じ合うような瞬間をお互いに感じる。それでもあっという間に来てしまう覆せないし、覆さない別れの時。

 

・・・「別れ」というと関係の終わりみたいですが、このふたりは未だ出逢って3日。関係は終わらないで続いてゆくというのがワタシのラストの解釈です。

ひとつの邂逅がふたりにもたらす化学変化。

ラスはグレンにわかりやすく恋している。グレンは少し淡々と、それに乗らないようにしていたけれど、本当はかなりラスを気に入ってしまった、何かを感じてしまったのだと思えたのです。穏やかで優しく、ゲイだと(あまり)知られたくはなくつましく暮らすラスのアパートは、旅立つ前に身辺整理をしたであろうグレンには、思いがけず居心地の良い場所だったのでは?より別れがたいのはグレンだったからこそ、見送りを断り、直ぐに忘れよう、ラスにも忘れてもらおうとあがいていたような。

 

距離は遠く離れてしまい、ふたりを出逢わせたきっかけのセックスは簡単には出来ないし、相手の体温も感じられなくなるけれど、友達から始めなかったふたりが改めて友達になっても良いし、恋人だと思い合っても良いし。ふたりの関係はあくまで始まったばかり。

あれきり連絡をしなくても、もう会わなくても、それでも良いし。

もし少しでも相手を思い出したら、あんな週末があったことを思い出せたなら、それはたぶんひとつのハッピーエンド。

 

 

会話劇なので、ところどころは字幕でも追いつかず。んーまだまだだなぁ。

 

全体的に優しいトーンで進む映画です。でもゲイであるラスが、電車の中の他人や職場の同僚から、同性愛嫌悪的なジョークや、異性愛者前提の下ネタを聞かされているシーンがとても辛い。彼が当事者であることに気付いていないからだろうけど、電車の中のクソガキはわざとかもしれないし、同僚も少しラスを試しているのかもしれない。

 

(以下R18下ネタ)

わざわざそこツッコミますけど、作中の「クソみたいにくだらない男がしている女との行為の話題」が毎回「指を(何本)突っ込んだ」系ネタできっちり陳腐なので、もう笑うしかなかった。うまいなぁ。そう、それ女は全然悦んでないし、(こいつ下手だなぁ)と思われてるからね?

 

「Hide & Seek」朝靄のユートピア

ちょっと悩んだのですが、感想そのものを成仏させたくなったので書きます。

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2014年のUK映画です。R18でした。インディーズ映画でもあり、国内でメディアがリリースされたり、配信することはなさそうです。

「hide & seek」は「かくれんぼ」の意味ですから、英語圏では映画だけでなくゲームや本、様々なもののタイトルとして散見されます。この文字列からこの映画の情報に至るのはなかなか難しいのではないでしょうか。

公式サイトはこちら

IMDbはこちら

購買動機は、Amazon UKからの「おすすめ」に挙がってきたからです。God's Own Countryの購入履歴から、Josh O'connorくん主演作だからでしょう、間違いなく。そしてAIに勧められるままに買ってしまう理想的にチョロい消費者、それがワタシ・・・。

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ポチったらAmazonの紹介記事だけ読んでプチ予習。届いた後はこの扇情的なパッケージ写真から内容を予想して再生しました。

 

あー・・・

これ「観念映画」だ。こういうの、久しぶりに観た。

大きな事件は起きず、彼らの日々の出来事と美しい風景でイメージを重ね、こちら(鑑賞者)が何かを想起するためにある映画・・・なのではないでしょうか。

なのでネタバレたところで、なので、すみませんがあらすじを書いてしまいます。

***

マックスはリア、シャーロット、ジャックをリアのウィークエンドハウスに誘う。

「ここをユートピアにしよう」。

 

ロンドンを離れ、美しい田園の中で何をするわけでもない。元々仲が良い4人のようであるけれど、その関係は説明されない。マックスとリアにはかつて親密だった時期があることが匂わされ、ジャックはGFに置手紙とともに携帯を置いて来たことが回想される。シャーロットには元カレとの間に何かが継続的に起きているらしい。リアだけはこの場所に思い出があるらしい。

 

昼は自然に親しみ、食後は持ち回りでショートセッションをする。デッサン、スピーチ、寸劇。そして主寝室は貼り紙に書いた2人ずつのローテーションで使う。

 

当初は少し遠慮がちに同じベッドをただ使っていたけれど、そこに自然と欲情とセックスが持ち込まれてゆく。リアとジャック、マックスとシャーロット、それから4人でも、女同士でも、男同士でも。

やがてそれは日常になる。

***

事件らしい事件は唯一、シャーロットの元カレが訪ねて来るところでしょうか。彼は外界代表の異物として現れ4人の暮らしを否定しますが、敗れて去って行きます。

 

彼らの生活が何で成り立っているかも描かれません。食事風景も殆どなく、農耕や酪農畜産をしての自給自足ではなさそうなので、生活の為には街(外界)に出る必要がありそうですがそういう描写もありません。

そのせいか、彼らの繰り返す寸劇やごっこ遊びに同じく、全てがまるで学芸会かおままごとのよう。

 

R18なのでそういうシーンもあるのですが、テーマを含め映画のトーン全てがとても曖昧で抽象的な中、唐突に裸になったり交わったことが示されても、なんだかとてもアンバランスでした。裸はいわば究極の具象なので、そこだけ突出、悪目立ちし、当惑を生みます。

そして度々持ち込まれるその描写が、それ以前/以後で登場人物に何を引き起こしたのかがわからない。何よりびっくりするほど官能的でない。性的には感じているようでも、他に感じたことがあるのかが見えてこない。かといって行為そのものに耽溺するでもないし、相手に情念や嫉妬を抱くでもない。ただ、している。fuckでもplayでもmake loveでもなければ、intimateとも違うような。体温も体液もそこには一切感じられませんでした。

 

マックスが提案したユートピアが、コテージの周りに立ち込めた朝靄のように、やがて消えゆくものなのは全員承知のはずですが、みんな至って平然で、そこにせつなさも生まれていない。

 

あの4人、これからどうするんだろう・・・?

 

***

「体当たりの演技」と評する人がいます。それは大抵俳優がヌードになったりベッドシーンを演じていることに対して一応褒めている風の言葉なのかと思いますが、演技って基本、体当たり=肉体表現なのではないでしょうか?

なので、(脱いだくらいじゃ俺は褒めないぜ!)というのが持論ですが、この映画のJosh O'connorくんに関しては感服せざるを得ませんでした。でも正直、違う表現で十分表現出来たと思うので、勿体ない!とも同時に思っています。

ふた昔前から(レーティングこそありますが)セックスシーンを直接的に描くことも許され、世にはそのものズバリの無料ポルノが溢れ、イマジネーションに頼らなくてもそこで何が起きているのかは誰でもたやすく知ることが出来ます。

そんな中でこの映画のように、とってつけたようにただ綺麗なだけで、粘膜粘液が感じられない表現に終始してしまうのであれば、俳優に脱いでもらう必要はあったのでしょうか?

 

彼とリア役の彼女だけはいわゆるフルフロンタルであんなことやこんなことをするのですが(IMDbには「Plot Keywords」という身も蓋もないトピックがありますので、そこからお察しいただければ・・・)残るふたりはスレ見せないので、大人のワタクシは(契約かよ・・・)と、前述の通り脱がなくてよい映画と思いつつもだいぶ憤ったりしました。そういう妙なアンバランスさが鑑賞者に伝わってしまうキャスティングも一体なんなの?と。

 

「観念映画」だとしてもいろいろ物足りないというか、断ずればなんとも”薄い”脚本でした。緩急も無く事件も無いとか、落ちも無いとか、そういう映画もこれまでそれなりに見て来ましたが、んー、どう評するべきなのか。

風景の切り取り方とか美術はとても美しいし好ましかったのですが、諸々の大味さを力量のある役者任せにしているというか、劇中の学芸会ノリがメタになっているような印象の映画でした。

撮りたいように撮ってみたら撮れました、なんでしょうか?実験的な初監督作品ならまだしもですが、数作目のようで。さらにこの映画、受賞歴もあるようですが、波長があう人もいるんですねー。

 

ワタシにもなんだか妙に波長が合い、時間が経っても好きな映画があります。でもそれはその監督の作品の中では突出して低評価なので、なんにつけ好き好き、でしょうか。

 

***

まとめ

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・概ね、元カレという存在はクソである(知ってる~)

・観念映画ならいっそ潔く、具象、特に具体的な肉体表現は棄てちまえ!

・性愛が及ぼす『何か』を表現するつもりがないなら俳優は脱がさないで!

・「美しいモラトリアムを描きたかった」とか言わないでね!自己満足はダメ!←追記

・ハタチそこそこのJoshもやっぱり可愛いかった!尊い

 

「Love, Simon」清潔な主人公によるとっても清潔な青春奮闘記

久しぶりの新エントリは6/17にU.S.で発売された「Love, Simon」です。シンプルなストーリーなのでネタバレ無しにします。

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でも自分は、MTV Awardでこの映画が「Best Kiss賞」を受賞したニュースが鑑賞より先になり、何度も同じgifがSNSに回って来て、結果壮大にネタバレを踏みました。暗闇でいきなり撃たれた感じです・・・やられた。

原作は『サイモンvs人類平等化計画』。このタイトル、(原作の)サイモンの行動原理が判って、鑑賞後にとても腑に落ちました。

 

発売日前にリージョンフリー(ユニバーサル版)Blu-Rayを予約、発売10日後に受け取りました。送料込み27.97USDで、DVDとダウンロードIDが同梱。多言語字幕ですが日本語だけ入ってない&英語字幕は聴覚障害者向けのみ。これは日本公開が準備されていないから?と思ったところ、どうやらiTunes版には日本語字幕があるらしい・・・こういうのなんなんでしょうね。

 

タイトルは、Eメール文末の署名ですね。名前の前に何を足すか。ワタシは仕事ではThank you, かThanks, あるいは Thanks in advance,が多いでしょうか。後者はボールを渡したというか、ちょっと『お前がやっとけ』ニュアンスを滲ませたくてわざと使っています。

主人公のサイモンはここに何を使うか悩んでいるうち、ある時ついうっかり正直に「Love」をタイプしてそのまま送信してしまいます。メールの相手、素性も判らない「彼」への好意を隠し切れないのです。

 

ストーリーはズバリ『ティーン向け』でした。一応PG13ですが。これまで何度も語られているcome outものと大筋は変わりません。ただ、登場人物たちのコミュニケーションツールには学内チャッターがあり、フリーメールを交わし、片時も携帯も手放せません。

 

サイモン役はニック・ロビンソン君。顎のほくろが可愛い『ジュラシック・ワールド』のお兄ちゃんですね。95年生まれ=今23歳なので、撮影時には成人していたようですが外国人の自分から見ても”アメリカの高校生”役に何の違和感も無く、とてもフレッシュで、この映画に決定的な清潔感を与えてくれています。平たく言えば「可愛いけどあんまりエロくはない」です。

(最近日本で話題になったあのドラマの田中圭さんを思い出しました。あっちはもっとお兄さんなのでちょいちょいサービス的にエロかったですが、可愛らしさと清潔感が似てるかなと)

 

男らしいパパと優しいママ、利発で可愛い妹、特別に可愛いわんこ(テリアの一種だと思うんだけどなんて犬種だろう?)に囲まれた暮らし。高校生のサイモンは親にプレゼントしてもらった新車で毎朝友達を拾って学校に行きます。をを、アメリカ。

『おはよ!(肩ポン)』

『よ、よう・・・(♡)』

みたいな通学路の風景って日本の学園ものの必須ですが、こちらではドラマは車内(というか車中心)で起こります。いかにもアメリカらしく、また、こういうティーンの日常や風俗の根幹は古い映画からアップデートがあんまりないんだな、とも。

 

サイモンのパパとママは、ジョッシュ・デュアメルとジェニファー・ガーナー。なんて戦闘能力の高いご夫婦w。

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さぞや息子を困らせたあいつをボッコボコに・・・とちょっと期待してましたが。

特にジョッシュはドラマ『11.22.63』で家族を手に掛ける狂気の父親を演じていて、『トランスフォーマー』シリーズの正義の軍人よりもそのサイコなイメージが自分の中で強くなってしまっていたところなので、いつ切れるのかとちょっとドキドキ。

===

 

まさか自分がゲイだとは思っていない家族、幼馴染、友達、クラスメイトに囲まれ、サイモンは一番肝心なことを隠したまま、恋したり、されたりします。彼の悩みは「何故自分はゲイなのか」ではなく「ゲイである自分のまま、これからどうしたら良いのか」。時間を掛けて自分を肯定出来てはいるけれど、これからカムアウトするとも、しないとも決めかねています。

 

彼の密かな恋の相手は、Blueというハンドルネームの彼。同じ学校で、同じ悩みを持ち、でも家族にカムアウトを考えている彼にだけ、サイモンは繊細な胸の内を匿名で吐露しやりとりします。

Blueは一体誰なのか。

メールで語られる少しのキーワードを元に、彼が誰なのかを探すうちに、サイモンは学内で息を潜めている自分と同じクローゼット・ゲイ達の存在に気付いたりします。

 

そんな時にある事件が起き、サイモンは必死に収束を狙いますが、結果的に望まぬアウティングを学内にされてしまいます。

さらにBlueは

「君が誰か僕には判った。でも、僕は今正体を明かすことはできない」とアカウントを閉じてしまいます。

事態の収束のためにした努力が全て裏目に出て、友達からも疎んじられ、学校中からは不躾な好奇心だけをぶつけられ、家族もまるで腫れ物に触るよう。孤立無援になったサイモンは、自分が自分であるために勇気を奮って、ある思い切った行動に踏み切るのです。

===

 

『ティーン向け』と表現したのは、この映画には諸処に複雑さを放棄したようなところがあるからです。良くも、悪くも。

主役にストレートで清潔感のある俳優を使っていることで、映画からは肉欲や情欲は徹底的に排されています。降って湧いたような過酷な渦中にあって、どう身を処すのが「自分」なのか悩むサイモンの性欲は、そこに無いかのように全く見えません。大切な相手にも話せない秘密の大きさ、クローゼットの中にいる彼の孤独、「自分と同じような人間と出会いたい」というせつない渇望はとても伝わってくるのですが、そこに生なましさは一切ありません。サイモンが彼なりにとても頑張って作業員の男に声を掛けたりするシーンですら、とても清潔、無味無臭。

それは彼だけではなく周囲も同じです。恋をしたと言いながら頭でだけ考えて、感じることを忘れて右往左往して物語が進んでゆく。夢やイメージでだけ紡がれる、霧の向こうにあるような「触れ合い」。

 

自分の行動基準に性欲を挟まない(と決めているかのような)、揺るぎのない清潔さを放つサイモンは、ゲイセクシュアルを学ぶ”入門編”にふさわしいキャラクターには思えます。

本人の傾向やその自認はともかく、世の中には様々な性的傾向があり、そのうちのゲイセクシュアルと個人としてどう関わるのか。ホモフォビアを形成しかねない若い世代には取っつきやすく理解しやすい、端的に言えば「万人向き」、身も蓋もない言い方なら「気持ち悪くないゲイ」としてサイモンは存在しています。それこそがこの作品のテーマなのかと思えるほどに。

アセクシャル」という性欲を持たない性の在り方にやっと呼び名が付いた昨今ですし、誰しも何もかもが性欲ベースでは動いていない(はずである)ことを考えても、このことにはなんだか綺麗事過ぎてモヤっと。

もちろん、この作品が若年層への静かなる『Love is Love』プロバガンダを狙っていたとしても、あるいは単なるマーケティング=特定市場への受け狙いのどちらでも否定はしません(し出来ません)。

もし今のアメリカのショウビズで、かつての「性欲に浮かされたティーン映画」(凡例:『アメリカン・パイ』)の代わりを担うのがこの映画だとしたら、とてもとても感慨深いことです。

 

あと、老長けたBBAには、サイモン含め周りのキャラクター、特に悪役造形の薄さが不満です。不器用を通り越した歪みを持った、救済されない道化って2018年にまだ必要ですか?だったらきっかけは通りすがり(ハッキングとか)で良くないでしょうか。お友達もみんな良い子だけど、若いからってちょっと流されすぎだったぞ!

 

 

いろいろ書きましたが、それでもサイモンは最初から最後までチャーミングで、恐らく映画というエンタテインメントには不可欠な、十分に「応援したくなる主人公」でした。サイモンは自分自身の今の在り様を誰のせいにもせず、「XXだから」も「XXなのに」もない、正に”人類平等化計画”のために、そして芽生えたばかりの恋の為にひたすらに奮闘していました。

「自分」を微妙に持て余しているティーンがこの映画を観たら、少しでも元気が出るんじゃないかな、と年寄りらしいことを書いておきます。

 

***8月某日追記***

この映画、配信が決まりましたね!「Love, サイモン 17歳の告白」

video.foxjapan.com

「デジタル・ロードショー」という20世紀FOXのコンテンツに入るようです。

というか、何ですかこの文章(憤)

「世界では話題なのに日本では未公開の」って、何故未公開なのかという根本に関して責任は感じていないのかしら・・・?

 

(国内盤入手困難)「Y tu mamá también / 天国の口、終わりの楽園。」夏休みと共に終わってしまったもの

2002年に日本で公開されたR18指定のメキシコ映画です。

『ローグ・ワン』でディエゴを観て、なんだか久しぶりに観たくなったのです。

日本語字幕のコンディションが良い中古はなかなか無いようでしたので、他の物と併せてUK PAL 2を取り寄せました。

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枚挙に暇の無い謎の邦題群の中で、この邦題は美しい風景を想起させ、また内容を巧みに暗示出来ています。とってもお上手です。

原題を直訳すると「お前のママとも」。英語圏では「And your Mother Too」。お前のママとも「何を」したのか、誰がそう言ったのかは後述します。(ちなみに私の地元の方言だと、「お前のママともしたっけ」になります。)

 

主演は当時から既にメキシコでは大スターだったディエゴ・ルナガエル・ガルシア・ベルナルです。この物語もまた「Call Me By Your Name」(以降CMBYN)と同じく17歳の少年の夏休みの儚い出来事です。欧米では夏休み=学年末であり、17歳のそれは高校を卒業し次の進路に進むタイミングですから、そりゃぁいろいろ体験したくもなるでしょう。それに日本の春休みの短さとは比べ物にならない長さでもあります。

中の人ふたりもまたCMBYN主演のティモシー・シャラメくん同様に、撮影時にはちゃんと成人(18歳以上の意)ですが、小柄で(今でも)細身のふたりは少年にしか見えません。

#あの西洋人男性の独特のどーんと筒形の大人の身体に変貌するのは何歳が平均なのでしょう??ならない人はならない、というだけなのかしら?#

 

この映画はそんなふたりが眩しい太陽の下、裸も本音も曝け出し、怖いもの知らずに夏と恋(に似たもの)と冒険を謳歌するロードムービーです。海辺の美しい風景が中心ですが、メキシコの荒んだ現実も垣間見せます。

 

冒頭から旅立つガールフレンドと時間を惜しんでベッドで励むシーンなので、劇場で観た時には「をう・・・絵に描いたようなラテンの若者・・・」となり、ふたりが子供に見えたこともあって、着いていくのがちょっと大変でした。客席が女性だらけで変な安心をしたことも記憶しています。

細かいところは覚えていないのですが、多分劇場公開時はいろいろボカされていたような気が。

 

***

以降、ストーリーです。ネタバレしますが台詞はあまり追いません。

***

テノッチとフリオは高校を卒業したばかり。どちらのガールフレンドも自分たち以外とバカンスに出かけてしまって、せっかくの夏休みが退屈になりそう。男同士でつるんでは、マリファナを吸ったりパーティして騒いだりでそれを紛らわすことに。

テノッチの父親は有力政治家で家柄も良く、家族の行事も大きく華やか。でもこれもまた退屈だから、大統領まで参列するような盛大な親戚の結婚式にフリオを誘う。

そこで出会った気になるスペイン人美女のルイサは、いけすかない(新郎とは別の)親戚ジャノの奥さんだった。何処か素敵なビーチを知らないか、と尋ねる彼女に「みんなが知らない特別な『天国の口』っていうビーチを知ってる」とふたりは適当な出まかせを話題にして、一生懸命気を惹こうとする。

 

若いふたりを鼻にもかけないルイサだったが、彼女には秘密があった。それをジャノに話したかった夜に限って、ジャノは家に帰らず泥酔して外から電話を掛けてくる。俺は馬鹿だ、許してくれと突然不倫を告白するジャノ。泣き崩れるルイサ。

翌日、ルイサはテノッチに電話をし、天国の口へのバカンスに連れて行って欲しいと言う。

セクシーな年上女性との思いもかけない夏休みに浮かれるふたりは、旅を引き延ばし盛り上げるためにも「天国の口」を探す(ふりをする)と決め、もしそんな感じの神秘的な入り江が見つけられれば、そこをそういうことにしてしまおうと適当に画策しながら、何とか車を用立て、メキシコシティを離れカリブ海を目指す。

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***

テノッチもフリオもセクシー人妻とヤることを期待しつつも、若いながらさっと荷物を持ってあげたり、レストランで椅子を引いてあげたりルイサが中座しなくて良いようにお店の人とのやり取りを請け負ったり、ラテン男子の面目躍如というか、まぁ、そりゃモテるよね、という気配りを随所に見せます。途中のモーテルでもちゃんと二部屋取って、男子/女子に別れます。

そのおかげで、ルイサはひとりで部屋に入ると直ぐに、ふたりに見せていた明るい表情を閉ざし静かに嗚咽します。ひとりになると、彼女の大きな秘密が彼女の心を悲しく支配してしまうのです。

***

 

移動中の会話は下ネタが花盛り。ルイサは自分の過去の恋愛、夫以前のBFを回顧しつつ、ふたりとそのGFのなれそめやセックスの詳細、女性経験までを聞いてくる。調子に乗り、大人ぶってあれこれ教訓や武勇伝を話すふたり。

 

車の故障で足止めを食らう3人。レッカーしてもらい、修理上がりまでモーテルで過ごすことになる。

夕方、バスタオル一枚でルイサにシャンプーを借りに行ったテノッチは、

「バスタオルを取って」

と突然ルイサに言われ、それに戸惑いながら従うと導かれるままにセックスする。それはあっという間に終わってしまうが、フリオはそれを見てしまう。

ひとりプールサイドにいたフリオに、したことを気付かれていないと思い込んでいるテノッチはいつもやっている潜水競争をしようと誘う。

水面から顔を出したテノッチに、フリオは淡々と言う。

「俺、お前の彼女とヤッたことある」

 

ルイサの部屋には入れず、テノッチはフリオのいる狭い部屋で今夜も眠ることになる。大事なGFを寝取ったと猛烈にフリオを詰りながら、同時にそれがどんなセックスだったのかを執拗に尋ねるテノッチ。

 

移動を再開したものの、車内の空気の険悪さにルイサは車を脇道に止めさせ、テノッチにしたことはフリオにもする、これで良いでしょうとテノッチを車から降ろすとフリオとセックスする。フリオはテノッチと同じように直ぐに達してしまう。

ルイサはテノッチに手法が乱暴なことは詫びつつ、仲良くビーチを目指そうと言う。

 

「俺もお前の彼女と寝た」

おもむろに言うテノッチとフリオは大喧嘩になり、その様子にルイサは怒って車を降りてしまう。

とりあえず仲直りし、3人が乗った車は海沿いをひた走る。

 

***

この展開の興味深いところは、ルイサを挟んでお互いを牽制するうちに、テノッチとフリオそれぞれがお互いのGFとも寝ていたことを暴露するのですが、言われた時にそれを全く嘘だと疑わない。お互い、GFより親友を信用している。そもそも相手にダメージを与え優位に立つ為に言ったから、言われた方は想定外の大きなダメージを食らって、その時には「俺も」とカウンターを返せない。

そして好奇心に負け思わずいろいろ聞いてしまう。要するに、どっちがそういう場で男として優れているかをGFの背徳そのものより気にしてしまう。この時点でもあくまで目の前の親友のいう事を信じてしまう。そしてちょっと落ち着くと思い出したように後から同じネタを出して、また蒸し返す。全くもうなにやってんだかw

 

17歳ふたりと3人旅に出た時点で、ルイサは当然彼らの期待、真の目的を判りきっています。

ふたりはそれでもちょっと遠慮というか、「天国の口」を目指すという実現不可と思われる大義名分を抱えていて旅の長さが測れなかったからか、道中で積極的に事に及ぶつもりはなかったように思えます。夢見る「天国の口」と呼ぶに相応しい素敵なビーチに辿り着いてからのお楽しみに取って置きたかったのかもしれません。

 

***

真夜中。砂の路地にタイヤが嵌り、3人は諦めてそこに停めて車中泊をして朝を迎える。

朝の陽射しにルイサが車を降りてみれば、そこは美しく穏やかな入り江のすぐ傍だった。

テントを張り、澄んだ海にはしゃぐ3人。

しばらくすると地元民の家族が乗った船がやってきて、わずかなお金で食事を振る舞い、船に乗せ岬を巡ってくれる。

岬の向こうのビーチの名前を船頭に訊けば、それはまさかの「天国の口」だった。

 

天国の口を満喫して、日が暮れる頃に船で元のビーチに戻ると、野豚の大群にテントを荒らされている。テント泊は諦め、船頭一家のビーチハウスを借りた3人は、泥酔して情熱的な3Pをする。勢いでキスをするテノッチとフリオ。

目覚めると男ふたりだけが裸でひとつのベッドに寝ている。慌てて服を着るふたり。猛烈な恥ずかしさと気まずさがふたりを覆う。

 

船頭一家と意気投合したルイサはここに留まりたいと言い、ふたりと別れる。

ふたりはふたりだけでメキシコシティに戻る。

***

 

まさかの「天国の口」に辿り着いた3人。

そこは素朴ながら夢のように美しい、ゆったりとした時間が流れる白砂のビーチでした。

ふたりは気付きませんが、村の小さなレストランの粗末な電話ボックスから、ルイサは夫に泣きながら別れの電話をします。自分がこうしているのは浮気への復讐ではなく、自分を取り戻し決着をつけるためだと。そして夫ひとりの生活を気遣いながら、どうか幸せを理解できる人間になって欲しいと言います。

 

酔ったフリオはテノッチに「俺はお前のママともやったけどな」と言います。「なーんてね」&爆笑と続きますし、これは(おそらく)酷く下品な悪い冗談なのですが、テノッチも応戦してしまいにはふたりで

「俺たちのママにカンパーイ♡」

「俺たちは穴兄弟☆」

なんて言いながらテキーラをバンバン飲むのです。

 

***

街に戻ってからのふたりは会うことを止め、それぞれのGFとも別れ、新しいGFを見つけ、別々の進路に進む。

 

ある日通りでばったり会ったふたりは、コーヒーを飲みながら近況を交換する。

「ルイサのことは聞いてるか?」と聞くテノッチ。首を横に振るフリオ。

「あの後、亡くなったんだ、癌で」

テノッチはルイサ自身が余命を理解していたこと、最期こそ看取らせたものの夫を拒み、あの海辺に近い病院で亡くなったことをフリオに話し、何故ルイサが「天国の口」に連れてって欲しいと言ったのか、真実を共有する。

***

 

この映画には何度も男声ナレーションが挿入されます。三人称だったのでフリオの心象や背景はテノッチが、テノッチのそれはフリオが語っていたようです。ディエゴとガエルの声は聞き分けられず。

ラストシーンも、交差点でふたりが偶然再会し、ファミリーレストランに入るまでの経緯と、この後ふたりがもう会うことが無いことがナレーションで語られますが、これが誰の声なのか、ごめんなさい、ちょっと分かりませんでした。大人になったどちらかが俯瞰して語っていたのでしょうか。

 

テノッチは経済相のひとり息子で、メイドが何人もいる大豪邸に暮らしていますが、父の政治活動や政局スキャンダルに振り回され転居を余儀なくされたり、両親の仲は良くなく、乳母に育てられたことが明かされます。海を目指す道中、その乳母の出身地を通りますが、それは小さく貧しく時の止まったような村。テノッチはそれを沈んだ瞳で静かに眺めます。

対してフリオの家は母子家庭で、洗濯物を壁に貼りつけるように干した小さなアパート暮らしです。彼のGFもまた豪邸住まいだったので、お金持ちの子が通う良い学校に彼は特待的に進学して友達になったのでしょうか。このひと夏の旅の車はフリオのお姉ちゃんのものですが、お姉ちゃんはバリバリの左翼活動家で逮捕歴ありだとか。急いで車を借りたくて、大統領罷免を叫ぶデモ行進中のお姉ちゃんからキーを借りるフリオがいました。

そんなふたりが気が合い、いつも子犬みたいにつるんでいたのにもう会わなくなる。そして大人になる。少年だった自分とその象徴みたいな親友を切り離すことで。

 

劇中ではふたりのそれぞれに微妙な家庭環境だけでなく、メキシコの政治経済の揺らぎや、厳しい現実がさりげなく描かれています。

3人が道中ですれ違う、昔ながらの倹しい成人式、武装した警官、原住民に厳しい軍人、素朴なお葬式。外国人のルイサ、良家の子テノッチ、普通の子のフリオ。それぞれがそれぞれの視点でメキシコシティじゃないメキシコを見て知り、体験します。

 

 

本当の事情を知らないままルイサと別れ、メキシコシティに戻るふたりだけの車中はきっと、ろくな会話も無かったことでしょう。

ふたりは勢いで秘密を暴露し合いますが、それは幼いなりに好きだったGFの裏切りを知ることであり、またそれはどちらかを責めれば気が済むものでもなくまさに喧嘩両成敗であり、しかも親友転じて裏切者同士ながら、懲りずに「兄弟」になってしまった上に、まさかの”絡み”までしたのです。

未熟な愛憎が入り交じり、年上の女性を介在させて理性のメーターを振り切ったあと、真顔に戻って帰路につく。車と言う密室でふたりきり。

計りようのない気まずさです。

 

相手に会えば、またいろいろ思い出してしまうでしょう。楽しかったけれど、苦い思い出。気持ち良かったけれど、恥ずかしい思い出。そもそも自分たちが誘ったのに、まるでルイサに都合良く使われたようになってしまったテノッチとフリオ。ふたりはお互いに会わないことで表裏になったそれに蓋をするとそれぞれに決め、離れてしまったのでしょう。

でも、あの3人で過ごした夏の時間はきっと忘れられないはずです。

ルイサはもういない。友達とも疎遠になってしまった。

 ナレーションでは、天国の口の番人でもあるあの船頭一家のその後も語られます。数年後に観光開発の為廃業してあの浜を離れることを余儀なくされたようです。つまり、またあの入り江に行ったとしても、あの夏を繰り返すことはもうふたりには出来ない。

あの天国の口での出来事を思い出しても、それを誰かと懐かしく語ることも叶わない。

 

この物語もまた、桃源郷伝説です。だから「天国の口」は「終わりの楽園」なのです。

大人になってしまったふたりは、この夏の追憶を大切に生きてゆくのでしょうか。それとも元々天国の口なんて、楽園なんて何処にも無かったと思って生きることを選ぶのでしょうか。

 

***

スペイン語に全く素養が無いため、スペイン語の喜怒哀楽がよく分からず、テンポのよい言語であることとで耳が囚われてしまい、その分画面の英語字幕を捕えきれずにシーンが変わることしばし。劇場公開を観ていてストーリーを知っていましたので、それでもまだなんとかなりましたが。

 

ルイサが別れ際にふたりに言った言葉、出来ればオリジナルから自分なりに理解出来るよう上手く翻訳したいのですが。開放的なラテン女性に見えたルイサの、残された僅か数か月の自分の余命のための人生訓なのです。モノローグではなく、(たぶん)テノッチのナレーションで彼女を回想して語られるそれは、英語字幕斜め読みではこんな感じ。

「人生はサーフィンに似てるから、自分自身を海みたいに解放するのよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

(国内盤購入可能)「Mysterious Skin / ミステリアス・スキン」痛みを求めて

国内では(たぶん)映画祭での上映のみで、伝説のようになっていたこの映画、一昨年に原作の『謎めいた肌』が新訳で再販され、昨年末ついにBlu-Rayが発売されました。この手のテーマの円盤が国内で何度も再発売されることはなさそう&ストリーミングに乗らなそうですから、今が貴重な視聴機会かと思い記事を上げます。

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是非映画祭で観たいと思っていたのですが、2005年の初上陸時には叶わず。円盤も買い逃し。というかこの国内盤、出ていたのでしょうか?

私はUK PAL2を2016年末に注文したのですが、届いてから3ヶ月ほど温めてから観ました。取り寄せてはみたものの、旧訳と原書をざっと読んだことがあったので、気力と体力がある時に勢いで観ようと。

その間、とある素敵な青年がインタビューで「一番好きな映画」を聞かれてこの作品を即答していて驚いたり。

 

***

ストーリーは転記しません

*** 

とても辛い映画でした。主人公の心身の痛みが、ジョゼフ・ゴードン=レヴィット(以降JGL)の名演により、観ているこちらに防ぎようなく流れ込んできます。それは常にヒリヒリと、時には目を背け、こちらが泣きたくなるほどに。

 

毎日もう環境映像のようにつけっ放しで観たい映画がある一方、覚悟が無いと観られない映画もあり、それを敢えて観る行為は自分を少し逸脱させます。フィクションを観る時、人に因っては怪奇やSFといった予めの逸脱、現実からの乖離にそれを求めているのかもしれません。私はこれらの設定にはとても慣れ親しんでいるので、自分と作品の距離が巧くいく分、観るにあたり覚悟は殆ど要りません。怪奇とSF上であれば猟奇やグロも平気です。

でも、社会的弱者やそれに伴う社会的な不条理といった現実的な物語に関しては何故だか少々弱いのです。観た後に気持ちがとても沈みます。視聴中もフィクションであることは当然承知していますし、実際は誰も傷ついていないはずなのですが、とても心が痛むのです。劇中で明確に問題解決が為されなければ、それはより顕著になります。

#昨日「BPM (Beats Per Minute/120BPM)」を観ました。実話ベースであり、最新の治療法でHIVは死の病ではないとも言われる今でも、製薬会社の特許の独占や価格の吊り上げを狙った供給不足もあり、劇中で糾弾されていた問題は解決されてはいません。また、病そのものも根絶されていないので、心がモヤモヤとしたままです。

 

 

LGBT系の映画をわざわざ観て、いろいろ思うことを進んでしているのは、現実としてそこにあるものなのに、どうにも自分との距離があるからに他なりません。私は男ではないし今後もならないだろうし、たぶんゲイではない。男として男と愛し合うことは叶いません。

ただ、「LGBTQ」とした時の「Q」、クイア要素は自分自身かなり自覚的に持っているし、いつの間にかある社会属性に於いては十分にマイノリティになりました。だからと言って、誰かの何らか勝手な定規で分断されることも、することもしたくないのです。

彼らはそこにいる。わたしもいる。

 

同じ人間がふたりいない以上、自己/他者という感覚を超えられない以上、人生が短い一度きりである以上、自分では体験出来ないことを虚構の中に観て疑似体験する作業は必要じゃないかと思っていますし、表現芸術の存在意義はそこだとも思っています。

*** 

 

JGLは出演時もう20代ですが、その体格や顔立ちから10代にしか見えません。そんな彼が演じるニールは、何かを求めて行きずりの男たちの間を彷徨っています。そのいたいけさ、妖しさ、頼りなさ、痛々しさ。

ニールは自分のしていることには十分に自覚的で、そのリスクも理解している。でも止められない。つまり彼のしていることは自傷行為なのです。

狭いカンザスの田舎町で男娼まがいのことをしているのは、もうとっくに皆に知られています。幾つになっても娘気分でお気楽なママ以外には。

男たちからお金は貰うけど、お金の為だけにしているんじゃないから、もらったお金は引き出しに貯めこんだまま。

 

ニールのママはエリザベス・シュー。彼女は『リービング・ラスベガス』というこれまたヒリヒリと痛くせつない映画に出ています。中の人は洗練された正統派美女ですが、何故かこういう田舎のリアリーダーがそのまま大きくなったような役柄をよく演じてる気がします。

先のエントリの、劇中のブレント・コリガン氏の母親像もそうですが、このママも母親というかあくまで女。男>子供で、子供を愛していないわけじゃないのにうまくいっていない。問題を直視せず、息子を持て余している自分を、息子に愛と自由を与えてあげていると勘違いしてる。その無責任と勘違いが、彼女が予想もしないこの根深い悲劇を生んでしまいます。

(野球を覚えれば、ニールはもっと男の子っぽくなってくれるはず。自分が好きになってきた男たちのように)

(このコーチなら、父親役もしてくれそう。ワタシに好意があるみたいだし)

こんな安直なママのお陰で、ニールは正に虐待と言うに値する体験をします。しかも悲劇的なことに、幼いニールには大好きな野球コーチとの楽しく幸せなお遊びとしてその行為が記憶されるのです。

 

楽しくて気持ち良かったはずの「それ」が、ニールにとってはいつの間にか、いや幼い最初の時から、自らを痛めつけることになります。でも止められない。行きずりの男達が自分(の身体)に束の間夢中になることは、もう会えないコーチをニールに思い出せると同時に、誰かに自分を「求められる」、つまり承認を得られる行為になるから。それには常に身体的な痛みが伴ったはずですが、むしろ、痛みは彼の記憶と充足を喚起したのかもしれません。

母親が機能しない分、ニールは友達には恵まれていて、ウェンディとエリックの優しさが辛うじての救いになっていますが、その大事な親友たちに進言されても、ニールは男たちに身体を差し出すことを止められません。実際は単なる食い物にされている自分なのに、相手を翻弄し支配している気になってもいたでしょう。そうでなければ自我が保たれないのでは?

 

ウェンディを頼りNYに流れたニールは、田舎町でしてきたことをそのまま都会で繰り返してしまったため、本当の意味での”痛い目”に合い、故郷に戻ります。

#この辺りの描写が、自分が地方出身者ということもあり本当にしんどくなります。

 

一方で、同じ体験をしていたブライアンの中では、幼かった自分を守るために記憶のすり替えが行われています。記憶を抑圧し、自分はUFOに攫われて宇宙人におかしなことをされたんだと思い込むことだけが彼を生かしています。そこにつけ込むように現れ、親しくなり強引に距離を詰めてくる同じ(宇宙人に攫われた)記憶を持つと言うアヴァリン(日本語字幕を確認していないので違う表記かも?)の存在は、皮肉にもブライアンのセクシャリティを本人に認知させることになります。エリックが彼を、ニールにしていたように気遣い慰め、ふたりは仲良くなります。

 

そしてニールとブライアンの邂逅は、過去を呼び起こし、ふたりにあの時の現実、ふたりが本当に野球コーチにされたことを思い出させます。それは本当に観ているこちらがどうしようもなく、やるせない気持ちになる最低な暴力でした。

それでも、それをふたりで一緒に思い出す作業は、その過去を振り切り葬ることになります。

ずっとふたりがもがき、追い求めていたことは何だったのか。

ニールもブライアンも痛みを求めていたのではないのです。ただひたすらに、幸せを感じたいのです。失われた過去に縋ることを止め、己の本質を知り、真に渇望していたものを自覚出来たことは彼らを成長させ、明るい場所に導くはずです。

 

***

若者英語なので癖はありますが、英語字幕無しでも判るというか、あいにく判ってしまう英語でした。辛い・・・。

 

 【注文と納品】

UK PAL2 DVDで本体が10.83GBP、単体注文で送料が3.58GBPでした。

日本のアマゾンにもUK盤が出品されていましたが、たしか4,000円くらいだったので直接注文した次第です。レートやタイミングで在庫放出的にUK盤が国内で安く入手出来ることがありますので比較は重要ですね。